シャバットが近づくとイスラエルは街全体、国全体がシャバットで止まる準備をするので、実体感します。普通の店は金曜日の
3時頃までに閉まります。ロシア移民など〜血筋もユダヤ人ではない人達が経営する店は、シャバットでも開いていますし、
その様な店にはコシェルではない肉や魚介類なども置いています。普通のスーパーにはその様な食品は置いていません。
3時過ぎになると道路にも余り車の往来もなくなり、家の中で
皆シャバットの準備をしているのが分かります。
そして夕暮れになると、それぞれの家や庭から家族、親戚、友人達が集まる声が聞こえて来ます。
なんとも言えない和やかな雰囲気になります。
14日木曜日は満月でスーパームーンでした。オレンジ色の月が
ヨルダン側から出てくるのを観測しました。ヨーロッパから来ている友人達はマサダまで行って光のショーを見に行きました。
13日にはネタニヤのビーチに居たので雲が多く、月が見え隠れしていましたが、夜通し月が明るく見えました。
13日水曜日の月。
満月が来て、満月を見る時、神の約束が今も有効である事を
知ります。新月が来て、同じ神の契約が引き続き再更新される
事実を天の万象を見上げる時に確認出来ます。神の創造物が
変わらない様に、神の言葉も、神の約束もそして神の性質も
イスラエルの神の私達への関わりも永遠に変わらない事を
再確認する事が出来ます。
もし神が歴史の途中でコロコロと神の性質や神の口から出た言葉を取り消したり訂正する様な神なら信頼することが出来なくなります。その様な神像は異教の神々の地、異教徒の教えを聞いて来た、異邦人が想像する神像でしかないのです。
聖書に書かれているイスラエルの神は、永遠に変わらない、
揺るがない、神は眠ることもまどろむことも、嘘をつくことも
契約を翻すこともない!と書かれているのです。
誰が神に対して真理を語っているのでしょう?
イスラエルの神ご自身が、神ご自身がどんなお方であるのか
人に伝えることが出来る唯一のお方なのです。
人が考える想像するイスラエルの神像ではなく、聖書に書いてある、神の口から直接語られた神の性質、その言葉を聞いて固く
信じる必要があるのです。
人の教えに神の言葉が覆われて惑わされないために。
神の言葉を捨てる、蔑ろにする、無視して注意を払わないと
神が言われている事が何なのか分からなくなると神は言われました。神の言葉を軽視する教え、神の言葉が歴史の途中で変更した廃れた、終わったと言う教えは、イスラエルの神から出た教えではなく神の言葉を遮る別の霊=サタンから出たものである事は明らかであり、聖書にはそう書かれています。
出エジプト34:6主は彼の前を過ぎて宣べられた。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、
神は永遠から永遠に同じ性質なのです。
途中で変化も進化もしない。
シャバットが始まる夕暮れ。昼間はとても暑いのにこの時間になると途端に涼しくなり、寒さを感じるくらいになります。
昨日は10時半過ぎまで皆で話していました。
大人と子供15名の集まりでした。イスラエルは春過越の祭りが終わった頃の5月から、9月下旬〜10月に来る仮庵の祭りまで
一滴も雨が降りません。なので外でする行事は天候を気にする事
なく行えます。毎日晴天です。
1世紀、聖書の世界は神の記念日、週一度の記念日、シャバット
安息日と訳される日は全ての人が第七日目を祝っていました。
パウロも、使徒達も1世紀当時のユダヤ人、そしてパウロが諸外国で教えた人達、コリント、ガラテヤ、ローマ人全てイエシュアに連なる人達は、シャバット、第七日目を祝っていました。
聖書には第七日目のシャバット、そして春と秋の祭り、新月を
祝っていた記録しか書かれていません。
そして、神が神の言葉や教え、神が創造された記念日を変更した
のではなく、人間=異邦人が歴史の中で神の言葉や記念日を別の
ものに作り変えてしまったと言う事が本当の事実なのです。
聖書に書かれた真実だけに基づき考えると言う事を始めると、神が伝えている永遠不変の教え、真理を発見出来ます。
人の教えを神の言葉だと考えてしまったら、真実ではない事の中で考え続けるトラップ=落とし穴、仕掛け、罠にはまってしまいます。
創造主が伝える真実、真理の中だけに留まり考え続ける時に初めて真実の点と点が繋がって行き、大きな画像が目の前に現れ出て
来ます。
Shabbat Shalom


