6番目以降の10の言葉の教え 人の性質に反する事を学習してはならない | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

父と母を敬え。

敬うと言う言葉はヘブライ語ではכָּבוֹד=カヴォド〜重さ、価値を

”量る”と言う言葉で表されています。この言葉は神の栄光を表す言葉と同じ言葉です。

 

親は子に敬われるに値する事をする人達だからです。

でも子供が毒親に虐待されて育てられたらどうなるのでしょう?

親にあらゆる意味での虐待をされてしまう子供達、悲惨です。

悲惨。逃げ場が無いのですから。

その時には、その親は親としての実質を子供に対して与えていな

かったとはっきり認識するべき事なのです。それどころか、親が

子供を傷つけ、破壊しているのです。肉体的虐待ではなくても、精神的、教育虐待と言うのもあります。親の願いや夢希望を投影し、その子供の性質では無い事を無理やりやらせると言う事を

多くの人はしています。

むやみやたらに何でもかんでも親を尊敬しなさいなんて言う事を神が言っているのではない事、ヘブライ語の言葉でも表されています。実質通りにその重さ、価値を量ると言う事です。

 

今日本で世間を騒がせている青少年に虐待を生涯し続けて来た

ある人物が話題になっていますが、その様な深い致命的な罪を誰かに対してする場合には、それには刈り取るべき代償が必ず付きまとうのです。たとえ神の前に許されても、人に対してしてしまった破壊、損害、傷を負わせたことは、その相手の人達に対して償わなくてはならない部分が必ずあるからです。この部分は忘れてはならない点であり、トラーにもはっきり人が人に対して償うべき賠償金の内容が細かく記されています。

一言簡単に”ごめんね”で終わらない、だからズレたら皆が苦しむのです。一言で終わるほど簡単に罪が大きければ大きいほど、傷が深ければ深いほど癒えないものだからです。

被害者に相当な賠償金が支払われなければならないからです。

そしてその様な場合、その人に対してもちろん恩もあると思いますが、本当に大事な子供、若者の人格に対して取り返しのつかない深い傷、行為をしてしまったと言う事をはっきり完全に追求され、追放されなければならない事です。信仰の世界にも同様に深い闇が多く潜み、多くの人を傷つけている悲しい事実があります。

神の言葉を伝えて生きて人々を神の教えを正しく導く立場にあるのにその様な闇にはまっている多くの場合、それは単純に神の教えを無視して生きないで戸口に迫る罪を自分の中に招き入れている事をしているのです。あなたは戸口に来る罪を治めなければならないとあります。

そしてその様な立場にある人も同様に刈り取る結末は普通の人よりもっと大きく重いものになるのです。

個人が他者が安全に守られるためにです。

 

神のトラーの題目=聖書の柱を要約した教えの6項目目以降は

全て ロー NOと書かれています。

これらは、個人でそしてコミュニテイで安全に神のデザイン通りを生きるために絶対不可欠なやってはならないと言う柱となる教えなのです。

 

6 殺してはならない 人の命が安全に守られるため

 

日本語では”殺す”と言う言葉は一つの言葉であり、違う意味の

区別が見えない言葉ですが、英語では、KillとMurderとは違う意味があります。

この箇所のヘブライ語では、はっきり何を言っているのかの違いが見えます。

ヘブライ語では、”殺す”と言う言葉は違う意味で使われる2つの言葉があります。

 

20:13にある”殺してはならない”と言う言葉は、”ロー テイラツア”と書いてあります。命令形で全部二人称、男性に向けての言葉で書かれていますが、これは男性個人にだけではなく、全ての人に対して話しているのです。

イスラエルが神から言葉=契約書を受け取った代表として神から神の言葉、教えを最初に託されたのと同じく、それは同じ神の教えが全世界の人々、神の声に応答する人達に対して神が同様に同じ事を語っていると言う事と意味が同じです。

個人で神の言葉を聞き、理解して、生きる。その様な個人個人の集合〜コミュニテイが天の国の現実=神の実態、栄光を地上に地の塩世の光として反映する大家族であるからです。

 

”殺す”と言う言葉には2つあります。男性単数で表されている

元の言葉は”ラツア”と言う言葉です。これは、不法に殺す事を意味する言葉です。不法に殺してはならないと書いてあります。

動物に対しても同じです。食する以外、祭壇に捧げる以外の目的で動物を殺してはならない。

こう考えると、スポーツで動物を狩る事自体が目的でするハンテイングは神の教えに反する行為だと分かります。食する、祭壇に捧げる以外、他の目的で動物を殺してはならない。

 

もう一つのヘブライ語は、”ハガル”と言う言葉で、合法的な事に関しての”殺す”と言う意味の言葉です。

どう言う場合に合法的なのかが神から伝えられトラーには書いてあります。福音書にはその様な細かい詳細は書かれていません。

それはそれらの神の教えが福音書以降無効になったからではなく、最初の聖書の部分に完全版として神の教えが記されているのですから、重複してないだけであり、福音書はタナックの抜粋、短い解説、コメンタリーだからです。

1自己正当防衛 2戦争 3死刑 4動物を食するため、神の祭壇に捧げる時に動物を屠殺する事。でもこの時にトラーに書かれた通り、動物を苦しめない方法〜一瞬で息絶える方法で屠殺する事が書かれています。使徒15:20には異教の神々の神殿で非合法に汚れた動物を殺す=絞め殺していたイエシュアを信じた異邦人の罪が書かれています。

”きよくない動物”=人が食するのに相応しく造られていない、

清掃動物は、屠殺する場合に大変苦しむ様な体の構造になっているのです。脳に繋がる動脈が2つあるからです。食するのにふさわしい動物はこの動脈が1つしかなく、切られた時に即死するそうです。食するために創造され、神殿の祭壇に捧げるに相応しい

動物として神が最初からその様に創造されているからです。

 

生贄と訳されていますが、これは”コルバン”引き寄せる、近づく

と言うヘブライ語の意味で表される言葉です。神のもとに引き寄せられる。

ある人が”敵を愛せよ”と読んで、なんでもかんでも受け入れる、なんでも許す、自分を破壊する敵、又は犯罪者に身を捧げる?

などと勘違いしていますが、”敵”とは同じ同胞で自分と意見が違う、相反する敵対する人を愛すると言う意味です。

 

特に戦争などで敵に対して容赦していたら、自分達がやられて

しまいます。イスラエルが約束の地を制覇する時に敵に対して

容赦してはならなかったことが記されています。2014年イスラエルで戦争を体験しましたが、ガザ地区から敵が地下道を掘り侵入して来る、イスラエルを破壊する目的で攻撃して来るので、イスラエルは自己防衛をし続けイスラエルの民、国民全体を守らなくてはならなかった事を体験しました。

神の教えに反して人を殺害して来る人に容赦してはならない。

犯罪者が家の中に侵入して来て無抵抗のままでは家族がやられてしまう、家族を命がけで敵から守らないとならないのは普通の人でも分かる事です。無抵抗にやられるままになる、その様な事を神は許していない、正当防衛、自己防衛をする事をトラーでは教えられているのです。アメリカに住んでいたら正当防衛は誰でも

理解する当然の行為であるのです。

 

よくよくトラーを読んでいると見えてくる事があります。神は神が聖別した人達とそうではない人と境界線を敷いている事が

分かります。

 

申命記14:2 あなたはあなたの神、主の聖なる民だからである。主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。<出エジプト19:4-6>

ここに、神に聖別された人達の食生活に関して、レビ記11章に
記されたことが申命記14章にも記されています。
そして、こう書いてあります。
 
申命記14:21 すべて自然に死んだものは食べてはならない。
町の内におる寄留の他国人に、それを与えて食べさせることができる。またそれを外国人に売ってもよい。あなたはあなたの神、主の聖なる民だからである。子やぎをその母の乳で煮てはならない。
区別していますね。神の民ではない聖別されていない人達は、死んだものを食べても良いと書いてあります。でも同様に異邦人でも神の民に加えられた人は、自然に死んだ動物は食べない!と言う事を神が言われているのです。最後の子ヤギの母の乳で煮てはならないと言う箇所ですが、これは、カナン人が異教の神々に
子ヤギを捧げる礼拝儀式の中にあるもので今現在も行われているものです。この箇所を取ってチーズと肉を一緒に食べてはならないと言う教えを言う人達がいますが、その様な意味ではない、異教の神々の礼拝儀式、高き所の礼拝をしてはならない、彼らの慣わしに従ってはならないと言うことです。その他にも異教の神々に仕える異教徒達は独特な髪の剃りこみをしたりしていました。それらも記されています。当時の異教徒達の慣わしに沿ってはならない教えが書かれています。
 

申命記23:19 兄弟に利息を取って貸してはならない。金銭の利息、食物の利息などすべて貸して利息のつく物の利息を取ってはならない。

23:20 外国人には利息を取って貸してもよい。ただ兄弟には利息を取って貸してはならない。これはあなたが、はいって取る地で、あなたの神、主がすべてあなたのする事に祝福を与えられるためである。

 

パウロが特に信仰の兄弟によくしてあげなさいと言ったのは、パウロの発案ではなく、神の教え=トラーの中にはっきり記されている事、パウロはトラーの教えを人に伝えているのです。

 

ガラテヤ6:10 ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行ないましょう。

 

次の教えも家族、コミュニテイを生きる柱の教えです。

世界が崩壊するのは、夫婦が破綻し、家族が壊れ、隣近所の関係が壊れ、それが破門して行き、世界が壊れて行くのです。

 

7 姦淫してはならない 夫婦が忠実に生きて家族も守られるため。

8 盗んではならない 人の所有物が守られるため

9 隣人に対して偽証してはならない 人の評判を損ね、社会的立場を奪わないため

10 隣人のものを貪ってはならない 妬みが盗みに発展しないため

 

これら全部大きな家族、コミュニテイ、国全体が守られて生きる

ためです。それ以前に、神の似姿に造られた人達は、なになにする事はあなたの性質ではありませんから、それらをしてはならない、それはあなた自身のエッセンスに反する行為であり、それゆえにその様な事をしたら必ず、傷つき和が壊れ、破壊され惨めになりますよ!と言う警告なのです。

 

人は自分の性質ではない生き方を学習することは可能なのです。

だから男性が女性の様に女性が男性の様に生きれば、違う自己像を頭脳で学習する事が起きてしまうのです。DNAは元のまま変われない、全ては自分の頭脳の中で起きている偽物を学習する出来事、錯覚なのです。

誰かが偽物を学習して生きて周りに影響を与えてしまう。ソドムとゴモラ、ノアの時代もそれらの人により民全体が汚されて、

皆自己像を失い別物を生きて、汚らわしいものになり、結局破壊された世界になった、神の裁きが下ってそれらは一層されてしまわない限り解決が出来ない状態になった記録が記されています。

 

続く