1世紀後半、神殿崩壊前後にローマ帝国による、モーセの五書を
生きる事を禁じる圧力がユダヤ人に対してかけられ、イエシュアや弟子達が継承し教えて生きていた神の教えを生きる事を完全に禁じられてしまいました。
これはユダヤ人への”勅令”ですが、同時にユダヤ人同様にモーセの五書を生きていた異邦人達にも同じ様に制裁、刑罰、重税が
かけられたのです。
何を信じて実践していても、そんなのどうでも良いじゃない?と思いますよね。どうしてそんな人の信仰を規制する勅令なんて
出されてしまったのでしょう?それ以前もイスラエルを支配していたそれぞれの帝国は何を一番恐れていたと思いますか?
マカバイ戦争が起きた理由も、ギリシャ帝国がイスラエルに対して、彼ら異教の神々の信仰へ同化し、イスラエルの神の聖別を汚し、神殿に汚れた偶像、祭壇には汚れた動物、豚を捧げその血で汚し、イスラエルにも同様に汚れた動物を食する事を強要し、
彼らの神々へ仕える事に賛同し同化する様にイスラエルを先導して行ったのです。裏にいるのはサタンです。
国が恐れる事、それは”庶民、群衆によるクーデター”です。
宗教で1つにまとめれば一丸となれる。その思想は4世紀ローマ帝国、皇帝コンスタンチヌスもやった事なのです。宗教で人をまとめる事が出来れば、帝国を幅広く拡大統治し、民衆からの支持を得られる。だから、土着宗教=太陽神信仰の人々に受け入れられる、新しい宗教西洋宗教を作り、イスラエルの神の教えを数々曲げた新宗教を作り、太陽神信仰の日、サンデーを新しい正式な礼拝の日と制定した!やる事はいつも同じなのです。
イスラエルの神の教え=異物の馴染みの無い教えに対して庶民は抵抗するでしょう。
汚れたもの、偶像に交わる、汚れた動物を食べる事を許可する
皇帝の日、太陽神の日に礼拝日を変更した。イスラエルの神の記念日、祭りを廃止した。異教徒に対して門戸を広げ、異教徒達を新しい宗教に賛同させたのです。
日本でも最近そんな事件が明るみになりましたね。ある宗教の人々の支持を得れば大多数の有権者を獲得出来る!それと同じ事
です。
これは現在のとある国でも敏感に注意を払っている事ですが宗教を認めないのは、大勢の人々が集うのを恐れているからです。
その理由は”群衆が結託し政府に反逆する”事を常に恐れているからです。だから集まる事を禁じるているのです。そして、他の宗教の裏にいるのはサタンですから、常に神の子らの実態を生きる事をあらゆる手段で妨害して来たのは歴史の中でも明らかな事実であります。
神の契約=トラー、そして”イスラエルと言う国” そして神の子ら
これはワンセットになっているのです。そのどれをも攻撃するからです。
世界がこれほどまでに歴史の中で常にイスラエルを潰そう潰そうとしているその本当の意味を理解したら事実が見えてくるのです。エデンの園から同じです。
神の言葉=契約を壊し歪め潰し、イスラエルの民を滅ぼし、そしてイスラエルの国を奪い取る。でもこれらは結局最後には失敗に終わるのです。だから神の言葉=約束=契約を潰そう!と言う力、教えはイスラエルの神から出ているものではなく、サタンから出ている事は歴史の事実からも、神の言葉が伝える事からも明らかな事実なのです。
イスラエルも近隣国から常に攻撃されているのは、近隣国の彼らの宗教によればイスラエルは存続してはならないと書かれていて
存続していると言う意味は、彼らの経典に誤りがあると言う事になってしまうからです。どんな手段を使ってもイスラエルが滅びる事が彼らの神のみ心だと信じてそう行動しているからです。
人が騙される方法は、偽情報を聞かされてその嘘を信じてしまう事です。
偽情報は明らかに嘘!と分からないものなのです。”嘘は大きければ大きほど騙される”とヒットラーが言った様に、そしてナチのSSが”調べない人は騙される”と言った様に、一方的に意図的に流される情報だけを聞いてなんでも鵜呑みにする場合には簡単に
騙されてしまうと言うことなのです。
半分嘘半分本当エデンの園のあの嘘と同じです。その混ぜ物の情報が人に受け入れられ、広く世界中に拡散され浸透し伝統で長い年月人の思想、実践に定着してしまえば、いくら神の言葉の真実を聞いても、神の言葉の本物が真実であるとも認識できず、偽情報を基準に全てを考えて行動してしまう事が起きるのです。
人が人を誤解するのはその人に対しての誤った情報を聞かされて
鵜呑みにするからです。同じ様にイスラエルの神に対して、神ご
自身が神の言葉で伝えている事、神が作られた人の生き方を神の言葉を通して教えているのに、人がその神の言葉を曲げたら、
付け足、差し引き、変形したら、それは人間思想創作の単なる偽情報であり神の伝える真実などではなくなってしまうのです。
コロサイ2:16−17のリビングバイブル日本語訳でも分かる
通り、言語に書かれた言葉の意味、内容とは違う、人の誤解を与える翻訳は完全に訂正されなければならないものなのです。
神の言葉、神が伝えようとしている意図、意味を正確に反映しない翻訳で、人に対して神の言葉は今は意味が無くなったとか
ある人種に対しては無効であるなどの嘘で誤解を与え続けているからです。
食べ物に関して神が教えた事はエデンの園から同じなのです。
神の言う通りに肉体に頭脳に相応しいものだけ取り入れて生きると言う事、それは聖別の教えに繋がっているものです。
神は神の時、人の衣食住を通して聖別を伝えているからです。
ある人がユダヤ人だけ今も食物規定が有効で異邦人には関係無い
と言いますが、どの人種であれど、同じ人間として造られた構造は異なる事はなく、どの人にも毒は毒、清掃動物である汚い動物は汚い、神の聖別の定義は人種別に変更などないからです。
それとも異邦人とユダヤ人とでは人間としての体の構造が違うとでも言うのでしょうか?動物が2000年前に進化変化したとでも言うのでしょうか?もし食規定が人種別であるなら、聖別の
定義も人種別、全部ダブルスタンダードであると言う事になり、それはイスラエルの神が伝える教えとは全く異なる宗教の教えなのです。
ネズミや豚やゴキブリ、貝が清掃目的で造られた汚れた動物であるならば、それはユダヤ人にも異邦人にも同様に汚れた動物である事に何ら変わらず、食するのに適さない、人間が食する目的で作られていない動物であり、同時に神の家=神殿の祭壇に捧げられるに相応しく無い汚れた動物=タメーである動物である事は永遠に変わらないのです。それらの動物を神に捧げる事、人が食することは忌まわしい、最大に神が嫌悪される荒廃した生き方!と聖書には書いてあるのです。読む人がそれを認識せず、認めず、無視して、盲目のまま神の伝えている真理に全く気が付いてないと言うだけの事なのです。
神の教えを勝手に変えるのは人間であり、神が変える事はないのです。神は神の伝えている永遠の真実、真理を歴史の途中で変更していません。
原典聖書、そして聖書が書かれた思想、ヘブライ思想、当時の
文化、社会背景など様々な事実を駆使して、当時の人達が聞いて
理解していた通りに戻る必要があるのです。特に翻訳聖書だけを
読んで、しかも人の編み出した思想=神学で聖書を解説されてしまっているので、神の言葉に対しての本当に誤った解説が聖書であると信じ込まされてしまっているからです。
ヘブライ語で書かれた聖書は、翻訳聖書の様に言葉や文字を変えたり、差し引き付け足しなど決して出来ない、オリジナルのもの
です。1つしかない。翻訳は無い。他の言語は翻訳聖書しかないので、言語ごとにたくさんの無数の別の翻訳があるのです。
ユダヤ人の世界でも、タナックは人が手を加えて中身を変える事などもちろん出来ませが、でもトリックはあるのです。人の教えで書いてある中身を解説してしまうと言う同じトリックです。
書いてある意味は変えられない、でも神の意図とは異なる解釈を作ってしまう事は人には出来ます。
その事をイエシュアもパウロも警告しています。
例えば当時のラビ達の教え=口頭トラーをパウロは、”律法の行い”と解説しています。同じ人の教え、律法の行いパウロが言う人が編み出した教えを、イエシュアは”先祖の伝統の言い伝え”と解説しています。
それらは”父の教え”=トラー=シナイ山で与えられた婚姻契約=モーセの五書とは異なる人の教えであり、人が考えた思想を指して”律法の行い、先祖の伝統の言い伝え”と話しているものなのです。”口頭トラー”と言うものです。それら口頭で語り継がれた教えが1180年にミシュナと言う書物にまとめられ、後にタルムードと言う書物が出来上がり、ミドラシュと言うタイトルを付けた書物になっているのです。それまでは口頭で言い伝えられた先祖の言い伝えなのです。
イエシュアが当時のラビ達や宗教のリーダー達と議論している箇所を読んで、あたかもイエシュアがモーセの五書の教えを否定し
”わたし=イエシュア”が伝える新しい教えを聞きなさい!などと
言っていると勘違いしていましたし、多くのクリスチャンも同じ様に、古い教え=律法=モーセの五書の教えをイエシュア自身が否定して新しい教えをイエシュアが伝授していると疑いもなく信じているのです。
でもそんな事天地がひっくり返ってもあり得ません。イエシュアの言葉からもそれは事実確認が取れるでしょう。トラーを破棄するために来たのではない!成就=固く確立して正しく神の教えを
伝え生きるために来た!と言っているのに、その箇所を、イエシュアは神の教えを成就=終わらせた!などと解釈しているのですが基本的な言葉の理解さえしておらず、勝手な思想で、成就=
終了!などと解釈している、そんな誤解した聖書理解の雪だるまが、異邦人の宗教の教えの中でずっと作り続けられてしまっているのです。
神の言葉を塗り替える教えは、神が伝えるオリジナルの教えでは無い!と言う大前提があるからです。
”伝統の言い伝え”とは、異邦人の世界で作り上げられた教理や
神学に対しても同様に言える言葉です。伝統で語り継がれているけれど、聖書とは異なる教え、思想があるのです。
それが置換神学であり、デイスペンセーション神学であり、
西洋宗教の中にある様々な教義、教理、神学思想なのです。
コロサイの手紙の全体を書いてある通りに読めば、パウロがモーセの五書を否定している教えなどしてる訳も無い、いやパウロは新しい西洋宗教の神学を作ったなどと誤解されているから、まずその前提を全部捨て去り、パウロは生涯100%モーセの五書の支持者であり実践者であり、諸外国でも人種差別なく同じトラーを教えたのです。
パウロを誤解している内容は、”割礼”に関しての解説、又は
コロサイの中にある神の祭り、食べ物、飲み物、それらを読んで
パウロが話している意図を全く誤解して解説している注解ばかりを聞くので、モーセの五書の教えをパウロが否定していると信じ
こむのです。そうするとパウロが使徒21章で公に宣言した
100%モーセの五書を生きていると言う証明の意味を、聖書に書かれている事実を人間が否定する事になるのです。
神の使徒がモーセの五書を変える、否定する教えをする!と言う
ならば、それは神の言葉を伝えるメッセンジャーでは無くなります。パウロの書簡は聖書ではなくなるのです。
まずパウロが2:8で何を説明しているのでしょうか?
コロサイ2:8 あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。
続く