仮庵の祭りで神が教えている数々  | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

今朝5時頃満月が見えました。仮庵の祭りがやって来ました。

 

仮庵の祭りは何を表しているのでしょうか?

春の祭り過越の祭りから古代にエジプトに居たイスラエルと少数の異邦人だけでなく、同じ救い=イエシュアに贖い出された人

全員、神の定めの記念日で表される経過、道のり、旅路を地上で

歩む事を表しています。

春の過越の祭では何がありましたか?

イエシュアの贖いの血は子羊の血で表されています。

贖い出された人々、神の声に応答した人達、同じ1つの家族

カハール=この言葉の中には”声”=コルと言う言葉が入っています。カハール、ケヒラと言う言葉で神の大家族は呼ばれるのです。教会と言う異邦人造語は元のヘブライ語、カハール、ケヒラ

を正しく表さない言葉なのです。聖書に無い言葉、元の言葉の意味を全く反映していない言葉を異邦人が作ったからです。そして2000年以降新しい家族、異邦人家族=別のグループ=教会が生み出され、ユダヤ人とは異なる家族=グループであると誤解する要因を生む言葉です。

 

この教会と言う言葉自体悪いものではないですが、本来のヘブライ語の元の言葉の意味を表さない造語なので、初めから翻訳に

使われるべき言葉ではなかったのです。

教会と言う造語で訳しているカハールと言うヘブライ語の言葉は、トラー、預言書、諸書の中では同じカハールを”集会” ”集い” 英語ではアッセンブリーと訳しているのに、同じカハールと言う言葉を、福音書以降アッセンブリー、集会、集いと訳さないで、教会と訳しているので、あたかも別物のグループが昇天以降出現したと人々に正確ではない意識を刷り込み続けているのです。

翻訳には元の意味を全く反映しない言葉が数々使われているので聖書に書かれた通りの真相が見えないと言う難点問題があるのです。だから聖書に記されたヘブライ語の元の言葉は何を意味しているのかを追求して知る必要があるのです。特に聖書を人に教える場合はそれは必須なのです。

カハール、ケヒラ=集会、集い、アッセンブリーと言う言葉ギリシャ語では”エクレシア”言う言葉であり、ギリシャ語はヘブライ語同様に、神の言葉に呼び出された人々と言う意味を表している適切な言葉なのです。ギリシャ語以外の翻訳がまずいのです。

 

ヘブライ語聖書を翻訳をするならば、聖書に記されている元の

言葉に対して忠実に意味を反映する言葉で表現しないとならないのです。

不注意に色々語る=別の顔を人に紹介してしまう事だからです。

 

佐藤誠さんと言う人物を、山田太郎さんですとは人に紹介しない様に聖書=神の言葉に対しても同様に、書かれている通りの真実を人に紹介しなくてはなりません。主の栄光を地上でそっくり

そのままその通りの価値、意味、重さで反映させなさい!と神が言われているのです。人の言葉でも誰かが言った事と違う事を

他者へ伝えては、その人の意図する事が他者に伝わらなくなるのです。最低限単純な守るべき原則、ルールであり、地の塩、世の光として神=イエシュアが伝えた言葉、真理を伝えなくてはならないからです。人の教え=別の顔を伝えてはならない。

 

さて、春の祭り、過越の祭で表された実際に地上で起きた事。

出エジプトの事件もそうですが、出エジプトする時に神の声に

応答して家の鴨居に屠った子羊の血を塗った人の家には死が過ぎ越しました。

この内容を説明するためにアヴラハムに関して、ヘブライ人の

意味に戻らないとならないので、付け加えて書く事にします。

 

聖書を二つに分断し、そして最初70%と最後の部分30%には違う教えが書いてあるなどと言う異邦人が唱える教えを聞いていたら、聖書の全てが1つに繋がり、神が永遠不変の神の教え=

言葉=同じ内容しか話していない事実は全く見えて来ません。

 

分裂の思想では神の性質、同様に神の言葉の性質=エハッド2つ以上で全て丸ごと全く1つ、ワンセット、シャロームである性質は見えてこないからです。神が奴隷状態=偽の神々の教えを聞いて生きていた、贖い出された人に対して最初に語った言葉、警告=神の顔の上に別の顔を置くと言う大弊害が起きているのです。

この様な教えのために私がどれほど聖書に記されている永遠不変の神の言葉、教えの真実に書いてあっても気が付けなかったか、それらを発見する人全て異口同音に同じ事を発表しています。

当然です。神は嘘つきではない、永遠から永遠に真実であり、

変化進化のない性質のお方だからです。

 

ヘブルとは何でしょう。

アヴラハムの先祖はノアの子セムです。神の創造された世界は、洪水で全部リセットされ、8人の家族と神が選んだきよい動物

の種類7つがいずつ、清く無い動物2つがいセットの動物達が

箱舟に乗り、水をくぐり生き残りました。最初の創造で神の性質を生きる人達でこの地が満たされるはずであったのです。エデンから出た人達、神から離れた場所に入り込んだ人達のやる事は

悪事=ラー=神の意図、デザインから外れた行動であったからです。洪水で全てが消えなくてはならないほど、ノアの時代も腐敗悪は酷かったのです。神の言葉を誰も聞かない。

神の似姿の人とはかけ離れた生き方をしている。

洪水を起こすなんて酷い〜などと肉の目から見て、神の目から見ないで考えるなら理解出来ない出来事ですね。でももし自分の隣近所、街中が、全て悪事に満ちて不正が蔓延り正義など通用しない。殺人、誘拐、強盗、不品行、ゲイ、危険が満ち溢れていて

日常生活を正常に送れない様な環境で溢れていたら、とても子供など安全に育てられない。誰も外にも出れない様な環境であったら、それらはリセットされない限り普通には生きられない所まで来ていた、罪が満ちたと言う状態だったからでしょう。

 

そしてそのアヴラハムの系図の中にエベル”と言う名の人がいます。この名前はヘブライ=イブリ=超えると言う意味の言葉です。עברי イブリ עבר エベル 

ヨシュア記24章をぜひ読んでみてください。

大事な事が書かれています。

24:2 そしてヨシュアはすべての民に言った、「イスラエルの神、主は、こう仰せられる、『あなたがたの先祖たち、すなわちアブラハムの父、ナホルの父テラは、昔、ユフラテ川の向こうに住み、みな、ほかの神々に仕えていたが、

24:3わたしは、あなたがたの先祖アブラハムを、川の向こうから連れ出して、カナンの全地を導き通り、その子孫を増した。

わたしは彼にイサクを与え、

 

イブリ=ヘブルと言う言葉は、”超えた”と言う意味がある言葉です。何を超えたのか、ある場所から別の場所へ超えた。

その超える場所の間には水があります。奴隷の地から約束の地へ導かれた。神の外側から神の元に引き寄せられた。

奴隷状態で抜け出せない場所からイエシュア=子羊の贖いの血で買い取られ超えた。水をくぐって新しい場所に移動した。

本物の神、本物の自分で生きられない、偽物の神々の環境の地から、イスラエルの神の国、神の声を聞いて生きる場所に超えた。

水を通って。生ける水=イエシュアを通して。

これらの出来事、様々な事を通して理解出来る様に福音は最初の

最初から語られています。太古から語られた同じ福音!とあります。テトス1:1−2 預言者を通して語られた福音は歴史の途中で変化しないものだからです。

 

アヴラハムは、生まれ故郷=慣れ親しんだ生き方、異教の教え

そして異教の神々の教えを生きる家族、親族から完全決裂して

今すぐ!直ちに!緊急性のある命令=レッフレハ、即座に出なさい。行け!と言う言葉、そして本物のあなたを生きる場所へ向かってと言う意味のある言葉、あなたのために!それを今しなさい。今までの生き方に完全決別!それも即座に!

 

全て救われた人の通る道と同じですね。出エジプトの過越の小羊の血を塗り、そして直ちにエジプトを出なくてはならなかった。時間が無いので腰に帯を締め、パンを発酵させる時間もないのでパンに最低限のもの=水、小麦だけのもの=マッツアを作り

エジプトを脱出した。

同じテーマ、コンセプトが語られているのを発見します。

今は書きませんが、生まれ故郷、家族親族を離れてとあるのに、

アヴラムにはロトが付いて来ますね。これも色々問題が出て来た要因です。過去の全てと完全決別しないとならない!過去の偽物を引きずらない。

生まれ故郷を出ると言う行為〜イスラエルの神の声、神の性質を

生きれない環境から、神の見る通りを1から教える。

これは荒野の40年でも同じ内容が表されています。

贖われ救われた人全て同じ。聖書には最初から同じ福音、同じ

救い、そして贖い出され子羊の血で神に買い取られた買い戻された人達=偽の王の所有から本物の王の所有に変わった事実は、

聖書の最初から説明されているのです。同じ1つの福音、1つの救いの方法しかないからです。それらの教えを選ばれた人々の人生の出来事を通して、語られ、教えられているのです。

 

超えた人達=死が通り過ぎた=子羊の血で贖い出された人達。

過越の祭、そして種無しパン=新しくされた。初穂の祭り=

復活の命を得てイエシュアに繋がれそして神の子として成長する

それらの生き方は、シナイ山で与えられた文字で記された婚姻契約=それらを受け取った祭りが、春の最後の祭り、シャヴオート<ペンテコステ>なのです。全部預言的福音的祭りであり、私達一人一人の贖われた人の歩むを表すものです。

神が与えて下さった永遠不変の婚姻契約=神が創造された神の似姿の性質に造られた人の生き方は呪いの律法などではありません。神の性質に造られた本来の人がエデン=喜び=神の中で生きる、神の国を生きる人達の性質の詳細がそこには書かれているのです。神の性質を1から学び生きる再学習の旅が荒野の40年で表されているのです。

そして、次の秋の預言的祭りの繋がるのです。

仮庵の祭りとは何でしょう?仮庵の祭りにも様々な教えが入って

います。これから来るイエシュアの統治Theミレニアムを表すものでもあります。だから7日間、仮庵に住まう最後の8日目も

祝うのです。第一日に戻らず、8日、永遠の統治に入る事です。

ずっと続く。

仮庵とは日本語で読むと、仮の庵、英語で言うとtemporary

dwelling=一時的住なまう場所。ヘブライ語はスコト、

単数=スカですが、この言葉どこに出て来ますか?

イスラエルが出エジプトして来た最初の場所”スコト”からエタムに向かってそこに宿営したと書かれています。

スコト=仮庵はイエシュアを表しているものです。

私達はこの世の旅路の中で頼りない仮庵に住んでいるかの様ですが、実は神の中=イエシュアの中に安全に住まい、守られている。

最後はTheミレニアムで全世界がこの祭りを祝う様になると預言

されています。

仮庵、一時的な住まい。テンポラリー ドウェリング。

なぜ仮の住まいがTheミレニアムと関係しているのでしょうか。

続く

以前に住んでいた場所では仮庵を建てる事が出来ました。

テーマは義の色タへレット上にあるガーデン 下にあるガーデン

空と海など様々に飾り付けをして子供達大勢来て楽しい1週間を過ごしました。

 

 

 

 

 

 

 

今はテントを建てられないので、小さなバルコニーを飾って

テーブルを置いて食事をします。

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