荒野の旅路 歩いてみて分かる事 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

今年は多くの場所で猛暑だそうですが、イスラエルはいつの年の夏通り過酷な暑さです。

春から秋の仮庵の祭りまで1度も一滴も雨が降りません。

神の教えに生きている場合、たくさんの雨が降ると神が約束されました。それは神の契約に生きる祝福の印、約束でもあります。

イスラエルにはシュミタ年と言う聖書に記された教えがあります。

第7年目に大地を休ませる。これを実践する農家の人の話を直接

教えてもらいました。

シュミタ年で畑を休ませた人達、果樹園を休ませた人達が、

次の年に豊作になり何倍もの収穫があったと言う事を言っていました。神は神の言葉を尊重し、約束通りに生きる人を絶対に失望させない、約束裏切らないお方である事を実際に証明して下さいます。

 

神はこの世界の全てを造られて時も造られた。世界の全ては神の

言葉により造られたとあります。

 

神は上と下に水を分けられたとあります。ラキア=Firmament=

天空と言う言葉で訳されていますが、水で囲われて空が覆われているとあります。

 

神の創造された世界を見たら人は誰も神が居ないと言い訳が出来ないとあります。神の創造物を観察したら、神の創造物を通して神はなにがしかの、神の性質、本質を人に伝え教えているものである事が聖書には記されています。

 

聖書を字面だけ読んでいても見えない事が沢山あると言う事が

分かって来ます。

ヘブライ語聖書を教える友人は、イスラエルの地形、地理が分かると聖書がもっと見える、だからそれらを知る必要があると言って毎回詳しく教えて下さいます。

そして聖書に登場する人の名前、地名だけでも様々なメッセージが込められています。神は神の言葉の全てを通して人に何かを

教えています。神の言葉のどの部分、一点一画でも捨てる事、

捨てる様に教える事、神の大事な教えを人が無効とし、直接ドブにゴミ箱に捨てていると言う事でもあるのです。

この行為する様に進める教えに対してよくよく考えた方が良いのです。

 

地形や自然気候だけでも、イスラエルに居ると分かる事があります。水が無いと死ぬ。ここに居たらすぐに脱水になってしまう。

水をどんどん補給し続けないとならない。

そして夏の日照りに荒野を旅したイスラエルと少数の異邦人達は

神が送られた”雲の柱”の影で守られていたのです。

 

こんな地形、大地で人生の大半旅して過ごす。実際にこの場所に

立ったら様々な事が過酷である事を初めて体験します。

でもその中で神は日々必要なすべてを与えて導き続けて下さったのです。

でも実際に生きるのが大変、困難に直面したら元の場所に戻りたい〜と多くの人が呟いて前にある神の祝福約束の結末を待つ事が

出来なかったとあります。

 

ノマッド生活〜遊牧民、流浪の民。テント生活で移動しながら

生活している人は今でもいますが、実際にその様な生活をする事を想像出来ません。スーツケース生活でちょっと体験出来ますが

家の屋根の下で守られて生活しているのと、外のテント生活とは

全く違います。

 

聖書を読んでいて実際にそれらを過ごした人、様々な体験をした人の事を重ね合わせて自分の中に納得するには、それらの片鱗を

体験する事で初めて分かる事あります。

 

乾いたら水を慕い求める、生ける水に乾いたら生ける神を求め

始める。

乾きを実感して本物の創造主を求める機会を必ず神は与えている

でしょう。

 

荒野の40年。神が共に居た。人々は神の臨在を直接見て、神の臨在がミシュカンに常に宿続け、神が語り続け毎日を過ごした。

でも不信仰で何も学ばない最初の世代はすべて死に絶えた。

ヨシュアとケラブ以外の人は皆約束の地に入れなかった。

重たい教訓です。

 

神の教え、言葉は人が救われるためのものでも、贖われるためのものでもなく、神が人に伝える人間の生き方を贖われ救われた人達に与えられたものです。花嫁とされた人達が、神の家族として

地の塩世の光としてどの様に生きるのか、それを教えているのが

神の言葉なのです。鎧兜と同じ人がこの地上で安全に神の中に守られて生きるその実態を神が人に教えているのです。

エデンの園を飛び出しても、神の性質通り造られた人は、神の性質通りに沿って生きる事は何1つ変わっていないからです。

 

この点を異邦人の世界では多大に誤解していると思います。

なぜなら神の教えに古い新しい別種のものが存在し、古い教えに

戻ることは律法に戻り悪いことだ〜古い教え終了〜信仰により生きるのだ〜と言いますが、古代の人も同様に見えない神、まだ見ぬ同じ救い主を信仰により先取りして内側にイエシュアが住まわれた実態を生きていた事が聖書には記されているのです。

救いの方法=イエシュアは1つしかないからです。

 

歴史線上に物事を考える異教徒思想=西洋哲学思想ではなく、

永遠の中にすでに完結しているイエシュアの業を、永遠から物事を伝える神の思想と同じく考えれば聖書は見えてきます。時空を超えて神が同じ真理を語っている!と言う事実に戻れば見えます。歴史のどの時点でもどの人種でも誰でも同じ神の贖いの業

の実態を受け取り生きているその事実が聖書には記されているのです。その記述に盲目であり、学ばないで見えないだけなのです。イエスキリストは昨日も今日も永遠に同じ変わらないとクリスチャンは言いながら実際にはそうとは信じていない、変化する神、変化する神の言葉と言う人の教えを信じているのです。

神の言葉は神ご自身、イエシュア=トラーである事実を見ていないからだと思います。言葉=神とヨハネも福音書の冒頭で記しています。

 

異邦人の世界で教えられるのは、2000年前まで救いや許しや贖いや、聖霊も人の中に存在しないと言う教えをしていますが、聖書には最初から人の中に聖霊が住まう事、イエシュアが最初の最初から記されているのです。

神の伝える教え=人間の生き方が2000年前から変わったと勘違いしているのです。

道は1つ、救いは1つ、永遠から永遠までイエシュアを通して以外誰も人は父の元に戻る事が出来ない!!!!と言う永遠の事実が記されている、イエシュア以外に神の元に修復される道はない

と聖書には聖書から記されている!それが見えないだけなのです。だからトラーには何が書かれているのか知る必要があるのです。太古の人達はトラー預言書諸書だけしかない、それらを通して救い主を知っていた事実がはっきりと記されている事を

発見すれば見えます。

 

聖書を読んで、救い主イエシュアが地上で何を教え何を生きたのか読み取り理解すれば見えます。

何をイエシュアが話していたのか、教えていたのか、生きていたのか、それはモーセの五書を知らなければ見えない世界です。

なぜなら、イエシュアが語られ教え生きた内容は100%父の

言葉=シナイ山で与えられた婚姻契約=モーセの五書に記された

神の永遠不変の教えだからです。

山上の垂訓を読んで、イエシュアが申命記のどの箇所を話しているのかと直ぐに分かる異邦人は少ないと思います。

イエシュアは父の教え以外しない!と言われた通り、その意味は

モーセの五書に記された教え以外別の教えなどしない!と言って

いることをはっきり理解しないとならないのです。

 

聖書にはモーセの五書以外に別の変化した新しい教えは書かれていない!!!と言う事実を知るには、聖書を最初からちゃんと

書いてある意味通りに学ぶ!と言う事を端折ったら見えないのです。聖書の最初を学ばない場合には、聖書に何が書かれているのかぼやけて見えないし、人が言う様に神の言葉は変化したと言う

偽情報を信じ込んで騙されてしまうのです。

だから最初の部分を知るユダヤ人達には、福音書以降を語る

異邦人は別の宗教を語っていると誤解しているのです。

 

でも彼らユダヤ人が福音書以降を本当に読めば、そこに書かれているのは100%モーセの五書でありそれに反した教えなど

書かれていない事を発見するのです。

そしてあるメシアを信じないユダヤ人ラビが福音書以降を読んで”イエシュアは最高であり偉大なトラーの教師コメンテーターである”と言ったのです。

 

1世紀の人達、福音書以降に記されて登場する人たち全ても

イエシュアが来られる以前と同じ教えしか無い、別の教えが出たなどとも考えていない、新しい教えをイエシュアがもたらした!などと考えている様な人は一人も居ない!と言う事実をはっきり突き止めたら聖書に書かれている内容が一貫している事を知る

戸口に立てます。

 

異邦人が語る教えは、神の言葉に反し敵対し神の言葉は無効になったと神の言葉を無視する様に教えています。

どうして神の言葉が終わりなどと言う異邦人が考えた教えを信奉しているのでしょう?と考えたら良いのです。それは神の口から語られた教えではなく、人間の教えなのです。神が神の教えを

忘れよ!などといつ教えましたか?

寝ても覚めても忘れるな!代々子孫に教え伝えよ!と言われたではないのでしょうか?

 

申命記 6:1 これはあなたがたの神、主があなたがたに教えよと命じられた命令と、定めと、おきてであって、あなたがたは渡って行って獲る地で、これを行わなければならない。

 6:2 これはあなたが子や孫と共に、あなたの生きながらえる日の間、つねにあなたの神、主を恐れて、わたしが命じるもろもろの定めと、命令とを守らせるため、またあなたが長く命を保つことのできるためである。

6:3 それゆえ、イスラエルよ、聞いて、それを守り行え。そうすれば、あなたはさいわいを得、あなたの先祖の神、主があなたに言われたように、乳と蜜の流れる国で、あなたの数は大いに増すであろう。

6:4 イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。

6:5 あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。

6:6 きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、

6:7 努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。

6:8 またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、あなたの目の間に置いて覚えとし、

6:9 またあなたの家の入口の柱と、あなたの門とに書きしるさなければならない。

6:10 あなたの神、主は、あなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに向かって、あなたに与えると誓われた地に、あなたをはいらせられる時、あなたが建てたものでない大きな美しい町々を得させ、

6:11 あなたが満たしたものでないもろもろの良い物を満たした家を得させ、あなたが掘ったものでない掘り井戸を得させ、あなたが植えたものでないぶどう畑とオリブの畑とを得させられるであろう。あなたは食べて飽きるであろう。

6:12 その時、あなたはみずから慎み、エジプトの地、奴隷の家から導き出された主を忘れてはならない。

6:13 あなたの神、主を恐れてこれに仕え、その名をさして誓わなければならない。

6:14 あなたがたは他の神々すなわち周囲の民の神々に従ってはならない。