角笛の音は神の声 神の声に応答する人達は今何を生きるのか神の言葉で伝えられている | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

1年を締めくくる秋の最後の神の呼び出し日が15日金曜日の日没から始まりました。

秋の祭りは”ヨム テルア”角笛を吹く、テルアと言う言葉は叫ぶ告げ知らせると言う意味の言葉です。

そしてこの日神の子らは皆神の前に出ると言う準備を促されるのです。

ヨム テルアが来る前に、”悔い改め”のモード、軌道修正、

神の教え=トラーに照らし合わせてどの様にズレているのかを

個人個人、そして街全体、国全体が一緒に振り返り、ズレていたら軌道修正をする時期なのです。

 

これがヨハネのヨルダン川での水に浸る儀式の意味だったのです。秋の祭りはやがて来る神が統治する世界が来る事へのリハーサルだからです。この秋の祭りの前、第七の月の前、第6の月から既に祭りに向けての準備期間であるからです。マタイ3章。

 

この日から10日後にヨム キプル=大贖罪日が来ます。

2023年は9月24日の日没から大贖罪日が始まります。

そしてヨムキプルから5日後に7日間仮庵に住まう一年で一番盛大な祭りが来るのです。そして8日目は独立した記念日があり、それは新しい時代、イエシュアが統治する時代に入る事を

意味するものでもあるのです。

考えて実際に祭りを祝って行くと、レビ記23章は全てイエシュアの業、福音の中心、そして預言的祭りであり、エデンから出て

エデンに戻る事を表しているものである事が見えるのです。

 

大贖罪日までを、神の前に畏れを抱いて神と向き合う日々、それは神のトラーに照らし合わせて一年の歩みの中で、何が神の性質

神の教えからズレて生きていたのか深く探り軌道修正をする日々

が今なのです。これは現在でも神の教えは変わらないので、神の

声に応答する人は神が伝える通りをすると言う事なのです。

 

ヨムテルアは角笛を吹く日と訳されていますが、角笛は神の声になぞらえられているものです。最初に角笛、神の声を民全体で

聞いたのはいつですか?シナイ山です。

 

終わりのラッパ、ショファーの音が鳴るとクリスチャンも知って

語りますが、それはどこから来ているのでしょう?

最初と繋がっているのです。最初はシナイ山での出来事です。

 

神はそれまで以前は、民全体ではなく、個人個人に対して同じ

福音、同じ救い、同じ神の教えを口頭で語られて来ましたが、

エジプトを出たイスラエル、そしてイスラエルと同様に神の声、神が語る事、子羊の血を鴨居に塗り神の声に応答した異邦人たちも一緒にエジプトを出て、異邦人もイスラエルと言う聖なる国民

として加えられた事が記されています。

 

その異邦人達は、イスラエルと言う国民として神から呼ばれる

聖なる国民、祭司の国、神の契約に生きる事を選ぶならば、世界の中で神の特別な宝=セグラと呼ばれる人になると神が言われたのです。ちゃんと条件が伝えられています。神の民として生きる

人は、自分勝手な教えを生きるのではなく、神が伝える神の性質通りの大家族として生きる!と言う絶対条件ある事を読めば

理解出来るのです。それぞれ自分勝手に振舞って良いよ〜などと神は言わない、それは神の国、聖なる民とは違うタメー=汚れた生き方に染まってしまうからです。神が言う通りに生きるなら!

とはっきり条件付きである事が記されています。この点を多くの

人が見落として、それぞれ解釈の教えを唱えてそれぞれ勝手な方向、勝手な教えを編み出してしまっているのです。

どうして神の教えを生きるのが嫌だと言う感情が湧くのか考えたら良いのです。なじみがない、神の教えを生きるのは古い律法主義と教え込まれているからです。

人の教えの方がよっぽど律法主義です。一生懸命何かをして神に認められようと必死になるでしょう。

 

神が伝えるのは、神の性質通りに造られている、新しい人が

イエシュアの贖いの血により取り戻されているから、神の性質通りを生きれるよ!と教えてくださっているのです。全然声音が違うでしょう。

 

神の婚姻契約を初めて受け取る時、民全体は神の声を聞いたのです。”角笛”神の声を聞いた事が記されています。

 

出エジプト19:4 『あなたがたは、わたしがエジプトびとにした事と、あなたがたを鷲の翼に載せてわたしの所にこさせたことを見た。

19:5 それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。

19:6 あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう』。これがあなたのイスラエルの人々に語るべき言葉である」。

19:16 三日目の朝となって、かみなりと、いなずまと厚い雲とが、山の上にありラッパの音が、はなはだ高く響いたので、宿営におる民はみな震えた。

 

聖書〜神の言葉は1つとして繋がっていて、最初の部分、

創世記〜マラキと、最後の聖書の約25%福音書以降と二つに

分断して考えると多くの事柄が繋がって見えてこなくなります。

 

聖書は最初から同じ一つのテーマで記されていて、一貫して同じ

内容が伝えられているからです。

エデンに生まれて、エデンから出てしまい、エデンに戻る。

神の中に造られ、神の中から飛び出し、神が最後にエデンに引き

戻す。悪が支配し続けた悲しい世が終わり、神が統治する世界

エデンが訪れる。簡単に言うとこうなります。

 

永遠の中に全てが完結し永遠の中から神が語られています。

そして私達は永遠の中に存在して、この物理的な世界、神の創造の世界の礎が造られる前から”神により選び出されていた”と言う

不思議な事が書いてあります。

 

永遠を考える時に、タイムレス。時空を超えていますから、

円で考えると分かります。西洋思想哲学の様に歴史線上に物事を

考えるのではなく、円。

神のデザインは円です。神の時も巡り巡ってまた元に戻ります。

 

神のデザインされた祭りの”円”です。サイクル。

全ての命は円、サイクルで巡っています。

神の記念日のデザインも同じです。春、第一の月の過越から始まり、そして一年の祭りの最後は秋の仮庵です。

そしてそこから次の春の祭りまでの何の祭りも無い長い期間があるのです。

人の命もサイクルです。人が生まれるのは40週間。

40日40夜で表されるものも40です。

神がデザインした時があります。そして人が生まれて、そして

人生を歩み、成人し次の世代の子供をもうけて、その子らが成長し、老いて天に帰る。

そして次の世代も同じ様に命を生み出すサイクルの中に生きて

そしてここを去る。全部同じサイクルが繰り返され続けているのです。

1週間も7日のサイクルです。神を知らない人でも金曜日になれば止まるモードに入る体験をしているのです。

人が朝起きて夜休む。1日は夕暮れから始まる。神の与える全て

安息から1日が始まる。朝寝て夜起きて仕事をする場合、

体が変な感じがするでしょう。それは神が創造された時に逆流して生きるからです。でもその様な仕事をしなくてはならない時が

ありますが、理屈ではない神のデザイン通りを生きる事が自然で

ある事を体験します。

 

誰でも神の言葉を信じて実行する人達、その人達は古代からずっと神の家族に人種に関わらず加えられて来たのです。

ルツはイスラエルですか?モアブ人の異邦人です。

ナオミの夫はユダ族出身のエリメレフ、”わたしの神は王”と言う

名で、その二人の息子はマハロンとキリオン。

そのルツがナオミの息子マハロンと結婚して、その息子が亡くなるのです。マハロンと言う名前は”病気、病、病的”と言う意味です。聖書に登場する名前は不思議と思いますが、その人の性質

辿った人生を表している名です。

ちなみに、もう一人の嫁オルパはキリオンと言う夫でその人も

亡くなりました。キリオン=終わり、やせ細る、弱るなどと言う

意味の言葉です。両方の息子が亡くなった。

 

でもメシアが出るユダ族の家系、ボアズはエリメレフの兄弟であったので、買い戻しの権利を持つ人であり、後のナオミの夫と

なり、メシアに繋がるダビデ王に繋がる人生む人になりました。

 

聖書にはユダヤ人だけではなく、異邦人も同様に神の声を聞き

応答し神が伝える通りを生きる人は誰でも神の家族に加えられる

事実が最初から最後までずっと記されているのです。ユダヤ人、

異邦人と言う2つ別の契約や教えは存在しない!神の契約、教えは最初イスラエルに代表として与えられただけで、誰でもイスラエルの神、イエシュアを愛する人は同じ神の家族で、同じ教え、同じ神の創造された定められた記念日を祝うと書かれているのです。

神の国は神の言葉を捨てて破棄して人の教えを付け足した宗教の教えを生きるのではないのです。そこには”何々教”と言う宗教、

宗派などもない、純粋な神の言葉=教え=トラー=契約の愛の実態、神の性質、実態を生きる人達で構成されるそれが神が伝える神の大家族の実態、天の国の実態なのです。

 

神の声とショーファー=角笛は密接に繋がっています。

神の声、目覚ましコールです。この角笛が吹かれる時は、

ヨムテルア、大贖罪日、戦争に召集する時、王の到来を告げる

戴冠式を告げ知らせる。

角笛の音でエリコ石垣の壁は崩れたのです。神が命じれば

その通りになる。神の声=言葉で世界が造られた様に神が命じられれば、誰もそれを否定し退ける事が出来ない事は神の言葉で

クリアーに記されています。

 

これから24日の大贖罪日までの間日々、一年の歩み、自分の中にあるズレ、ひずみ、何が自分の今の生き方をまっすぐに歩めない様に妨害しているのか、他者に対して蔑ろにしてきたことはないか?

様々な事、普段避けて見ない様にしている自分の内側を神と共に深く探り考える、10days of Aweと言いますが、神の前に出て神の伝える教えに対して畏敬の念を持って真剣に考え取り組む時期が今の時なのです。

角笛に関する箇所はたくさんありますが、抜粋して書きます。

 

レビ記 25:9 七月の十日にあなたはラッパの音を響き渡らせなければならない。すなわち、贖罪の日にあなたがたは全国にラッパを響き渡らせなければならない。

 

ヨシュア 6:20そこで民は呼ばわり、祭司たちはラッパを吹き鳴らした。民はラッパの音を聞くと同時に、みな大声をあげて呼ばわったので、石がきはくずれ落ちた。そこで民はみな、すぐに上って町にはいり、町を攻め取った。

 

士師記 3:27 彼が行ってエフライムの山地にラッパを吹き鳴らしたので、イスラエルの人々は彼と共に山地から下ってエホデに従った。

 

1 列王記1:34 その所で祭司ザドクと預言者ナタンは彼に油を注いでイスラエルの王としなさい。そしてラッパを吹いて、『ソロモン王万歳』と言いなさい。

1:39祭司ザドクは幕屋から油の角を取ってきて、ソロモンに油を注いだ。そしてラッパを吹き鳴らし、民は皆「ソロモン王万歳」と言った。

 

ヨエル2:1

あなたがたはシオンでラッパを吹け。わが聖なる山で警報を吹きならせ。国の民はみな、ふるいわななけ。主の日が来るからである。それは近い。

 

イザヤ27:13その日大いなるラッパが鳴りひびき、アッスリヤの地にある失われた者と、エジプトの地に追いやられた者とがきてエルサレムの聖山で主を拝む。

<未来預言>

 

58:1「大いに呼ばわって声を惜しむな。あなたの声をラッパのようにあげ、わが民にそのとがを告げ、ヤコブの家にその罪を告げ示せ。

 

ザカリヤ 9:14 その時、主は彼らの上に現れて、その矢をいなずまのように射られる。主なる神はラッパを吹きならし、南のつむじ風に乗って出てこられる。

 

詩篇150 賛美

150:3 ラッパの声をもって主をほめたたえよ。

立琴と琴とをもって主をほめたたえよ。

 

マタイ 24:29-31

また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、
天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。

1 コリント 15:52

というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。

 

黙示録 8-9章

 

黙示録11:15-18第七の御使が、ラッパを吹き鳴らした。

すると、大きな声々が天に起って言った、「この世の国は、

われらの主とそのキリストとの国となった。主は世々限りなく

支配なさるであろう」。