神殿の中で教えられていたトラーに記されたイェシュアの業 ヨム キプルの一日 1 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ヨムキプルは一年で一番最大の聖会です。イエシュアを知る人も

知らない人も、ユダヤ人ならこの日がやがて神の前に立つ日で

ある事を知っています。リハーサルの日です。

この日全ての責任を負うのは大祭司にあります。地上の大祭司

レビ族のアロンの家系の大祭司は重い責任を負っています。

神に指示された全てのインストラクション通りを行う事が求められます。それは全てイエシュアの贖いの業を表すものであり、

天の現実を地上の神の家の中で表すものだからです。

そして地上のレビ族アロンの系図の男子で表される大祭司は天の

イエシュア=ユダ族のメシアが全世界の贖いをしたと言う事を地上で反映させている役割をしているのです。

 

動物の血は人の罪を決して消さないと言う前提からこの事実を

はっきりと把握し、理解しないと神が教えている真実が見えません。この神殿の中で行われていた内容は全てイエシュアの業を表すものであるのです。

 

神の前に手ぶらで出れない。神に動物の血を携えないと近づけないと言う意味は、神の中に1つとされる事実はイエシュア=

子羊の血の贖いが前提にある!と言う事を神の祭りの中の儀式で

教えられているのです。神が強欲だから人から贈り物を要求しているのだなどと考えていたら見えませんが、神の前に差し出すものさえ神が予め備えて下さったものなのです。

ヨムキプルでは祭司は全て白い服を着ています。祭司達にヨムキプルの一連の儀式の流れ、意味を教えているのは大祭司、レビ族のアロンの家系の男性です。

ヨムキプルを迎える前にずっと集中したトラーの学び、復習、

そして儀式の練習をする。

 

第二神殿時代には大祭司が儀式をする前の準備の期間、トラーを学び、大きな声でそれを復唱し儀式の手順、意味などを丹念に学ばなければならないと言うプロセスがありました。

イエシュアの神殿での商人の商売を破壊した記述でも分かる通り腐敗して私服を肥やしていた大祭司”が存在していました。

諸外国の支配に結託し富と名声で神の家を祈りの家ではなく、

”強盗の巣”に変身させてしまっていたからです。

だから、祭司と言えど、知識に飛んだ学者でもなく、神の教えに

反する生き方をしていた人達がいたのです。偽教師、偽祭司が

居たのです。

 

この日大祭司を代表とされて全ての人の罪を神の前に持って行くのです。全ての人の目が大祭司に向けられ、大祭司は至聖所に入ります。神とのズレたものを大祭司の行為で修正し、天の父なる神に繋がるからです。

この点を、イエシュアを知る人達なら、レビ族のアロンの家系の

大祭司が行う至聖所に入る行為は、イエシュアの贖いの血で神との隔たりが取り除かれ、父の元に繋がれている事を理解出来るのです。誰もイエシュアを通して以外誰も父の元=至聖所の中に入れない事を表しているからです。

ヨムキプルの前日の朝に、大祭司は東の門に立ちます。そこには牛、雄羊、そして1歳の7頭の羊が大祭司の前に入って来ます。

 

東と言うヘブライ語は場所、、方角を表す言葉と、時を表す意味のある2つがあります。レビ記16章で書かれている”東”とは

時を表す”ケダム”と言う言葉が使われています。永遠を意味するものです。神の完了の業は永遠の中に完結しているからです。

 

 

ヨムキプルの前日まで、大祭司は他の祭司の長老達に様々な事を教えます。最も難しい儀式”薫香”をくべる儀式を教えます。

日々行う”薫香”がありますが、ヨムキプルの日には特別な”薫香”

があります。

神の家 神殿で行われる一連の儀式は、全て五感を通して実際に

学習体験する様に神がデザインしています。

匂い、食べる、触れる、見る、聞く。人は外の環境を五感を通して自分の内側に取り入れています。その様に神の教えを実際に

五感を通して体験して学習して行く様になっている、それが神の

祭りで体験するものでもあります。

ヨムキプルの日には5回”水”に入る儀式があります。クリスチャンが”洗礼”と呼び考えるものですが、水に入る儀式は聖書の中に様々な時に行う事が記されています。

祭司達は儀式前に既に白い衣服を着ています。

水に入る儀式の前に手を足も清めます。

 

一年に渡り祭司達は神殿で仕える時に銅で出来た用具で手足を清めますが、ヨムキプルの日だけ、金の用具を使います。

 

ヨムキプルの日には、神殿の中の黄金の香り台の上で2回捧げられます。北を向いて捧げます。神の子らは”芳しい香り”として

神に受け取られているのです。

 

 

神殿の中庭で多くの祭司達が集まっています。朝明けに神殿の門が開かれ人々が神殿の中庭に入って来ます。

 

 

民数記29:11 また雄やぎ一頭を罪祭としてささげなければならない。これらは贖罪の罪祭と常燔祭とその素祭、および灌祭のほかのものである。

 

 

レビ記16:1 アロンのふたりの子が、主の前に近づいて死んだ後、

16:2 主はモーセに言われた、「あなたの兄弟アロンに告げて、彼が時をわかたず、垂幕の内なる聖所に入り、箱の上なる贖罪所の前に行かぬようにさせなさい。彼が死を免れるためである。なぜなら、わたしは雲の中にあって贖罪所の上に現れるからである。

16:3 アロンが聖所に、はいるには、次のようにしなければならない。すなわち雄の子牛を罪祭のために取り、雄羊を燔祭のために取り、

16:4 聖なる亜麻布の服を着、亜麻布のももひきをその身にまとい、亜麻布の帯をしめ、亜麻布の帽子をかぶらなければならない。これらは聖なる衣服である。彼は水に身をすすいで、これを着なければならない。

16:5 またイスラエルの人々の会衆から雄やぎ二頭を罪祭のために取り、雄羊一頭を燔祭のために取らなければならない。

16:6 そしてアロンは自分のための罪祭の雄牛をささげて、自分と自分の家族のために、あがないをしなければならない。

 

 

捧げ物の動物を見ると分かる様に”雄牛”は大祭司が自分と家族のために捧げるものです。大祭司の場合、他者の罪も負うそれ故に大きな動物=雄牛なのです。

イエシュアは全世界の人々の罪を負いました。

そして、この教えからも、大祭司の役割を地上で表す大きな責任

がある人は、倍以上の罪の代償が問われる事を教えられています。

誰でも教師になるなかれとあるイエシュアの警告もここと繋がっています。教師になり違う教えに人を導く、違う手本を見せてしまう人は、他者に対する影響がとてつもなく大きいからです。

 

大祭司は動物に近寄り 聖所に向けて、二つの手をこの雄牛の

上に置きます。二つの角の間にて置いて告白します。

”アロンは彼と彼の家族の罪の贖いのためにこの捧げ物をします”

その箇所から伝統的にこの祈りをします。

 

”主よあなたに求めます。

あなたに対して反して、敵対し罪を犯しました。

私と私の家族のために罪の贖いを与えてください。

そしてあなたに対して犯した不正と違反のために

 

あなたのしもべ、モーセが書いた様に。

私と私の家族、トラーに記された様に この日に全ての罪から清められ贖いがあなたのためになされました。
神の前にあなたはきよめられています。

伝統的にヨムキプルの日にこの祈りをします。

 

続く