西洋宗教の世界と神の伝える言葉の世界 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

猛暑の夏、いかがお過ごしでしょうか?

数日前に無事に家に到着しました。

この様な旅になるとは出発前には考えていませんでした。

振り返ると2年前の夏は初めてのロックダウンで、家の近隣も

用事以外では外出制限と言う前代未体験の時を過ごしました。

友人や同僚もそれぞれの国へ帰省しないままここで夏を過ごした人達が多かった事を思い出しました。

 

今年三年目の夏は多くの国で様々な規制が解除され、たくさんの人が旅行で行き来する事が出来るなど想像もつきませんでした。

今までは行けたとしても2週間隔離期間があったり、実質上

それらの国へ行ける様な状態ではありませんでした。

 

6月からイスラエルへの入国も検査の必要も隔離もなくなり、

入国審査も本当に簡素で数分で通れました。しかもブースに管理官の人も全然いなくて、機械にパスポートをかざしてビザを受け取りそのまま出る様な感じでした。

ギリシャも同様に15秒位で入国審査終了でビザスタンプを押してもらい、もちろん出入国時の検査も無しでした。

それぞれに立ち寄った空港も飛行機も人でいっぱいでした。

イスラエルは出国で質問や検査が厳しく多くの人がいたので

空港到着からイミグレを通るまで3時間以上もかかりました。

今回ギリシャに住んでいる家族との予定が合うのか7月半ばまで不明なままだったので、取り敢えず予定が立たないままイスラエルに行きました。

イスラエルでも当初様々に予定していた事が変更になったのですが、全てアバのプラン通りと言う事が振り返ってみて確認出来ました。全てOk、み旨通りでした。

しかも全ての危険から守って下さったと言うことが後になって

判明したのです。自分が知らない事を、知らない時に既に逃れの道、安全な場所が準備用意されていて、そこへ移動させて下さった事、その体験を通して又神の約束、言葉の真実を体験する機会を与えられました。

イスラエルでは今回二年半ぶりの友人達との再会でゆっくり

過ごす日程にしました。兎に角一緒に過ごして満月なども夜長めに外に出て行く様な楽しい時間をたくさん過ごしました。

そしてギリシャでは3年ぶりに家族に会えたのですが、時間の

ギャップを全く感じませんでした。タイムスリップした感じが不思議でした。3年間の間会えなかった親戚、家族、新しい家族のメンバーにも会えて夢の様な一週間でした。

今はズームや動画チャットでいつも画像付きで話せるのもあるのだと思います。でも直に会うのと画面とでは全く違います。

 

イスラエルでは最近ガザから900発以上のミサイルが撃ち込まれていますが、これも世界のニュースには上っていないと思います。でもその中で不思議にもイスラエルの中では誰も被害がなく、怪我をしたのは攻撃を仕掛けて来たパレスチナ人だけだったそうです。

正しい情報が流れない、偽情報は蔓延している、こんな世界に

ずっと生きてい来た事を今の時、悪が堂々と表面に出てくる様に

変化してしまった事を世界で感じます。

でも、<箴言12:3 人は悪をもって身を堅く立てることはできず、正しい人の根はゆるがない。>とある通り、人は神の似姿で

ある性質に反して生きる事を選択するなら、必ず自分の中で破壊崩壊が起きてしまうものです。

そして、この暗闇の中でただ唯一本物の光として輝くのは、神の性質を生きる事を選択する人達を通して、本来の人間の性質を

反映して生きる人達、神の子らを通して、自分の周りに影響を

与えて行く事が出来ると言う事実、希望があります。

 

人はエデン=喜び=神の中に生きる様に造られている。

喜びの中に生きる、神の性質を生きる様に造られている、創造主を知らない人、自分がどこから来て誰であるのかを知らない、

本来のエッセンスを生きる事を知らない場合には、分からない

世界でもあります。

創造主を知りながら尚も自分が誰か本当は分からないのは、神が伝える真実に繋がらない事が原因だと思います。皆自分探しを

し続けているのです。どう生きたら良いのか分からない。

どう修復したら良いのか分からないetc etc

 

本来の性質を生きること、本物の創造主につながることを人は

エッセンスが要求するので求めています。それが何かが分からなくても、人の本来の性質がそれを求めるからです。

それには、エデンの性質を生きる人達〜神の言葉の真実を生きて

地の塩、世の光として生きる人の生きる姿を通して、人は見えない神の性質に触れる事になるのです。神の子らとして先に呼び出された人達にはその役目があります。

イスラエルへイエシュアが語られた言葉”あなた方は地の塩、

世の光”とは契約を受け継ぐ人達、同じ契約へ加えられ、同じイエシュアを通して救い出された人達に対して全く同じ役割が

与えられています。

 

世の中は今闇と悪が表面化し混沌としていますが、闇が深ければ

深い程、光が際立って目立つ、闇の中に輝く光は誰の目からも

明らかになります。闇は光に勝たない。暗闇に輝く光は誰の目からも明らかになります。

困難な状況がある中でも、嘘は食べない、嘘は信じない、神の

言葉に常に耳を傾けくじけない、ヘタレない、希望を捨てない、お互いに祈り合い、励まし合い進むと言う必要があるのだと思います。

いつか顔と顔を合わせて主の前に立つ日まで、しっかり神の言葉を握りしめこの世の旅路を歩む過程が残されています。

 

イスラエルいる友人達と様々な話をしました。観光地巡りを余りしないで、同じ町で留守友人宅に住んで過ごしているのでゆっくりする時間がありました。

認知的不協和についてその友人は話してくれました。

嘘であるのに本当のごとく語られる数々の事、定番の教え、一般に信じられている事が真実ではないのにそう皆が信じている。

真実がすり替えれて別物になってしまっている事に違和感と抵抗

を感じるのは、不真実に同調出来ないからです。

イワシの頭も信心からの如く、不真実でも信じれば良いとなると

それは嘘ものであり、本物を生きる事ではなくなってしまいます。

イスラエルでも同じく、混ぜ物の教えに生きてズレた歴史が

タナックの中に書かれています。神の前にイスラエルの民を治める知恵を何にもまして願い求めた偉大なソロモンも、人生の最後に異教の神々の教えに染まって行ってしまったズレを神からの警告として考えると、人は混ぜ物を受け入れ始めると途端に真実から離れたもの、周囲の教えに巻かれて行ってしまう事ができてしまいます。警告は混ぜ物の教え、異教の神々の教えに同調し、

境界線なく受け入れて同化してしまう事です。

 

ギリシャで先週のシャバットを家族と過ごし子供達へ祝福の祈りをし楽しい時を過ごしました。そして日曜日はギリシャでは

殆どの店が閉店しスーパーもレストランも殆どが閉まります。

イスラエルで体験するシャバットと同じく街が止まります。

それはギリシャ正教、カトリックなどが2世紀以降実践した

日曜日が止まる日=安息日として、第七日目の神が創造した

シャバットを別の日に変更した事を実践し継承しているからです。神はその様な行為=神の言葉、記念日を人が作り変える事を禁じているのです。大衆が周りが伝統の教えを継承しているから神の永遠不変の真実に気が付かないのですが、聖書の記述、1世紀のパウロや弟子達やユダヤ人信者達、聖書に登場する内容と

現代実践している内容がどうして違うのだろう?と単純に疑問に思えば良いのです。そして神の言葉だけに基づき考え始めれば

良いのです。何が本当なんだろう?と。それが神からの本当の

答えを、神の言葉、聖書から見つけ出すきっかけとなるのです。

そして人の作り出した記念日は、神が創造した第七日目のシャバットとは異なる日である事実は今日も変わらないのです。

人の理由付けで神が創造した記念日、創造物、男女、結婚etc

神の教え〜人の生き方は変わらないのです。

人は神の言葉とは違う教えを作り出し、そして神の言葉を横に

置き、自分達の考える所に沿って様々な神の教えや記念日を変更してしまいました。

アテネの街にはギリシャ正教のバシリカがたくさんあります。

その中はパウロがギリシャに来て遭遇した時に発した言葉の通りたくさんの偶像、聖人の像、画像などで満ちています。

そして頭の上には太陽神のマークのへーロー輪っかが見られます。

肖像、像を掘るとそれがイメージとして人の意識に定着します。

ある友人が以前にある画像を見て”これ私が知っているジーザス

とは違う!”と言い、他の友人が”ジーザスに会った事あるの?”

と冗談で切り返していましたが、自分の中には自分が作った

神像、救い主像があるのです。

それが神の言葉に書かれた通りぴったりであれば、それは神が

伝える本物の神像であるのですが、そうでなければ、自分が空想

想像する自分の中にある脳内”神”であるだけなのです。

 

不真実な事を信仰の根拠、土台とするとことは、砂の上に建てた家と同じです。それは神が伝える真実ではない、嘘まやかしだからです。今日本でとある新興宗教の事が話題になっていますが、人は神の御名を使い、唱えながら実は人が作り出した宗教の神像を信仰していると言う事があるのです。

それを避けるために、神が人に伝えるイスラエルの神、私達が

どんな存在でどの様に生きるのかを神が伝える通りを純粋に

追求すると言う事をしなくてはならないとアテネ、偶像に満ちた

街を散策して考えました。

 

 

 

聖人や偶像が置かれています。

 

頭の上のへーローが必ず描かれています。太陽神信仰から由来したものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アテネの街が見えます。とにかく暑い!!!

丘や坂がたくさんあります。

 

 

 

 

 

 

 

日本にもある焼きトウモロコシ。焼き栗。

物価はそんなに高くありません。

 

タイ料理にも行きました。

 

アテネのダウタウン。とにかくレストランの外にテーブル、椅子

が置かれて夜中過ぎまで賑やかです。

 

大統領官邸。