人の教え 人が神になってしまう理由 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

古代イスラエルが異教の神々を信奉する異教徒達と混じり合い、

高き所で混ぜ物の教えの礼拝した事が聖書には記されていますが、その原因はエデンの園で神の言葉と蛇の言葉を混ぜた事、

神の言葉をその通りに実行しなかった事によるのです。

 

人が作った神の言葉を曲げる教えとは、その教え自身が”神”に

なってしまい、人の教えと言う偶像を拝むと言う事をしてしまうのです。

人が神の言葉=教えを退けると言うその行き着く所は、神の忌み嫌うもの=混ぜ物偽物、聖別を汚すもの、そして人間が神になってしまうと言う事が起きてしまうのです。

 

”わたしが聖であるから、あなたも聖でなければならない”

神が言われたその生き方は、聖別=神の意図通り目的通りに

ぴったりな生き方である、それが本来の実態だからです。

人間が考えて勝手に解釈定義した聖別は神の前に意味がない、

神の聖別ではない、神が伝える通り、それが神の伝える聖別の

定義、意味だからです。

 

今地の中に隠されていた世界中の悪が表面に一気に吹き出て来て神の伝える人間の性質、生き方を真っ向から反対する生き方が

推奨されてしまっています。善が悪、悪が善、悪が大手を振るい

闊歩する。正しい事、神の正義は否定され、汚れたもの、汚れた行為で人の頭脳や環境が汚染されてしまっているのです。

 

”自分が考える望む性別、自分で自由に性別が選べる”と言うことを子供にも教えて行くと言う事が政府により決められてしまう。

幼児性愛も合法になると言う。子供に5歳から性教育をし、

自分の性別を選ぶのは自分と教え、幼い子が性体験をするのを

推奨する、狂った世の中、サタンが地を巡り、餌食を探し続けているのです。神の言葉=教え=聖別と言う鎧兜を脱ぎ捨てた人達へ、そしてイスラエルの神の名、イエシュアの名を使う人達も同様にターゲットになっているのです。

自分が感じる”年齢” ”性別” 果ては自分が自分は”猫”であると思うならその人は猫?神の言葉を捨てた成れの果てが今の状態なのです。安全に住めない場所になった、ソドムとゴモラ、ノアの時代の様になる路線を突き進んでいます。

 

でも神の教えは永遠に変わらないのです。私達の命を保護する

神の言葉は永遠に変わらない、だから信頼出来るのです。

 

レビ記18:2 「イスラエルの人々に言いなさい、『わたしはあなたがたの神、主である。

18:3 あなたがたの住んでいたエジプトの国の習慣を見習ってはならない。またわたしがあなたがたを導き入れるカナンの国の

習慣を見習ってはならない。また彼らの定めに歩んではならない。

神からこの様にはっきり警告されている事が記されているのに、神の教えを退けるとは、どう言う意味なのか?それは神が警告している事が分からなくなってしまうと言う事なのです。

神の教えが分からなくなると言う事は、自分が誰か分からなくなると言う事なのです。

エジプトの国=異教の神々、その代表”太陽神”ラー。太陽、日、サンを拝む、太陽のシンボル、太陽神の祝い日サンデー。そしてエジプトの王への裁きは、初子でした。初子の死とは、命を生み出さない生き方が絶たれる!肉体的に子孫が絶たれると同時に

その教えも絶たれるべきである事への裁きだったのです。なぜ最後がエジプトの王への裁きなのか、それはエジプトの王は、神々の上に権威があるのだとしていたからです。9番目の裁き=太陽神ラーへの裁き。10番目エジプトの王=神々の上に権威があると言う存在へ、神が権威であり人間は神ではない事を、イスラエルの神が裁き持って証明し偽の主張に判定を与えたのです。

 

18:4 わたしのおきてを行い、わたしの定めを守り、それに歩まなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。

18:5 あなたがたはわたしの定めとわたしのおきてを守らなければならない。もし人が、これを行うならば、これによって生きるであろう。わたしは主である。

 

翻訳におきて、定め、戒めなどと書かれている言葉は、すべて

トラー=モーセの五書=父の言葉、教えに書かれた神の教えを

表している言葉です。福音書以降も言葉の定義は同じです。聖書は100%モーセの五書=父の教え=トラーを土台に語っているからです。それをガードし、神の言葉の実態に歩め!と言われているのに、クリスチャンの教えの世界では神の言葉は大部分古くて無用で律法主義の恵の無い生き方だから捨てよ!と教えているのです。

置換神学や、デイスペンセーション神学は聖書の事実とは違う

人の考え、思想、教理であり、神の教えではありません。

それらの教えが人の上に立つ”神々”になってしまってはならないのです。神の純粋な言葉に戻り、神が伝えるイスラエルの神の性質永遠不変、イスラエルの神の言葉=永遠不変と言う真実に戻らないとならないのです。

置換神学や、デイスペンセーション神学が語る人の思想に照らし合わせれば、神は神の言葉、約束や契約を守らないいい加減な神!と言っているのですが、神は神の言葉=契約に対して忠実な神であり約束を破らない!と伝えている事と真逆な思想を語っている神学なのです。それらは所詮人の教えなのですが、その教え自身が”神”に成り代わってしまっているのです。その人の教えと言う神を信奉する事が宗教の教えに仕えると言う事なのです。

 

18:21 あなたの子どもをモレクにささげてはならない。

またあなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。

 

子供を捧げるとは、捧げますと言う事ではなく、子供を火の中を通し焼き尽くす生贄にしたり、崖から突き落としたりその様な事をして子供の命を”モレク神”にイスラエルが捧げていた事が

書かれているのです。それをするなかれ!と言う警告なのに

子供を生贄として神々に捧げた、これは”神の言葉を無視”する事

神の教えと別の教えを混ぜる事からすべてが始まっているのです。

18:22 あなたは女と寝るように男と寝てはならない。

これは憎むべきことである。

 

これ今や世界を覆うLGBTQに対する神の教え、神の宣言、警告である事を知らないクリスチャンもいるのです。何でも受け入れることが愛だ〜?そんなの神が語る愛などではないのです。人が神のデザインから外れて生きたら、必ずソドムとゴモラの様に

周りを同様に汚染します。

考えただけで気持ち悪い、気色悪い、吐き出したくなる、その様な生き方を推奨するとは、サタンの教えを語っている事であると言う事に先ず気が付いて無いからなのです。

神の語る愛とは、神のデザイン通りを生きる共同体、互いの命

シャロームを保護し、ガードし生きる事、その詳細がモーセの五書に書かれているのに、それを捨てているから何が神の伝えている人間の生き方なのか、神の子らのアイデンティティなのか

分からないのは当然の事なのです。

 

18:23 あなたは獣と交わり、これによって身を汚してはならない。また女も獣の前に立って、これと交わってはならない。

これは道にはずれたことである。

<この様な事からも人と動物の間を行き交う病気が環境に出る>

18:24 あなたがたはこれらのもろもろの事によって身を汚してはならない。わたしがあなたがたの前から追い払う国々の人は、

これらのもろもろの事によって汚れ、

18:25 その地もまた汚れている。ゆえに、わたしはその悪のためにこれを罰し、その地もまたその住民を吐き出すのである。

<エデンから人が吐き出されたのは、その地に生きる状態ではない相応しく無い状態になって吐き出されたのです。>

 

18:26 ゆえに、あなたがたはわたしの定めとわたしのおきてを

守り、これらのもろもろの憎むべき事の一つでも行ってはならない。国に生れた者も、あなたがたのうちに宿っている寄留者もそうである。

神は最初からユダヤ人も異邦人も区別していません。神の子らとして神の宮として生きるなら、その人達は神の性質通りを生きる!と言う事を神がはっきりと教えています。今は何でも許される、汚れた動物でも血を飲んでも、何でも食べて良い、人が自由に選んだ日にどの日にでもシャバットととして良い、この教えこそが、人間が神になると言う道筋を作っているのです。神が伝える神がデザインし創造した生き方ではない、人間が勝手に決める=人間=神=人間至上主義思想です。神の教え、言葉を否定し捨てる行為は、人間が神の上に立つ事をする、人間が神に変わって勝手に物申す、人間が神になる、神の領域を侵害し破壊する事なのです。

バベルの塔の人々の思考回路そのものなのです。

 

18:27 あなたがたの先にいたこの地の人々は、これらのもろもろの憎むべき事を行ったので、その地も汚れたからである。

18:28 これは、あなたがたがこの地を汚して、この地があなたがたの先にいた民を吐き出したように、あなたがたをも吐き出すことのないためである。

18:29 これらのもろもろの憎むべき事の一つでも行う者があれば、これを行う人は、だれでもその民のうちから断たれるであろう。<ソドムとゴモラの実態を招かないために、周りが汚染されないため、汚染を生きる人は追放されてしまうのです。羊の囲いの中に狼を留め置くとは愚かな行為だからです。>

18:30 それゆえに、あなたがたはわたしの言いつけを守り、先に行われたこれらの憎むべき風習の一つをも行ってはならない。

またこれによって身を汚してはならない。わたしはあなたがたの神、主である』」。

19:1 主はモーセに言われた、

19:2 「イスラエルの人々の全会衆に言いなさい、『あなたがたの神、主なるわたしは、聖であるから、あなたがたも聖でなければならない。

神が聖別を教えているその内容はレビ記にびっしり書かれています。レビ記なんて殆ど読んだ事がない、何が書かれて何を意味してるのか分からないと言われますが、その中には聖別された実際の日々での実践、生き方が記されています。

1つ1つの意味を学べがクリアーに神の奥深い聖別された麗しい生き方が見えてきます。

1章〜22章は、場所=人、物、動物、神の宮に関して。

23章〜以降は、”神の時”に関しての聖別が記されています。

神の聖別された特別な日がいつなのか、はっきり記されています。人間がそれを変えても、神の側では神の聖別された日を

永遠に変えません。変えていないし、今も同じなのです。

 

19:3 あなたがたは、おのおのその母とその父とをおそれなければならない。またわたしの安息日を守らなければならない。

わたしはあなたがたの神、主である。

 

神の安息日=第七日目です。安息日=聖日=日曜日!と西洋人が言い換えて実践しても、それは単に人間が決めた主の日であり、創造主が伝えている事とは全く異なるのです。宗教の教えの世界の伝統、決め事で実践され継承されているだけです。この事実に気が付いて、聖書に書いてある通りに読んでみれば、安息日は第七日目以外に変更された記録もないし、そんな事あり得ない事なのです。神は嘘つきではないからです。

それなら創造の最初からやり直し、神が第1日目に止まり、

2〜7日目で創造されたとしないとならないのです。

そんな事有り得ないのです。神の言う事を無視し過ぎているのです。神の言葉のどの部分も人が手を加えてはならないのです。

 

誰かの作曲した曲でもその作曲者に取れば、他者がどの一音でも変更してはならないと主張するのです。完成された曲が作曲者の意図通りだから、他人が変更出来ない。人の書いた書物でも同じです。それなのにどうして神の言葉に人間が手を付けて変更して良いとするのでしょう?神は神の言葉に付け足し、差し引きするな!と最初から警告しているのです。わたしの顔=実態の上に

別の顔=人の教えを置いてはならない。その理由は、私達が

神の伝える言葉、教えの意味を正確に正しく理解出来なくなり

人の教えを神としてしまう事が起きないためなのです!

あなたのために!とヘブライ語では書いてあるのです。あなたのためにわたしはあなたに伝える!と神が言っているのです。

 

19:4 むなしい神々に心を寄せてはならない。また自分のために神々を鋳て造ってはならない。わたしはあなたがたの神、主である。<宗教、占い、口寄せ、霊媒〜裏にいるのはサタンだからです。サタンと繋がってはならない。グレーゾーンの霊なんて無いのです。黒か白か。イスラエルの神=聖霊か、後は全部悪霊です。半分良い霊なんてないからです。>

 

19:26 あなたがたは何をも血のままで食べてはならない。

また占いをしてはならない。魔法を行ってはならない。

19:28 死人のために身を傷つけてはならない。また身に入墨をしてはならない。わたしは主である。

<クリスチャンでも彫り物をしている、今や町を歩けば体中

彫り物をしている人を見るのです。子供にもシール状のtatooが

作られ、次世代に神の言葉に反する行為をする事を自然に教えているのです。>

19:29 あなたの娘に遊女のわざをさせて、これを汚してはならない。これはみだらな事が国に行われ、悪事が地に満ちないためである。

19:30 あなたがたはわたしの安息日を守り、わたしの聖所を敬わなければならない。わたしは主である。

<わたしがあなたの主であり、あなたがどの日をシャバットとして生きて祝うのか伝えよう!と書かれているのです。それを無視するのかしないのかそれは個人の選択であり、神の言葉は今日も変更されていないのです。>

19:31 あなたがたは口寄せ、または占い師のもとにおもむいてはならない。彼らに問うて汚されてはならない。わたしはあなたがたの神、主である。

19:33 もし他国人があなたがたの国に寄留して共にいるならば、これをしえたげてはならない。

19:34 あなたがたと共にいる寄留の他国人を、あなたがたと同じ国に生れた者のようにし、あなた自身のようにこれを愛さなければならない。あなたがたもかつてエジプトの国で他国人であったからである。わたしはあなたがたの神、主である。

19:37 あなたがたはわたしのすべての定めと、わたしのすべてのおきてを守って、これを行わなければならない。わたしは主である』」。

 

続く