イスラエル最南端の街 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

 

 

 

 

イスラエルだけへの教えと言う教えを信じる場合には、聖書は

 

全部失われたイスラエルの羊だけの教えであると勘違いしてしまいます。イスラエルは大家族の代表、神の教えを正しく世界へ

伝える役割を任された!だから同じイスラエル神=イエシュアを愛する人は同じ神の契約に加えられた聖書に記された事実を

知る必要があるのです。

参加拒否可能!個人の自由、強制はないのです。でもその場合

家族の交わりからずれた蚊帳の外の人間の教えの和に入るだけ

なのです。

 

変形した神の言葉や変化した教えや変化した宗教の教えですが、聖書に記されているのは、永遠不変、神が変わらないと言う性質通り何も変化していない神の言葉だけが記されています。

宗教=人の教えとは本当に神の言葉の真実を覆い隠すものであり、つまづきの岩であり、人の目に真理を見せない目隠しをするものです。だから、聖書だけに戻って神の言葉に聞く、神の言葉だけに語らせて、人の創作した混ぜ物の教えの不純物を取り除く必要があるのです。

 

神が一度”永遠不変”と言われたらそれは永遠に変わらないのです。神の言葉が途中で変わると言う教えこそ神に対しての敵対心なのです。神の言う事を真っ向から人間が否定しているから。

その事実からすべてを考えれば、矛盾した教えが何か聖書=神の言葉からはっきり知る事が始まるのです。

この部分を妨害されているから、宗教の教えで塗り替えられた

教えに覆われてしまって、神が伝えている永遠不変の真実が人に伝わらなくなっているのです。

 

荒野の中に眠る命は、水を得たら必ず芽生えてきます。

何もない荒野は春になり雨が降ると緑の草、花、植物で全く

別の景色を見せてくれます。

大地を通しての絵画的教えです。人は神の生ける水を受けたら

神の言葉をその通りに受けたら生きる様になっているからです。だから神の言葉=命の源をエデンの園から敵は歪めて、汚して

不純にして妨害しているのでしょう。

 

人が迷い出る様に、人が神の似姿通りどんなに素晴らしく出来ているのかその自己像を知らせないために。

サタンは嘘つきでサタンはそれほど人間が妬ましいのだと言う

表れです。

 

イスラエルとエジプト国境にある”葦の海” 紅海と日本語では訳されていますが、真っ青な海のある場所です。

ここの海は珊瑚、たくさんの種類の魚が住んでいて海に潜ると

海の下のガーデン〜”エデンの園”が見えます。

エイラット。この丘の向こうはエジプト。

 

葦の海(紅海)は様々な青色に変化する美しい海。向こうは

ヨルダン。エドム=夜になると真っ赤な色に染まるのです。

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暑すぎてこの猫ちゃん大丈夫? でも動いていました。

暑すぎて動けないのかも。夜でも気温は40度蒸し風呂の暑さ。