3 神殿での儀式を通して教えるヨムキプルの日の意味の教え | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

祭壇の台の上で大祭司は火を混ぜるためにシャベルを使い、その火の中心から木炭を集めて容器に入れます。台の上から降りて血を集めた容器を持つ祭司の所に戻るとシャベルと炭を同僚が立つ隣の床の上に置きます。

神殿の中の火は、荒野で移動式神殿が初めて稼働する時に神ご自身が天から下された聖なる火で燃えていて、人の手で起こした火ではありません。

人の手で起こした異火で祭壇に捧げ物をしたアロンの息子達は

その場で亡くなった記事があり、ヨムキプルの記述が書かれているレビ記16章の最初にもその事が記されています。

ヨムキプルのこの素晴らしい日の儀式礼拝はこの日自体の意味と

切り離せない特別な位置と尊厳を持つものです。この日は創造主である神との荘厳な交わりの日であり、悔い改めと解決の日であり、内なる素晴らしい平安と国全体の一体感の日でもあるのです。それ故に、この礼拝儀式の中の一つ一つの儀式と文字通り大祭司が歩む1歩1歩が大いなる意味と重要性に満ちるものなのです。

祭司が祭壇のスロープを歩く足取りで”今日は贖いの日である”と言う声が響き渡ります。

一年を通して祭司達は祭壇の周りのスロープを行ったり来たり

そして東側から上り、西へ降りて行くのです。偉大なる創造主に対する畏敬の念を強く感じながら、スロープの真ん中を歩くのは少々厚かましいと感じるものです。でもヨムキプルの今日は

大祭司は彼のアシスタントを右側に付けなからスロープの真ん中を歩くのです。この意味ははっきりしています。

創造主に対するイスラエルの敬意と愛とを記すべきものです。

神はイスラエルを愛し、この日全ての罪が許されている事を

神の目の中に見るのです。イスラエルは父の家にいる子供の様に

振舞うのです。父に対する子供らの愛情をオープンに父に対して

示すのです。

 

どの時代もこのヨムキプルの意味を神の意図通りに理解してこの日の祝いに参加した人達は存在するのです。最初からイエシュアの贖いの意味が語られてそれを理解していたのです。神の祭り、神殿での儀式は全部イエシュアの救い、贖いを表しているものであり未来に神が統治する世界、エルサレムの神の家からイエシュアが世界を統治する事を理解していた人達がいるのです。

 

薫香の儀式 サービス

レビ記16:12 主の前の祭壇から炭火を満たした香炉と、細かくひいた香ばしい薫香を両手いっぱい取って、これを垂幕の内に携え入り、

 

大祭司が至聖所に入る

大祭司は金の入れ物に香を入れて左手で持ち、右手にはシャベルを持ち床の燃える炭火を拾います。この様にして至聖所を分けている2つの幕の前に来るまで入れ物一杯に入った香と炭火を携えて来ます。聖所は、メノーラ、台、そして香の祭壇が設置されています。それから至聖所があります。

第一神殿では、1アマの厚さ(約48−60cm)の壁で二つの場所が仕切られていました。しかし、第二神殿では、移動式神殿と同じく、二つの幕で区別がされていました。二つの幕は空間で

間隔があり、ソロモンの神殿の壁と同じ1アマの広さでした。

 

幕と幕の間

2つの幕の端は外側に織り畳まれて金のピンでとめられていました。外側の幕は南側にピンで止められ、内側は北側にとめられて

いました。この様に通路は2つの幕でできた通路を作っていました。用具を持ちながら、大祭司は内側のカーテンの北側、つまりカーテンが掲げられている場所に到着しました。

見ると分かりますが、祭司達は全て裸足で神殿の中を行き来します。神が”あなたの履物を脱ぎなさい”とモーセやヨシュアに言われたのは、そこは神の家、神の臨在が宿る場所だからです。

家には土足で上がらないのです。

 

至聖所

 

 

大祭司は至聖所の入り口に立ちました。大祭司は向きを変えて、顔を左側の幕の長さに沿って南に向け、部屋の真ん中の契約の箱の取っての間まで歩きます。

 

炭火を置く(第一神殿)

移動式神殿と第一神殿が建っていた時、大祭司は契約の箱に向かって契約の箱の取っての間にシャベルの炭火を置きました。

 

最も難しい作業

 

大祭司がシャベルを置いたら、今度は香粉を入れ物から取り、手のひらの上に乗せなくてはなりません。香を木炭の上に置くためには掌から直接しなければなりません。手のひらいっぱいの香です。これは神殿の中で一人でするに最も難しい作業です。この作業は専門的知識が必要だからです。この作業は完全に訓練され準備万端でなければ至難の業と見える作業です。

この様に行われていました。大祭司は入れ物いっぱいに入った香を器の取ってを自分に当てた状態で両手と体の向こうに向けた二つの親指で引き出します。(時には上の取ってを歯で抑えながら)大祭司は器の取ってをバランスを取り両手の位置と同じになる様にします。それから大祭司は器を自分の掌の方に傾けて回し、前後にゆすり全ての香が手のひらに落ちる様にします。
この作業で1粒の香もこぼれない様にするのです。
 
大祭司は手のひらから大祭司が立っている場所から離れた所から香りをシャベルの上の炭の上に乗せ、そうする事で炎が発火して
火傷をしないためです。大祭司はそこに立ち、しばらく部屋が煙で満ちるまで待ちます。芳しい香りに満ちたのです。私達は神の前に芳しい香りとして受け取られているのです。
ヨムキプルの薫香の捧げ物は完了し、大祭司は大いなる畏敬の念を持って至聖所を出ます。後ろ向きのまま戻り 聖所に自分の背を向けないで2つの幕を通ります。
 
大祭司の短い祈り

聖所に大祭司が一人で立ち、地上で一番聖なる場所、神の栄光と創造の中心である、神の至聖所に入り、出る事を無事に出来ました。大祭司はこの聖なる日に神が指示した通りに民のために贖いの行事をしました。神との交わりの高尚な時を振り返り短い祈りを捧げるのです。

 

 

神殿を退出し再び入る

 

ヨムキプルのサービスでの次の段階は、大祭司が薫香の儀式を
終了した後、祈りを唱えて聖所を出て、そして大祭司を待つ祭司達が居る外の入り口に戻ります。この祭司は雄牛が屠られてから血が入った容器を持って、その容器を血が固まらない様に揺するながら、ずっとその場所で待っているのです。
大祭司はその器を今仲間の祭司から受け取り、至聖所に又戻るのです。二つの幕の間を通り、捧げ物の血が入った容器を携えて
契約の箱の取っての間に来るのです。この場所に、炭火の上に乗せた薫香の礎石の上に来るのです。

 

雄牛の血をふりかける

 

 

レビ記16:14 彼はまたその雄牛の血を取り、指をもってこれを
贖罪所の東の面に注ぎ、また指をもってその血を贖罪所の前に、
七たび注がなければならない。
 
大祭司は器の血を贖いの箱の蓋の上にふりかける。
その後に至聖所を最初と同じ振る舞いで退場する。器を聖所の
金の台の上に置く。

 

主のために屠られる山羊

大祭司は再び至聖所に入る

 

神殿の中庭の外側、”主のため”捧げられる山羊がくじで決められ今大祭司の元に連れて来られます。大祭司は動物を屠り他のミズラクの器にその血を集めます。それから大祭司は至聖所に第3回目として入ります。この時は山羊の血を携えて入ります。

前回と全く同じく至聖所に入り、同じ決まった場所まで再び歩きます。契約の箱の取っての間に前と同じく血をふりかけ、そして

出て、聖所の中に設置してある第二番目の金の台に置きます。

 

幕に向かって血をふりかける

 

大祭司は至聖所を離れず、最初にそれを置いた最初のスタンドから、雄牛の血が入った最初のミズラクを取り上げます。 彼は聖所(彼が今立っている場所)と至聖所の間を隔てるカーテンに面し、彼が三度入った同じ場所、契約の箱の取ってとの向かい側に立っています。

今度は、大祭司は幕の外の牛の血の中から、同じ方法で、同じ場所に向かって振りかけます。 次に、大祭司はこのミズラクを台の上に置き、再び犠牲ヤギの血が入った2番目の容器を取り上げ、カーテンに対して同じ動作を繰り返します。

 

 

 

最後に大祭司は聖所にまだ居る間に二つの器の中身を混ぜます。

ミズラクの器にある雄牛の血を山羊の血に入れ、そして二つの血が混じったものを空いている雄牛の血が入っていた器に入れます。それで二つの血が全く混ざったものとなります。

 

レビ記16:18 そして彼は主の前の祭壇のもとに出てきて、これがために、あがないをしなければならない、すなわち、かの雄牛の血と、やぎの血とを取って祭壇の四すみの角につけ、

 

 

神の前に在る祭壇

大祭司は今聖所の中にある至聖所での血を注ぎかける儀式を終了しました。トラーは両方の器から神の前の祭壇の端にその血をふりかける様に指示されています。

 

イエシュアの贖いの血で神との隔たりが壊され、人は神と1つにされる事を表しています。

 

スケープゴートを放つ

大祭司は今スケープゴート(身代わりの山羊)が待っている荒野へと出る門の向かい側、東の門の元に戻ります。東=ケダム=

永遠の時を表す言葉です。

イェシュア辿った道のりと同じです。

 

 

続く