神の子らがエジプトで奴隷として生きて神の民である事実を生きられないまま430年が過ぎた後、神により贖い出されて荒野に
連れ出されました。神はイスラエルと言う民、この中に少数の
異邦人も混ぜられてイスラエルと共にエジプトを脱出していますが、この民を世界の中で”神の宝”とした言われました。
宝である状態は、”無条件”ではなく条件付きです。
神のものとされ、肌身離さず身に付けている神の一番大事な宝としようと。そして神の民とされた人達はこれこれを生きて、これこれを生きないと言う事を最初から1つ1つ、神から教えられなくてはならなかったのです。
トランスジェンダー=性別=ジェンダーを超える=トランスと言いますが、神の子らがイスラエルの神の性質とは異なる混ぜ物を生きることも同じです。神の性質を飛び越えて別物に混じり生きる。
神の子らの性質を超えて別物の性質に混じり合い生きる事を神は
”姦淫の罪”と言っているのです。
出エジプト19:5 それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝=セグラとなるであろう。
なぜ神の言われた事を生きるの?もし神の伝える生き方をしなければ、その生き方は神の性質に属するものではなくなり、別の性質と混じる不純物になり下がり、イスラエルの神に聖別された=神の目的通りに分かたれて生きる存在ではなくなり、そうなれば神のセグラ=一番大事な宝としての実態が失われるからです。
神のものとされた人達は、神との親い関係に留まりたいならば、
そう願うなら神の条件付きコンデイションがある!
神の似姿に造られた本来の自分の性質とは異なる生き方を敢えてしようとする事は愚かであり、神を無視しないがしろにする勝手な生き方であり、神を愛する生き方ではないと神が伝えています。わたしを愛する人はわたしの教え=トラーを生きる!と
イエシュアがトラーを引用して言ったのです。
私が教えられたのは、キリストを信じたら何でもする自由を与えられ古い神の律法、教えは生きなくて良いと教えられ聖書の最初の部分はさらっと通読する程度であり、そこに書かれている内容意味、中身など、詳しく教えられること皆無でした。ヘブライ語で記された聖書を書いてある意味通りに教える事の出来る教師に出会えなかったと言うのが本当の所です。イエシュアが短く解説された教え、その大元は最初の部分=モーセの五書=父の教えであった事など丸で気が付きませんでした。
ユダヤ人が福音書以降を読めばそこに書かれているのはヘブライのトラーである事に気がつけます。でも異邦人が福音書以降を読んだだけで、それらの内容がトラーに記された教えである事には全く気が付けないのが普通です。
その違いは何?最初の部分、大元である教科書の部分、意味を知らないからです。契約=トラーから遠く離れていたとパウロが言った通り、異邦人は生まれつき異教徒、異教の神々の文化で神の言葉=トラーなど聞いて育ってなどいないからです。その様な教育が無いからです。
神の子らとされた事実、その後何をどう生きるのか?と言うことは、神の教え=言葉を学ばないなら分かるわけなどないのです。
花嫁とされた人、エジプトに居る時に文字として記された婚姻契約を与えられたのではない事にも注目すれば見えます。
花嫁として贖い出されて救われた人達が、神のものとされ1つの家族は同じ神の教えを生きる事を学ぶ。
それは単純に人が神の性質通りを安全に生きるためのインストラクションだからです。
これこれをするしないと言う掟リスト的な思考回路で神の言葉を
考えていては見えないのです。
それは宗教的思考回路、偶像礼拝の根です。
これこれをする=神に造られた意図通りだから。あなたはこれこれをしない=それは神の性質通りに造られたあなたの性質に反する行為であるからそれらをする様にあなたは造られていないよと言う事、単純でしょう?
それら全ては一人一人が安全に守られるため!そのためです。
神を喜ばせようとかお手柄得ようとか、義とされようとか
神にアピールしようとかそんなズレた場所=エデンの園を飛び出した状態の肉の頭脳で考える教えです。
聖書のお題目であり柱である10の言葉には一体何が書かれていますか?
神の言葉=トラーのお題目が短く書かれた10の言葉、十戒と訳されていますが10の言葉で1つの完全なる神の教えが書かれています。聖書に記された題目=要約が出エジプト20章
1 あなたのために!わたしの顔の上に別の顔を置いてはならない。<わたしの顔=神の伝える実態教えの上に、人が創作した
異教の神々の教えが混じる教え、宗教の教えを置いたら、神が
伝える真実が見えなくなる、あなたが損なわれ、自分の自己像が不明になり、自分が誰かを忘れ破壊されないためにそれをしてはいけないよ!>
2 自分の手で自分のために刻んだ像を作り拝んではならない
<自分の頭で考えた神々=それを形にして神として崇め、それに仕えて拝むと言う事、本物の神ではないものに心奪われ仕える事をしてはならない>
3 神の名を空虚に唱えてはならない
<みだりに名を唱えるとは、名前=実態、性質、評判、神の実態ではないものを言ったり生きたりしてはならない!神の実態を世界へ空虚=偽物として生きて示してはならない。神の性質実態が現れない教え、生き方をしてはならない。それはイスラエルの神の実態とは異なるから。>
4 シャバット=第七日目(神の創造された記念日全て、聖なる集会呼び出し日=ミクラ コデシュ)を神が言われた通り聖なるもの=神の目的通り取り分け取り扱い生きよ!
これは多くの異邦人が神の教えを直接変更している箇所です。
安息日=シャバットは永遠に日曜日にはなり得ないからです。
昇天以前も以降も同じ。安息日はどうしてあるのか神が説明している通りだからです。第七日目!7と言う意味は完了!神が止まられたのは、日曜日ではなく第七日目!だから人も第七日目に止まる!日曜日は神の暦では永遠に労働日、労働の初日神は日曜日を聖別していない普段の日。
日曜日はローマ教が作った彼らの宗教の記念日です。
神は第一日から創造し6日目で完成したとあるでしょう。どうして勝手に聖書を曲げて読んでるの?と神の言葉の前に自分に問うて神に聞いてみると良いのです。あなたはシャバットをいつ変更しましたか?と。聖霊がその問いに対する答えを永遠不変の神の言葉から教えてくださいます。
神の言葉、トラーをどの箇所でも曲げる行為が何かイエシュアも
はっきりと教えています。天の中で一番軽い無意味な存在となる!と言われました。イエシュアの言葉を信じるか信じないかはその人次第なのです。でも神の言葉は永遠に堅く立つとあります。
シャローム=欠けのある教えは神から出た教えではないから。
6日の間に労働、ビジネス、創造、作業をする。
<七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。>異邦人も同じ、動物も使用人も。聖書のどこに異邦人は第一日目イスラエルは第七日目がシャバットであると書いてありますか?聖書では無い空想、幻想を信じてはならない、神の言葉を
実態がないまま空虚に語ってはならない、神の顔に偽物の教えを置いてはならない。全部繋がっています。神は人種によりそれぞれ異なる別の呼び出し日=記念日など最初から創造していません。
第七日目に止まる理由。主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。
それで主は安息日を祝福して聖とされた。
神は第一日を聖別され止まる日とされてなどいない。はっきりと神の口から出た言葉で事実を語っています。結局問題はエデンの園から同じ!神の言葉を誰かが薄めて曲げて別物を語る!
これが諸悪の根源。
5 父と母を敬え
敬うーカベッド 量ると言う言葉で書かれています。
重さを量る その価値通りの重さ。金の価値を量ると言うのと
同じ量る。
父と母の存在意義価値通りに。虐待する親には?これはまた別の項目で語らなければならない内容なので今は省きます。
これ以降は、してはならない、これらは神の性質通りに造られたあなたの性質とは違う行為だから、これらをする様にわたしは
あなたを造っていないから、あなたはそれをする様に造られていないからするなかれ!と書かれています。
6 殺してはならない 殺す行為=それはあなたの性質ではないからあなたは人を殺してはならない。
7 姦淫してはならない 姦淫する=それはあなたの性質ではないからあなたは姦淫をする様に造られていない。
8盗んではならない 盗む=それはあなたの性質ではないから
盗まない。
9 偽証してはならない 偽証=それはあたなの性質とは異なるから偽証してはならない。
10 他人の所有物を貪り欲しがってはならない 貪る=それはあなたの性質ではないから人のものを貪り欲しがってはならない。
続く