世界で唯一の場所 イスラエルに神の家を造らせた意味とは 2 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神はイスラエルを選び出し、神の国民を造りました。最初に一人の異邦人アヴラハムを呼び出し、アヴラハムに与えた契約、

それはシナイ山の契約の中に含まれるものですが、全ての国民の父=代表=イスラエルを通して全世界に同じ祝福、福音を与える役割を神はイスラエルに託したのです。1大家族の長男。

そのトップ=長子がイエシュアです。

アヴラハムも元々異邦人だったのです。メソポタミア、ウルの地

異教の神々を崇拝する父テラの元で育った名も無い普通の一人の異邦人、アヴラハムを、全世界の代表者父として神が彼を選び出したのです。それぞれ選び出され呼び出された人々は、代表者です。その人達を通して太古から同じ福音がずっと伝えられて来たのです。アダム、ノアも同じ福音を伝えられたのです。

 

ヘブル1:1 神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、

1:2 この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた。

 

太古に神が預言者達に語られた事〜それらが全て聖書になっているものです。そしてその聖書=モーセの五書、預言書、諸書の

中に記されているイエシュアが実際に肉体を取って地上に来られ

同じ福音、タナック=聖書=モーセの五書、預言書、諸書に記されているイエシュアが本物のメシアである、永遠の中にメシアを

通してされた業を地上で証明するために来られたのです。

この箇所を、昔は預言者を通して語られた、今はメシアにより

違う教え=太古とは違う福音が語られたなどと読み違えてはならない箇所です。

永遠の中に完了しているイエシュアの業の実態を信仰により受け取る事、その事実により”義”とされる、新しく創造された人=聖霊が内側に住む事は、神がアヴラハムと結んだこの契約に根拠があるのです。アヴラハムは同じ福音=救い=イエシュアを神から

直接口頭で伝えられそれを信じただけで義とされたとあるのです。過去現在、未来の全てのイエシュア信者と全く同じ救い贖いの方法=神がされた業、贖いの業を認めて信じて聖霊を受ける

全く同じです。人種別、時代別、2つの福音、2つの救いの方法を語る教えは、2人のメシア=聖書には無い空想を語っているのだと言う事を聖書の記述から発見し正しく神の言葉を読み取らないとならない事実でもあるのです。

モーセの五書=契約書が無ければ、このアヴラハムへの契約、

イエシュアの業により義とされるている証拠はなくなるのです。

口頭だけではなく、神は文字として永遠の礎、根拠、証拠、保証

を確実に証明して下さっている、それがトラーなのです。でも

異邦人はそれを呪いの古い廃れた律法と呼んで、神の契約書を

完全に誤解しているのです。

 

福音、救いは永遠から永遠に1つしかないからです。二人の別人の救い主が別の時代に、人種別の救い主が二人居て、イスラエルとイスラエルでは無い他の国に生まれ生きて、2回処刑され、

2回昇天した事実でもあるのでしょうか?イスラエルの神は分裂の神では無いのです。イスラエルの神の別の教えも別の救い贖いも、別の手段、方法もないからです。父に繋が方法は1つ、

イエシュアを通してでなければ誰も父の元に来る事は出来ないとイエシュアが言われたでしょう。

それが事実です。だから異邦人であろうが、ユダヤ人であろうが、どの時代に生まれようが、完了の業の実態を信仰により受け取る=道はたった1つ=イエシュアを通して父に繋がる事は全世界のどの時代のどの人にも万民共通の福音の事実なのです。父に繋がるための道は1つ=イエシュア=救いは1つしかないと書いてあるからです。

だから、神の契約が破棄、終了、捨てると言う教えは、神が伝える実態とは全く異なる異邦人哲学思想なのです。

 

そして、父の元に繋がれた=神との関係に今存在している根拠、証拠は、婚姻契約=シナイ山で与えられた神の言葉=教え=インストラクション=トラー=モーセの五書を根拠としているからです。神が義として下さった根拠、そして神の子らである印、生き方はモーセの五書=契約書=トラーの中に全て書かれているのです。文字として証拠として残されている証しです。だから聖書をヘブライ語では”証しの書”又は”トラーの書”と書かれてそう呼ぶのです。

そしてその証=トラーを生きる神の子ら、神に呼び出されたイスラエルの大家族を同じく”証”エダと呼ぶのです。教会と言う言葉は聖書に存在しない。エダ=証、カハール、ケヒラ、エクレシア=神の声に呼び出され応答した人々の群れ=イスラエルの神の大家族と聖書には書かれているのです。それらが神の証人=エダなのです。

婚姻契約書=婚姻証明書を破棄したら、それは離縁を意味します。自分の側では神を離縁していないつもりでも、神が指定した婚姻関係の生き方を無視し捨てて破棄した生き方をしていると言う事なのです。

この婚姻契約を受け取ったその代表者は永遠に変わりません。

イスラエルが契約を受け取った代表者であり、この婚姻契約以外の契約書はこの世に存在しない、又は異邦人が契約を受け取る別の代表者にも永遠になれないのです。

最初から最後まで、全ての人が同じイスラエルと言う大家族に

この契約を根拠にして加え続けられるだけなのです。分裂した

2種類の家族、天と地で分かれて過ごすと言うデイスペンセーション神学は人間空想ファンタジーもどきの異邦人想像空想の哲学思想です。聖書にはそれとは違う事が記されているからです。

エデンを出てエデンに戻る、最後は1つ神に皆1つになるとあるからです。

婚姻契約書を保存する場所が神により指定された特別な場所でなければならない事が聖書には記されています。大事な大事な大事なものの保管場所は、注意深く意味ある場所に保管されるからです。

この聖書箇所、出エジプト25:1-27:19を、”テルマ”とヘブライ語では呼んでいます。捧げ物、贈り物と言う意味です。

”テルマ”の聖書箇所はミシュカンの目的を表し記されている箇所です。

 

出エジプト 25:21 あなたは贖罪所を箱の上に置き、箱の中にはわたしが授けるあかしの板を納めなければならない。

 

ここでモーシェはミシュカンの中に箱を作る様に神に伝えられています。この箱の中に“ハ エドウト”を保管する様に伝えています。“ハ エドウト”=証と言う意味の言葉であり、神の言葉=

神の契約=神が記された10の言葉が書かれた板の保管場所

でが神により指定されています。大事なものを保管する場所です。ここをゆっくりゆっくり真実の点と点を繋げていくと見えてきます。神ご自身が直接神の言葉=証とその保管場所、取り扱いをモーセの伝えています。

神の一番大事な場所=神の家の中のもっとも大事な部屋=至聖所に神の言葉が記された石の板=証の板が保管されたのです。

神の言葉がそれほど重要である!と言う事実に気が付いて、異邦人が語る、神の言葉を破棄、無用、古い、悪い呪い!と言う教えと全く違う事を神が人に伝えています。命をガードせよ!

神の言葉=人の命そのものだからです。

このチャラビム、エデンの園の入り口をガードするチェラビム。

命の木=神の言葉をガードするチェラビムです。神の言葉から命がうまれる!全世界の創造物は神の言葉で生まれた!同じ現実なのです。神は神の言葉=この契約の箱から語られたのです。神の言葉で。神が地上に作られたミシュカンの計画とは何のためなのでしょう?この契約の箱とその性質と、この箱が置かれる場所に関して理解するには、ミシュカンに対する考え、基本的な計画を理解しないとなりません。

この内容は、パラシャ=トラー朗読の箇所の中に記されています。シンプルな図がその理解を助ける事になります。

この様な図を見た事があると思います。出エジプト26:32でミシュカンがこれらの別のセクションに分かれているのを見ます。左の一番奥が至聖所です。

 

           北

西

           南

 

色々な画像が出て来ますが大体この様な移動式ミシュカン。

入り口が東です。

 

入り口が東。この言葉東〜は時と場所両方表す言葉で記されています。ケダム=永遠。クールです。ヘブライ語で記されている神の言葉の中に神が伝えようとしているメッセージが凝縮され様々な深い真理を理解する人に伝えているのです。永遠に入る=永遠の中に存在する神と繋がる入り口。命が生まれる場所=神の言葉=もっとも聖なる地上の場所=神の臨在がある場所。

一番奥の至聖所のアロン=箱の中に、ハ エドウト=10の言葉の石の板が保管されています。

出エジプト 26:33  その垂幕の輪を鉤に掛け、その垂幕の内にあかしの箱を納めなさい。その垂幕はあなたがたのために聖所と至聖所とを隔て分けるであろう。

証、証人= ハ エドウト=神の10の言葉=石の板に記された言葉を理解するには、出エジプト24:7に戻る必要があります。セファ ハ ブリット=契約の書を、シナイ山でモーシェが受け取った啓示がこの箇所に記されています。

 

出エジプト24:6 その時モーセはその血の半ばを取って、鉢に入れ、また、その血の半ばを祭壇に注ぎかけた。

24:7 そして契約の書を取って、これを民に読み聞かせた。

すると、彼らは答えて言った、「わたしたちは主が仰せられたことを皆、従順に行います」。

24:8 そこでモーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った、「見よ、これは主がこれらのすべての言葉に基いて、

あなたがたと結ばれる契約の血である」。

 

イエシュアの言葉と重なる同じ意味の言葉です。

同じ言葉をイエシュアが過越の最後の晩餐で話しました。

セファ ハブリット=契約の書を、シナイ山でモーシェが受け取った啓示がこの箇所に記されています。

これはシナイ山で契約の書に関しての啓示が伝えられています。

もちろん出エジプト19:5で神が厳密に何を神がするか伝えられているのです。神はイスラエルに契約を与えている証拠です。

 

出エジプト19:5 それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。

契約は、個人的な神との関係が記されていて、神の指示でそれらが治められ、そして証人により、記された書に表されている事を

執行する義務があるのです。婚姻関係の中に入ると言う事はそういう事なのです。神が指定する神のデザインした通りの人間の生き方、神との関わり方をして教えているのです。それぞれが勝手に生きたら婚姻関係のシャローム〜健やかな状態が破綻するからです。

ハ エドウトとは、契約の言葉で証とか証人と訳されるものでもあります証、証人が神と神の人々との間にこの様な個人的関係が存在する証明がこの文字で記された契約が存在しすることで証明されているのです。

人の世界でも文字により様々な契約書、誓約書が記され、その中にその合意した内容が細かく記されています。証拠になるためにそれが記され、両者同意している事を証明するために両者が捺印するでしょう。

その様に、神がモーシェに、この契約の書を神の民である国民の中でもっとも聖なる場所に置かれ、保管される必要があると伝えたのです。

 

続く