イエシュアが記されている | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

今年は今日の9月24日の日没から”ヨムキプル”大贖罪日が始まります。25日の日没までが、一年で一番盛大で聖なる集会である日です。

この日の中には福音の中核が教えられ、イエシュアの業が教えられ、やがてイエシュアが地上に再び戻られて皆が神の前に立つ日のリハーサルでもある記念日なのです。

個人個人だけではなく、民全体で神に合間見える日が来る。

 

今エルサレムには神殿がありません。イエシュアが昇天された

以降も70ADまで神殿が存在していましたから、昇天以降も

パウロや弟子たち、ユダヤ人、そしてイエシュアを信じる異邦人達もエルサレムに神殿に都上りの祭りでこられる人たちは皆神殿の中の一連の儀式、行事に参加してこの日を祝ったのです。

 

ヨムキプルの日には多くの福音の要素、イエシュアの業が教えられています。

 

日本では天皇が元旦の早朝四方拝と言うのをするそうですが、

その中で行われている儀式の内容は誰も知りません。

 

それとは逆で、ヨムキプルの日に神殿の奥の間=至聖所で大祭司が行う一連の儀式を神が教え伝えており、それらの意味を皆教えられていたのです。トラーに記されている事を神殿で祭司達に

教えられていたのです。

 

一人の人=レビ族のアロンの家系の人である大祭司がその責任を

全て負っている。地上の祭司=レビ族、大祭司=レビ族であり

アロンの家系の男子のみが大祭司になる。

その人達が一年に一度、ヨムキプルの日に至聖所に入り一連の

儀式をしていたのです。

 

これらは全てイエシュアの贖い、子羊の血で贖われている人達

イエシュアが神と人との間の仲介人であり、イエシュアが全ての

人の罪を負っている事実をヨム キプルの一連の行事、出来事で教えているのです。

 

ヨム キプルに関して書かれている聖書箇所をアップしてその後

画像を交えて、レビ記に記された内容がイエシュアを教えている

事を書いてみたいと思います。

 

どの時代の人も、イエシュア=約束の救い主を待望していました。でもその救い主像をズレて理解していた人達もいるし

同時に当時の弟子達も救い主が来たら、ローマ帝国からイスラエルを救い出してイエシュアが統治する時代になるのかと、イエシュアに質問していた様に、ある部分の理解が正しくない、はっきりしていなかった人達もいるのです。

それぞれが理解している内容、程度が違うと言うのはどの時代にも同じく存在するのです。

 

でも当時のイエシュアを信じたユダヤ人、1世紀のイエシュア信者達は、諸外国に住んでいた人も同様に殆どがユダヤ人だったのです。その事を念頭に置いて、福音書以降、そしてパウロが

神の教え=トラー=モーセの五書を否定した教えをして、違う教えをしているとか、昇天以降神がモーセの五書を終わらせ、神の

記念日を祝う事を終わらせたとか、聖書に記されている事に反する事を考えて信じ続けては見えません。

でも聖書だけに戻れば、そこ記されているのは、100%イスラエルの神の教え=トラー、ヘブライの世界、ユダヤ人、イエシュアの信者であるユダヤ人達も昇天以降も変わらずにモーセの五書を信じて生きて、そしてシャバット、新月、春と秋の祭りを祝っていた記録だけが記されている!と言う事実を決して捻じ曲げて人の教えに塗り替えて読み込まない、正しく書いてある通りを読めば神が今何を教えて下さっているのか見えてきます。

 

レビ記23:26 主はまたモーセに言われた、

23:27 「特にその七月の十日は贖罪の日である。あなたがたは

聖会を開き、身を悩まし、主に火祭をささげなければならない。

23:28 その日には、どのような仕事もしてはならない。これはあなたがたのために、あなたがたの神、主の前にあがないをなすべき贖罪の日だからである。

23:29 すべてその日に身を悩まさない者は、民のうちから断たれるであろう。

 

民数記29:7 またその七月の十日に聖会を開き、かつあなたがたの身を悩まさなければならない。なんの仕事もしてはならない。

29:8 あなたがたは主に燔祭をささげて、香ばしいかおりとしなければならない。すなわち若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の小羊七頭をささげなければならない。これらはみな全きものでなければならない。

 29:9 その素祭には油を混ぜた麦粉をささげなければならない。すなわち雄牛一頭につき一エパの十分の三、雄羊一頭につき十分の二をささげ、

29:10 また七頭の小羊には一頭ごとに十分の一をささげなければならない。

29:11 また雄やぎ一頭を罪祭としてささげなければならない。これらは贖罪の罪祭と常燔祭とその素祭、および灌祭のほかのものである。

 

 

レビ記 16:1 アロンのふたりの子が、主の前に近づいて死んだ後、

16:2 主はモーセに言われた、「あなたの兄弟アロンに告げて、彼が時をわかたず、垂幕の内なる聖所に入り、箱の上なる贖罪所の前に行かぬようにさせなさい。彼が死を免れるためである。なぜなら、わたしは雲の中にあって贖罪所の上に現れるからである。

6:3 アロンが聖所に、はいるには、次のようにしなければならない。すなわち雄の子牛を罪祭のために取り、雄羊を燔祭のために取り、

16:4 聖なる亜麻布の服を着、亜麻布のももひきをその身にまとい、亜麻布の帯をしめ、亜麻布の帽子をかぶらなければならない。これらは聖なる衣服である。彼は水に身をすすいで、これを着なければならない。

 

16:5 またイスラエルの人々の会衆から雄やぎ二頭を罪祭のために取り、雄羊一頭を燔祭のために取らなければならない。

16:6 そしてアロンは自分のための罪祭の雄牛をささげて、自分と自分の家族のために、あがないをしなければならない。

 

16:7 アロンはまた二頭のやぎを取り、それを会見の幕屋の入口で主の前に立たせ、

16:8 その二頭のやぎのために、くじを引かなければならない。すなわち一つのくじは主のため、一つのくじはアザゼルのためである。

 

16:9 そしてアロンは主のためのくじに当ったやぎをささげて、これを罪祭としなければならない。

16:10 しかし、アザゼルのためのくじに当ったやぎは、主の前に生かしておき、これをもって、あがないをなし、これをアザゼルのために、荒野に送らなければならない。

 

16:11 すなわち、アロンは自分のための罪祭の雄牛をささげて、自分と自分の家族のために、あがないをしなければならない。彼は自分のための罪祭の雄牛をほふり、

16:12 主の前の祭壇から炭火を満たした香炉と、細かくひいた香ばしい薫香を両手いっぱい取って、これを垂幕の内に携え入り、

 

16:13 主の前で薫香をその火にくべ、薫香の雲に、あかしの箱の上なる贖罪所をおおわせなければならない。こうして、彼は死を免れるであろう。

16:14 彼はまたその雄牛の血を取り、指をもってこれを贖罪所の東の面に注ぎ、また指をもってその血を贖罪所の前に、七たび注がなければならない。

 

16:15 また民のための罪祭のやぎをほふり、その血を垂幕の内に携え入り、その血をかの雄牛の血のように、贖罪所の上と、贖罪所の前に注ぎ、

16:16 イスラエルの人々の汚れと、そのとが、すなわち、彼らのもろもろの罪のゆえに、聖所のためにあがないをしなければならない。また彼らの汚れのうちに、彼らと共にある会見の幕屋のためにも、そのようにしなければならない。

16:17 彼が聖所であがないをするために、はいった時は、自分と自分の家族と、イスラエルの全会衆とのために、あがないをなし終えて出るまで、だれも会見の幕屋の内にいてはならない。

16:18 そして彼は主の前の祭壇のもとに出てきて、これがために、あがないをしなければならない、すなわち、かの雄牛の血と、やぎの血とを取って祭壇の四すみの角につけ、

16:19 また指をもって七たびその血をその上に注ぎ、イスラエルの人々の汚れを除いてこれを清くし、聖別しなければならない。

16:20 こうして聖所と会見の幕屋と祭壇とのために、あがないをなし終えたとき、かの生きているやぎを引いてこなければならない。

 

16:21 そしてアロンは、その生きているやぎの頭に両手をおき、イスラエルの人々のもろもろの悪と、もろもろのとが、すなわち、彼らのもろもろの罪をその上に告白して、これをやぎの頭にのせ、定めておいた人の手によって、これを荒野に送らなければならない。

16:22 こうしてやぎは彼らのもろもろの悪をになって、人里離れた地に行くであろう。すなわち、そのやぎを荒野に送らなければならない。

16:23 そして、アロンは会見の幕屋に入り、聖所に入る時に着た亜麻布の衣服を脱いで、そこに置き、

16:24 聖なる所で水に身をすすぎ、他の衣服を着、出てきて、自分の燔祭と民の燔祭とをささげて、自分のため、また民のために、あがないをしなければならない。

16:25 また罪祭の脂肪を祭壇の上で焼かなければならない。

 

16:26 かのやぎをアザゼルに送った者は衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。その後、宿営に入ることができる。

16:27 聖所で、あがないをするために、その血を携え入れられた罪祭の雄牛と、罪祭のやぎとは、宿営の外に携え出し、その皮と肉と汚物とは、火で焼き捨てなければならない。

 

16:28 これを焼く者は衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。その後、宿営に入ることができる。

16:29 これはあなたがたが永久に守るべき定めである。すなわち、七月になって、その月の十日に、あなたがたは身を悩まし、何の仕事もしてはならない。この国に生れた者も、あなたがたのうちに宿っている寄留者も、そうしなければならない。

 

16:30 この日にあなたがたのため、あなたがたを清めるために、あがないがなされ、あなたがたは主の前に、もろもろの罪が清められるからである。

 

16:31 これはあなたがたの全き休みの安息日であって、あなたがたは身を悩まさなければならない。これは永久に守るべき定めである。

 

16:32 油を注がれ、父に代って祭司の職に任じられる祭司は、亜麻布の衣服、すなわち、聖なる衣服を着て、あがないをしなければならない。

16:33 彼は至聖所のために、あがないをなし、また会見の幕屋のためと、祭壇のために、あがないをなし、また祭司たちのためと、民の全会衆のために、あがないをしなければならない。16:34 これはあなたがたの永久に守るべき定めであって、イスラエルの人々のもろもろの罪のために、年に一度あがないをするものである」。彼は主がモーセに命じられたとおりにおこなった。

 

イザヤ53:1 だれがわれわれの聞いたことを信じ得たか。

主の腕は、だれにあらわれたか。

53:2 彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、

われわれの慕うべき美しさもない。

53:3 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。

53:4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。

53:5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲しめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。

53:6 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。

53:7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。

53:8 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。

イザヤ53:9 彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。

53:10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。

53:11 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。

53:12 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。