世界でたった1つの神の家 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

世界中で、人間の考えにより建てた異教の神々の寺、神殿は無数にあれど、創造主が直接人に語り、神の設計図通りを作らせた”神の家”はイスラエルにしか存在しません。

 

神の聖なる場所は、神が特別なプランを持っているので神の意図通りに沿って神の神殿を建てる必要がありました。

 

ここで1つ1つゆっくりゆっくり神が伝える真実を考えて、点と

点を繋げて行く必要があります。神が伝えている意図の大事な

大事な真理を見逃さないように、丁寧に真実を集めて考えてみるのです。

私は以前”神殿”と言うものはイエシュアが昇天以降、神の言葉同様意味がないものになった、だから崩壊したのだと教えられました。ローマ帝国が神殿を汚し破壊した事実を、神が神殿を破壊するためにやったのだと異邦人は解説します。

事実を人の思想にすり替えてはならないのです。

 

今は人の中に神=聖霊が住まう時代になったから不要だとか、

第三神殿=悪魔と言う思想を植えつけられていました。

イスラエルの神=聖霊は最初から人の内側に住まう事実が聖書には記されていますから、使徒2章以降から初めて人の内側に神が

住まう=聖霊が住まう様になったと言う解説は聖書の事実とは

全く異なる異邦人の思想なのです。

エルサレムの神の聖なる家に荒らす忌むべきものが侵入し、神の家を汚したのであり、神の家が汚れたものではない、神の家は

聖なる場所で、世界唯一神の臨在が地上で現れた特別な場所なのです。

そして、神の神の神殿の究極のプランの事実は、”ミクダシュ“が世界のどこでも存在すると言う計画があったのです。

 

事実、それは目に見えない神の天の御座に直結する実態が世界中に存在して、神は世界中のどこにでも存在するからです。それは世界中にたくさんのイスラエルの神の神殿が出来る事ではなく、世界中にイスラエルの神=神の子ら=聖霊が住まう人々が地を

満たすと言う事なのです。神の宮、天の祭司達。

天の現実が内側に住まう神の子らが世界の地を満たす事です。

天の国が到来している、あなた=信じる者の只中にあると記されています。

神の国が到来する、既にしているとは、人の中に神の性質を生きる、聖霊が与えられ、神の性質=トラーに記された神のオリジナルの人間の生き方をする事、これが聖書で解説されている”義”の

実態なのです。

神の家のその大元=神の臨在が宿る神の家、天に実在する神の家そっくりそのままを地上に再現したものが、移動式神殿=ミシュカンであり、エルサレムの固定式神殿なのです。

 

神と人と住まう場所=家を通して様々な事を人に教えているのです。未来にイエシュアが地上のエルサレムで全世界を統治する時が来たら、エルサレムに神殿が存在する!と言う聖書に記されている預言の事実を頭から離さないで考え続けて下さい。

人々は聖なる場所が存在する事をどの様にして知る事が出来ますか?神は人が理解出来る方法を通して、目に見えない天の神の家、天の国の現実を教えているのです。

神はイスラエルに天に存在する神の神殿=家のそっくりそのままのコピー=レプリカを地上に作る様にイスラエルに指示しました。そこで私達が神の家について学ぶことが出来るためのものが地上に造られたのです。

 

ミシュカン משקןと神の家を指すこのヘブライ語の言葉の意味は、“住まう場所”と言う意味です。これは家、ホームです。人が家に居る、家でくつろげる、家に住まうと言う事を味わう事が出来る場所です。

そしてこの神の神殿は家であると言う事、なぜなら神が全ての

家具や装飾品その他全てを含めて神の家をどの様に作るのか

モーセに指示しているからです。神が言われたそっくりそのまま

その通りに再現する!だから神の言葉を曲げたら、設計図も人のDNA=神が伝える人の生き方も歪んで伝わってしまうのです。

歪んだら神の意図通りのものは再現されない、表われ出ません。

 

神のミシュカンが建てられた2つ目の目的があります。

ミシュカンはホーム、家である事がまず第一です。

そしてこの家がどの様な家であるのかを掘り下げてみる必要があります。家が建てられた2つめの目的を理解するには、トラーを少し注解的に解説しなくてはならないのです。

聖書の中に記されている事だけでも、何を表しているのか捉える事が出来ます。

出エジプトに記されている、”天の婚姻”=シナイ山での出来事=後に”シャヴオート”(ペンテコステ)の祝いで表されている、

婚姻儀式、婚姻契約が与えられた出来事なのです。ペンテコステは聖霊降臨祭と言う異邦人が付けた名前、性質の祭ではなく、

聖書では別の目的の祭、別の名前が付いているのです。神の婚姻契約=トラーが与えられ神の花嫁として1から新しく創造された人を生きるスタートを祝う祭なのです。

出エジプト出来事で、天の婚姻儀式がどの様に進み行われたのかで見る事が出来ます。

天の婚姻を念頭に置いておく必要がありますが、古代イスラエルの婚姻が実際にどの様に行われたのか情報、手がかりが希少です。

それらは、中世になるまでよく知られてはおらず、使徒の書簡にそれらの情報のいくつかが書かれています。しかし、婚姻儀式の全貌を不足した情報を頼りにそれだけでは詳しい事は知るよしがありません。それなので、気を付けながら何が記されているのか検討するのです。

いきなり婚姻儀式になるではなく、その前に”婚約期間”があるのです。

聖なる婚姻の最初のステップ婚約で始まります。神が神の愛する民、イスラエルに対してプロポーズをします。

出エジプト6章に記されている内容です。

この中で誰もが知る有名な解放の約束がされていて、これらが今私達が祝うペサフのセダーの晩餐で毎年再現し行われ祝われているものでもあります。春に行われる祭〜ペサフ=過越の祭りですが、異邦人クリスチャンたちはこの大事な神の祭りを2世紀以降、神のオリジナルの記念日を祝う事をやめてしまったのです。

 

イエシュアは過越の地上での最後の晩餐で、使徒たちを通して、私達全て神の子らに、毎年過越を祝いこの晩餐をするたびに、

出エジプトで記されている業、実際にイエシュアがそれを地上で再現し証明して下さった事を思い出して!と語っているのが、

ルカ22:17−20、マタイ26:26−28、

1コリント 5:7、11:23−26です。

これらの約束は出エジプト6:6−7に記されています。

この事実は時代、人種に関わらず、全てのイエシュアを通して

贖い出された人は同じ体験をするのです。

1あなたを引き出し=導き出し ホツエテイ

エジプトからイスラエルを完全に切り離す事を語っています。

2あなたを救い出し  ヒツアルテイ

イスラエルをある死から救い出す事を話しています。

3あなたを贖い出し  ガアルテイ

イスラエルを奴隷状態から解放すると話しています。

4わたしのものとする ラカテイ 

イスラエルが神の所有となると話しています。娶る、嫁にもらう

この一般的な言葉は、“何かを取る”と言う4番目の言葉です。

でも、この言葉は、男性が女性を妻とする時に使う言葉です。

これは、神が神がイスラエルに、神の花嫁とすると言う婚約を語っている場面でもあります。

 

その後花嫁を他の人々から完全に離れさせて、お互いを知る事をします。蜜月の期間です。

出エジプトが起きた後、神はイスラエルを他の可能な婚約者から

引き離して取り出したのです。

ミッドバル〜荒野の旅路に招き入れたイスラエルはイスラエルの夫となる方と特別に神の声を聞く事をする学習のたびに導かれたのです。それが荒野の40年です。

荒野=神の声を聞く場所。言葉=ダバル。ミッドバルとダバルは

同じルート文字を共有しています。意味が繋がっているからです。

荒野の40年の旅路の前に、シナイ山での婚姻儀式はどの様に

行われたのでしょうか?

ここで注意をしなくてはなりません。イスラエルと神はシナイ山の雲のフーパの下で婚姻したと言う人がいます。

それは少し時代錯誤過ぎる解釈です。現代イスラエルの結婚式にで使われるフーパはがその時代使われていたかもしれませんが、

確かな証拠はありません。

 

 他の理由でシナイ山で行われたのは婚姻であると提案出来る事あります。

1 花嫁をきよめる(服を清める事を含めた、清め)

2 ケトウバ 婚姻誓約

もっとも古いユダヤ人の婚姻誓約書=ケトウバは紀元前400年頃のアラム語で記されたものです。

古代中近東には書面で書かれた婚姻契約書が多数存在しています。

ケトウバ=婚姻誓約は、婚姻契約/契約書が文字で記されたものです。夫と妻の両者が彼らの基本的な責任に対する忠誠、責任、義務を果たす事を誓うものです。

 

トラーに記された10の言葉<十戒と訳されていますが>の役割が、その婚姻誓約書の役割でもあります。もしそうならば、

トラー=神の言葉は古代の古い律法として記されたものではない証拠にもなります。

それらは、神とイスラエルとのイスラエルと言う国家の国家契約書とそして婚姻契約書と考えられるものなのです。

 

結婚したカップルには夫婦の家が存在します。

これがミシュカンで反映されるものです。他の機能もあります。

ミシュカンは天の夫の家でもあります。神と聖なる神の妻=イスラエルの家です。イスラエル〜異邦人含め、イエシュアを通して

贖い出され出エジプトした人達全て、イスラエルと呼ばれるのです。

婚姻した人には印があります。出エジプト31:16−17 

結婚指輪、シャバットは外側の印、目に見えるシンボルである

サイン=印、特別な婚姻関係にある印がシャバットとして与えられているのです。

婚姻契約書=証明書、婚姻指輪を捨てる人、破棄する人がいるでしょうか?

 

結婚儀式が待っています。黙示録19:9 これは未来に起こるイベントです。

異邦人の中で語られる様々な神学に問題があるのです。

メシアの花嫁は誰?と言う事に関してです。

神はイスラエルを離縁して“教会=異邦人”と婚姻したと言われたのでしょうか?聖書にはその様に記されているのでしょうか?

異邦人クリスチャングループ=教会と言う造語で翻訳されている

そのグループが”神の花嫁”= イスラエルといつ入れ替わったと神が言われたのでしょうか?聖書のどこにそんな事が記されているのでしょう?

それとも神はシンプルに神の民イスラエルの上に、異邦人信者達を加え神の聖なる花嫁としたのでしょうか?

 

答えは神の言葉の中、聖書に記されています。

神はイスラエルを選び出し、神の国民を造り、そしてアヴラハムに与えた契約、それはシナイ山の契約の中に含まれるものですが

全ての国民の父=代表=イスラエルを通して全世界に同じ祝福、

福音が与えられる役割をイスラエルに託したのです。

だから、その代表者は永遠に変わりません。最初から最後まで、全ての人が同じイスラエルと言う大家族に加え続けられるだけなのです。コロコロ約束や言葉を変えるのは人間だけ、イスラエルの神は約束された事を永遠に決して変えない!と言う永遠の事実にだけ留まり考え続けて下さい。

 

続く