秋の祭りは未来預言的祭り 仮庵 イエシュアの中に住まう | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

430年間エジプトに居て、イスラエルの神の声、教え、言葉を聞けない環境、偽の神々の教えの環境に染まり、偽の主人、王に仕えて生きていた。イスラエルとそしてイスラエル同様神の声を聞いて子羊を屠り死が過越た少数の異邦人達はイスラエルと一緒にエジプトを出てから、40年の間荒野で生活します。

 

この出来事で表されている内容は、イエシュアに出会った一人一人、神の子らとされた人達、同じイスラエルの神の大家族に加えられ、同じ婚姻契約=神の創造された性質を生きる事に加えられ神の国に生きる事を同意した人達、時代、人種に関わらず、全て贖い出された人達は、同じく出エジプト=奴隷、偽の主人の手から買い戻され、奴隷の鎖を切り離され、新しい本物の主人の元に戻った、この事実は100%全ての神の子らに同様の事実、真実であるのです。

イスラエルの荒野は砂漠の様に植物が育たない命の無い場所ではないです。荒野とは想像が付かない場所ですが、様々な様子が

荒野にはあります。カラカラに渇いた土地の様でも命が眠る場所です。雨が降れば植物が生え、そして荒野の中にオアシスが存在します。

エデンの園を出てから、神の似姿、性質に造られた自分が誰で

あるのか?の知識を全く失い、そして神の臨在の外側の中に入り込んで自力では抜けられない”離別” ”隔離”の領域に入ってしまったのです。自力では抜け出れない所に留まって生きていた、その場所までイエシュアが来られて引き出して下さり、神の中に引き寄せて下さったのです。

イエシュアを通して元の場所=エデン=喜び=創造主=父の元に戻って来た〜その事実は信じる人全てに同じ1つの福音であり、同じ救いしか存在しません。

 

自分が誰か、イスラエルの神が誰か、人はどう生きるのか、

どう神に近づき、どう神と人と関係を持つのか、別の顔=混ぜ物の教えに耳を傾けた途端、神の言葉、教えが見えなくなって

その知識=神に伝えられた生き方、教えを失ってしまいました。

全ての人は漏れなく別の顔=この世の違う知識を学び迷い出たの

で1から、神の目が見る通りの再学習が必要だったのです。

 

神が荒野に神の子らを連れ出し、神の声だけを聞く事、神だけに導かれ養われる訓練〜長い長い神とだけの旅が始まったのです。

荒野の40年、イスラエルが反抗的で頑なで神の声を聞かなかった罪のためそんなに長く荒野に居たと言う説教を聞きますが、

その中にいた異邦人も同じ、皆同じなのです。

 

なぜなら、再学習するには40年と言う時間が必要だったから

です。神の声をその通りに聞いて生きたら、そんなに長くかからなくても良かったはずですが。救われた一人一人も、その時から

今までどの位時間の経過があるのか違いはあれど、どれほど神の目からみて生きる事に切り替えて学んで身についたのか振り返ると理解出来ると思います。年取れば取るほど、以前生きた癖、

習慣、思考回路を切り替える事、柔らかい頭脳=大地なら種が

植わり、神の意図通りに注意深く生きる事を知っていれば、全然

違うと思います。だから幼い頃から、それを学ぶ、子供達に神のトラーを寝ても覚めても教え聞かせよと神は伝えたのですね。

しかもその中で、神の見る通りを学習したのは最初の世代の人達の中でたった二人だけ、ヨシュアとケラブだけが約束の地に入ったのです。出エジプトした最初の世代、その他皆荒野で死に絶えたとあります。

出エジプトした後のモーセとイスラエルの旅路、どの場所で何が

起きたのか知って行くと、いかに神の目から見る事をいつまでも

学習しないのかと言う出来事の連続です。

皆同じ事を体験するのです。主に助けられた〜そして問題にぶつかる〜、以前学習したことを忘れる〜呟く、嘆く、失望する、

神の声からズレた場所に飛び出す。

主に信頼する代わりに呟く文句を言う主に挑戦をする。

問題に目が塞がれ、神がおられる、神の中に存在し、神も内側に

おられる、その現実から全てを見る事を簡単に忘れて同じ事を

人生の旅路で繰り返して行く。

荒野は不思議な場所です。地形を通して絵画的教えを教えている

場所です。何キロメートル先のラクダの歩く足音も聞こえる。

遠く離れてもお互い会話が出来るのです。ミッドヴァ=荒野。

ダヴァル=言葉と言う文字と同じです。

神の声を聞く場所=荒野。奴隷から贖い出された人達を神の声だけ聞き生きる場所へ連れ出す必要があったのです。

イスラエルは神の臨在と共に荒野で過ごしたのです。

イエシュアが共に居られた事実、人の間に住まった事実は荒野の

40年の中、神の移動式神殿、雲と火の柱でも表されています。

雲が止まったら止まる。動いたら動く。神の言う通りを生きる

訓練の日々です。荒野で場所から場所へ移動し住み生きた。

人生の全てを荒野で過ごした最初の世代。

人はこの世の一時的な居留者である事は同じです。

そして、人々が神の栄光=臨在を通して、神の目から見る通り

お互いの見る、お互いが住まう、お互いの関係を育む事を

この荒野で教えられたのです。

目で見ても分かる絵画的学習ツールです。

 

実際に荒野で暮らし、約束の地に入らなかった、入らない人々も全て同じ教えを仮庵を通して教えられています。

アヴラハムは、イエシュアの日、未来の新しいエルサレム、

神の栄光に満ちた王国が到来する事を神の言葉から理解して、

それを信仰により喜び、受け取りました。自分は約束の地に入らなくてもやがて未来に神の王国が、イエシュアが統治する新しい世界が来る事を理解していたからです。

 

ヘブル11:8 信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。

11:9 信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。

11:10 彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。

 

1ペテロ 2:11 愛する者たちよ。あなたがたに勧める。あなたがたは、この世の旅人であり寄留者であるから、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。

 2:12 異邦人の中にあって、りっぱな行いをしなさい。そうすれば、彼らは、あなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのりっぱなわざを見て、かえって、おとずれの日に神をあがめるようになろう。

 

ヨハネ17:11 わたしはもうこの世にはいなくなりますが、彼らはこの世に残っており、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。

17:14 わたしは彼らに御言を与えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではないからです。

17:21 父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。

 

仮庵は、この世の旅路にあっても私達神の子らは実は神の中〜

イエシュアの中、天の現実に存在している不思議な事実を教えているものです。

贖われ、救い出された人は、イエシュアが内側に住み、そして

私達も神の中に既に存在している事が神の言葉で伝えられているのです。荒野の宿営、ミシュカン〜移動式神の神殿に神の臨在があり、目で見える形で存在していたのです。

 

 そして、7日の間仮庵に住まう、エデンを飛び出た人達の、

この世の人生の歴史、人類の歴史は終わり新しい統治の世界

永遠に継続する8日目に入る、それが仮庵の祭りで表されているものです。

エレミヤ31章の新しく更新される同じ婚姻契約=トラーの

預言と、イエシュアが言われたエレミヤが語った新しく更新される同じ婚姻契約、神のトラー=神の性質を皆が生きる様になる

日が来る。それが誰も互いに主を知ろうと言わなくても、腹の中DNAに書き込まれ、頭脳にも神の性質=トラーが記されている

人達は、その様に言い合う必要がないほど神の性質を生きる事に

馴染んでいる、それが起きると書いてあります。

神のトラーで満たされる日が来る。イエシュアハマシアが神の

国家をエルサレムの神の家から司り、全世界の民族をも治める

からです。

ユダヤ人も、2000年前にエルサレムの過越で刺し通された

あのお方がイエシュアであると、イエシュアが再び戻りエルサレムに王の王として君臨されたら否定の余地がゼロになり、トラー預言書、諸書に記された救い主であると気が付く!と預言されています。同時に諸外国の異邦人も同様に神のトラーを知る事になる!誰も神のトラーは廃れた、終了したなどと言う人はいなくなる。

全て未来預言です。聖書の記述に照らし合わせると人の教え=

別の顔の思想が聖書と全く辻褄がわないものである事が明らかなのです。

春の祭り4つ、秋の祭り3つ、7つの祭で表される神の祭りは

贖われ救われた全ての人が通る旅路を表しているものでもあります。
で表される完全、完了。全ての祭りの中心は第7日目のシャバット。神の業が全て完成し止まった事を記念する、神の子らへの
印の記念日。全部7です。
トラーには7をめぐる様々な教えがあります。
7年のシュミタ年に農地を休める。負債が帳消しになり新しく生きれる。。新しくリセットする年。
負債のために使用人になった人も開放する。もし使用人のまま
主人の家に留まり働きたい場合も留まる事は出来る。
負債がチャラになり新しく歩み始められる。前の年には誰も貸し惜しみをしてはならない。
そしてシュミタ年を7回繰り返して迎えるヨベルの年には、
全ての土地が所有者の元に戻る。元に戻る。イスラエルの国が
復興しのもこの神の暦と深く関わりがあります。
この7年を巡り歴史を考えるのがヘブライの世界です。
 
最後は神の元に戻る。これはいつか分かりません。
仮庵に7日の間住まう。この世の旅路を7と言う数字で表して
います。
続く