永遠に変わらない神の祝福 シャバット | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

1週間があっと言う間に過ぎてシャバットを迎えました。

片付け掃除洗濯やその他の事務用事の片付けもほぼ終わり、

新しい週、新しい年度を迎える準備が出来ました。

 

そして週一度どんなに忙しくても止まる日、シャバットを迎え、神の前でその日を家族と仲間と祝う幸いを体験します。

 

イスラエルのカレンダーは9月から始まります。

今年9月から来年の9月の新しいカレンダーをイスラエルで購入しました。そのカレンダーには聖書に書かれた神の記念日のスケジュールやイスラエルの国の記念日なども書かれているものです。

神の記念日は、グレゴリオ暦と異なり、西洋宗教の様に人間が

設定して固定した記念日ではありません。

 

そして神の創造された記念日と西洋宗教の創作した記念日とは

異なるものですが、これを知り認識して実践しているクリスチャンはそう多くはないと思います。今や一般の人の方が神の創造された記念日と宗教が編み出した記念日が異なる事を知っています。

新年の事をローシュ ハシャナとヘブライ語では言いますが、

これは聖書に書かれている新年と言う意味ではなく、イスラエルの人達が9月を新しい年の始まりとしているからです。

 

農業の新しいサイクル。そして一年の最後の締めくくりが

仮庵の祭りだからです。

海外では9月が新学年の始まりでもあります。

 

最近日本ではとある新興宗教の事が取り上げられていますが、

宗教の教えの性質とは人が作り出した教えであると言うことが

第一の前提にあります。そして人造宗教には教祖様なる崇められる人がいると言う事でしょう。

人を神の如くに崇めまつりあげる事、これこそが宗教の特徴です。

宗教ではなくとも、様々な事に関しても自分で丹念調べ、事実を突き止めて考えない場合には、一方的に流される偽情報に洗脳されて自分の思考が正しく機能する事が停止し、正しく考える事が妨げられてしまいます。しかも調べる情報ソースが偽情報であるなら、それらは意味の無い調査となってしまいます。

嘘、不真実を信じる事は本当に無意味、危険です。

そして自分の身に危険を招いても全く気が付かずにそれが正しく

良い事であると考えてしまうものです。

神の伝える真実では無い、神の言葉ではない、不真実な教えを

信仰の土台とする事も共に危険な事であり神が厳重にそのことに対して警告をし続けている事を聖書から確認出来ます。

 

今世界は、二極化し始めました。真実に目覚めている状態、

嘘に騙されて眠っている状態、何も考えないと言う状態も

あるでしょう。

神の性質、言葉、教えではない人の考えや教えは人のエッセンスを殺してしまうものです。シャロームを破壊し混乱させます。

そして人を縛り窮屈にしてしまうものです。

でも神の言葉は人を生かし、生き返られ、真理は人を本来の姿解放して、本物の自由=神の似姿、本来の性質を生きる事を可能にするものです。

神の言葉は人を生かし守る唯一の術でもあります。

神の教え、真理に留まる考え続けてその実態を生きる事

それが何より自分も守る事でもあります。

 

ホセア4:6 

わたしの民は知識がないために滅ぼされる。あなたは知識を捨てたゆえに、わたしもあなたを捨てて、わたしの祭司としない。

あなたはあなたの神のトラー=教え、インストラクション

忘れたゆえに、わたしもまたあなたの子らを忘れる。

 

ここに書かれている知識とは、神が伝える教え、真理、知恵etc etc です。その言葉は”知る”と言う言葉でもあるのです。

神の伝える通りを契約の関係の中で深く知ると言う意味の

知識なのです。婚姻関係の如く体験的に神の伝える意味を理解

している、神の伝える言葉、教えを裏も表も知り尽くして実践し生きていると言う意味です。ヘブライの世界は行動が伴わない

知識などないのです。全て行動につながる、それが聖書で語られている世界なのです。

クリスチャンの世界で例えばどこかのグループに所属希望する

場合、”あなたはこれこれあれこれを信じてますか?”の様に

聞かれるのが普通です。

でもヘブライの世界では、あなたはこれこれあれこれを生きて

いますか?シャバットを祝いますか?コシェル食をガードしていますか?などと質問されます。

あなたの生き方〜すなわちそれがあなたの信条を表すものである

と言う認識があるからです。

 

神の教えを実際に生きる時に人は神の中に守られる状態に留まる事が出来ます。そして体験的に神の真理を学習し続ける事を

繰り返すことで自分のものとして行く訓練が出来るからです。

今の様な世界で周りの環境は自分の力だけでは変えられない、

何事も無い時代でも、日々自分の生活の中には予期せぬ出来事が

起きてしまう事は避けられないものです。

 

だからと言って神は私達を決して見放さない、離れない、守られると永遠の約束を、神の契約書の中に記して下さっています。

でも自分の頭脳=思索をガードしない場合には、嘘、敵にやられ

てしまうのです。だから神の言葉=約束をしっかり認識し、

生きると言う事がどれだけ必要なのか分かると思います。

 

たとえ環境が自分を見放している様に見えても、神の目から見る

事を知れば、その裏にある神の計画の全貌を自分では見えない

理解出来ないだけである事は理解出来ます。

そして様々な出来事を通して必ず何かを教えて下さっている、

自分の中にある気が付かない事、変えられなくてはならないかだを必ず教えて下さっています。

 

今年2022年の仮庵の祭りは10月9日から始まります。

7日の間仮庵に住みなさいと神が人に伝えている言葉、教えが

あります。

7と言う数字やこの言葉はたくさんの言葉とつながっているものです。修復=回復=これを悔い改めと訳していますが、

戻ると言う意味のシュヴァ、テシュヴァは名詞です。

そして7=シェヴァ シャバット=第七日目の止まる日、

シュミタ=7年目の負債が消える年 シャブオート=過越から

7週を経て迎える祭り、ペンテコステ=ギリシャ語=第50日目、などなど。

一年のサイクルを神の性質を生きる回復のプランがあり、

それらは神の記念日から記念日へ、シャバットからシャバット

新月から新月、そして春の祭りから秋の祭りへと全てが繋がってるデザインされています。

 

詩篇89:15

祭の日の喜びの声を知る民はさいわいです。

主よ、彼らはみ顔の光のなかを歩み、<口語訳>

15 幸いなことよ、喜びの叫びを知る民は。

主よ。彼らは、あなたの御顔の光の中を歩みます。<新改訳>

 

祭りの日〜これは仮庵の祭りを迎える事、そして祭りが始まる

準備をする事を促す、聖書の暦の第七の月の1日、ヨム テルア

ショーファー=角笛を吹き鳴らす日、その角笛の音を知る民

喜びの声とは、角笛の音は神の声を表すものです。

神の声=言葉=教え、トラーを知る民は、神のデザインして指定

した日を迎え祝う幸いがある。神の教えを喜んで聞く人達は

神の喜び=エデンの中に留まる事が出来ると言う事です。

その人達、神の契約に加えられた人達は日々神の性質を神の教え

られた通りに生きる幸いの中に留まっている。

神の声の中声の下で神の声=教え=言葉を聞いて危険な世界

この世の旅路で安全に守られている。

 

神の言葉は全部繋がっているものです。

祭りの日、喜びの声とは何を話しているのかを知れば見えて

来ます。

ヘブライ語では、この15節は、神の前=御顔を見て歩む人

神の光の中=神の教え、言葉の実態の中に留まり歩む人

神の教えを裏表〜婚姻関係の中の親しさの中で知る人と言う

意味で書かれています。

 

その人達は神の教えを生きて、神がデザインした特別な親密で

ある祭りを迎えて祝うと書かれています。親しい親密な関係にある人達だけが祝う事が出来る特別な祝宴だからです。

その様な祝福を神の子らは得ている事実があります。

 

週一度のシャバットも神がデザインし創造し神の子らのために

契約の中にある関係の印として与えたと神は人に伝えています。

神の創造された記念日全ては、代々永遠に祝われるものと神が

人に伝えています。

 

神が言われた通りを信じて受け取り生きるか生きないか、

それは個人個人の選択なのです。

終わりの時代に、宗教の教え=人が手を加えて付け足し削除した

変形され変化した神の言葉や教えではなく、純粋な神の言葉だけに戻る=シュヴァー=軌道修正して神の言葉の実態=イエシュアが地上で生きて示した生き方に戻る必要があります。それには神が伝えている通りを正しく把握する事、人の教えと純粋な神の

言葉=教えの違いを聖書から再確認する事、人の作り出した伝統で継承される聖書とは異なる教えと、神が伝えている永遠不変の教え、言葉を見分けられる事。それには、神の言葉に戻り真実だけを把握し続ける事、この様なたゆまぬ日々の確認が必要なのです。

人の教えの招きではなく、神が招いておられる生き方に戻る。

それには勇気が必要なのです。なぜなら伝統や周りが実践している生き方とは異なる事が多々あるからです。

でも神の言葉の真理を把握したら、神の伝える真理だけに立ってみれば、それ以上同調圧力で人の教えを生き続ける事は出来なくなり、神の前にみ顔の前に立って日々を歩むと言う軌道修正をしたいと言う願望が起きてきます。

自分の中で認識している神の言葉の真実と、そうではない事を生きる認知的不協和の中に人は留まり生き続ける事が出来ないのです。

それには、自分の考えを変えるか、もしくは真実に立って行動を

変えるかのどちらかが必要になって来るのです。

同調圧力に押されて神の前に不真実を生きる事ほど損失な事は

ないからです。たとえ全世界を得てもまことの命=神が伝える

生き方を失うなら何の得があろうか?とイエシュアが問いかけた

問いに正しく回答する必要があるのです。

 

シャバットは人の子のために造られたとある通り、人の命を

ガードするものです。世界が破壊に向かうのは大きくても小さくても神のデザインを破壊した生き方を選択するからです。

そして神の真実を世界へ伝えられるのは、神の性質を内側に

受けた人達、神の教えを理解しそれを生きる人達を通して

地の塩、世の光として輝き世界に灯台としてイエシュア=まことの光を伝える役割を担っているのです。

その人達が暗い光や濁った教えを伝えてはならないのです。

イエシュアが地上で教えられ生きたのは、父の教えであるのです。父の教えと言う言葉の意味はトラーなのです。

婚姻契約に書かれた神が創造された人間の生き方なのです。

家族、仲間との関係を回復し軌道修正する日。不思議なことに

神の言う通りを信じ生きてガードする人の中に神はその中に

共におられると約束して下さった事を実践する中で体験すると言うことをお伝え出来ます。

 

Shabbat Shalom

 

 

この夏家族と共に過ごしたシャバットの思い出は宝物。

グリーク サラダ。フェタチーズが大きい。

右側にある茶色ソースが載っているものは、焼きチーズで

”ハルミ”と言います。すぐに覚えられる名前。とても美味しい。

 

新鮮な魚、刺身が売っているのでポケを作ってくれました。

海からの風が涼しいですが、アテネは夜も暑いです。

 

 

家族に又会える日を夢見て。

 

エーゲ海。又海で泳ぎたい。