スケープゴート 身代わりの山羊
大祭司は身代わりの山羊の上に手を置き、全ての人の罪が今この山羊に移行している事を表します。それから東門を出てオリブ山から荒野へ、イエシュアが処刑された時と同じく人里離れた荒野に山羊を連れて行きます。
イスラエルの民のために罪の告白、祈りをした大祭司は荒野に山羊を放つ事を任命された個人の手にこの山羊を託します。
この役割を与えられた人自身も大いなる特権に預かったと考えるのです。これはイスラエルの人でもできるのですが、祭司の立場にある保護された人をこの役に選びます。
崖に向かって歩く
神殿から荒野に向けて歩く間に10箇所にテントが張られていました。山羊を無事に荒野に運ぶか見守る人たちがいたからです。
最後の中継地点に居た人達は、崖までの距離が相当ある事と、
2000アモットの距離をシャバットや記念日の時に歩く事が
許されていなかったから祭司が崖まで行くのに同行出来ませんでした。彼らはそれなのでその場所に立って、身代わりの山羊が
伝えられている通りに荒野で放たれる様に見守りました。
イエシュアの処刑の時と、このスケープゴートが神殿を出て荒野に出て人から遠く離れた所に追いやられる事が重なります。
東門から出て荒野に追いやられる。
この様に書いてあることと重なります。詩篇の記者はヨムキプルのこの儀式を知って書いています。
詩篇103:12 東が西から遠いように、主はわれらのとがをわれらから遠ざけられる。
レビ記16:22 こうしてやぎは彼らのもろもろの悪をになって、人里離れた地に行くであろう。すなわち、そのやぎを荒野に送らなければならない。
イザヤ53:6 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。
ヘブル9:22 こうして、ほとんどすべての物が、トラーに従い、
血によってきよめられたのである。血を流すことなしには、
罪のゆるしはあり得ない。
ヘブル10:17 さらに、「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、
思い出すことはしない」と述べている。
スケープゴートが死ぬ
崖に到着して祭司は大祭司が身代わりの山羊の角に付けた赤い
紐を解いて取ります。その紐を二つに分けます。一つは山羊の角に再び付け、二つ目の紐は岩に付けます。これはこの赤い紐が
白くなるか見るためであり、イスラエルのための贖いがされたかどうか確認するためです。(この点は聖書に記されてはいないので不明ですが、ユダヤ人の書には書き記されているそうです。)
それから山羊を反対にして両手で山羊を崖から突き落とします。
この点も聖書には、山羊を崖から落とすと言う指示は書かれていないので、不明ですが、ユダヤ人の間では山羊が舞い戻って
来ては困るので崖から突き落とす様になったと言います。
このスケープゴートを荒野に放ち、罪を全部背負いそれが永遠に遠く去って2度と戻らない事を表されていることはイエシュアがされたことと重なっています。イエシュアはオリブ山から人から離れた場所に追いやられ処刑されました。スケープゴートがそれで表されています。
そしてイエシュアも一旦人々の間から昇天して姿を消しました。
山羊も荒野で姿を消したのです。同じ意味が重なります。
身代わりの山羊が荒野に放たれていなくなった報告があった後
トラーを朗読します。そして屠られた雄牛と山羊が焼かれます。
レビ記16:27 聖所で、あがないをするために、その血を携え入れられた罪祭の雄牛と、罪祭のやぎとは、宿営の外に携え出し、その皮と肉と汚物とは、火で焼き捨てなければならない。
ヨムキプルの儀式で午前午後と着用した大祭司の白い服を脱いで
保管します。
感謝の祝い
すべての儀式を終えて、この日が終わりに近づき、ヨムキプルの大いなる日の最後は大祭司はすべての礼拝者を連れて家に戻ります。