イスラエルにある他の博物館も同様ですが、ホロコースト記念館は1つ1つ見て回ると、時間がかかります。エデンの園の最初から、神の創造物と神の言葉に対する反抗は存在していて、それが今に至るまで変わらないと言うことも分かります。
神から離れて自由気ままに生きる人類の結末は、崩壊、破壊でしかないと言う明らかな結末があります。創造主が人に対して、神が造られた人、世界をどう生きるか?と言う事、イスラエルの神がどんなお方であるのかを教えているだけなのに、それらの神の
言葉=教えを捨てよ!と蔑ろにする様に教える人達で構成される
悪、悪事。それは自分の命、ネフィッシュ=全存在に対して、
自分を敵対する事であるのに、何も気が付かず世界のプロパガンダに乗る、それが歴史の中で繰り返されているのです。
日本でも戦後あった焚書。モーセの五書、ユダヤ人の賢人達が
書いた書、ユダヤ人の書を燃やして破棄する。
ユダヤ人の誰一人も地の面に存在させないため、一人残らず消し去る、その様な考えは今も健在で同時進行しているものなのです。誰かが考える、存在してはいけない命、人種、その様な発想は、産めよ増えよ地を満たせと言われた神の言葉とは全く異なる
思想、発想です。
働けば自由を得る、そんなスローガンは実現しませんでした。
ユダヤ人達は強制収容所に入れられた時、自分の持ち物を捨てさせられ、洋服を脱がされ、そして囚人服を着せられ番号を付けられました。ナチスに仕えてていたSSに所属している人達、
多くのクリスチャンがいたそうです。神の言葉に聞いてどう生きるのかを理解していたら、人を痛めつけ殺す任務は耐えられないものです。でもその認知的不協和を解消するためには、その任務
を正当化する理由がないとならないものです。
ユダヤ人は神の前に悪である!彼らが絶滅することは神の御旨で
あると言ったルターの言葉を信じて行動したのです。
でも一方では、多くのクリスチャンが迫害を受けたユダヤ人達を
自分の命と引き換えにかくまった事実があるのです。
人は誰の声、教えに聞いて生きるのか?でその行動が決まります。これから、同じ様に神の教えに反するものが世界に浸透し続け、同じ様な場面に直面させられる事は免れないでしょう。
神が何を教え、語っているのか、神の言葉から理解していない
場合は、様々な理由を付けて、神に逆らう行動をしてしまう事に
なりかねないのです。
ホロコーストで災難にあった人達1人1人の名前がこの場所に
記されています。全ての人の写真はありません。
博物館を出るとこの景色が見えます。
ヘルツルの丘。
エルサレムの中心に戻り、ゲツセマネの園に行ってみました。
このオリーブの木はイエシュアが居られる時代からあると
解説されています。木とは長寿、木とは救い主を表す言葉でも
あります。
東門、黄金も門、憐れみの門などとたくさんの名前が付けられている門です。この門を通りイエシュアが神殿に入った、そして
再びイエシュアが来られる時この門から入ると考えられています。
東と言う言葉は、地理、場所を表す言葉以外に、時を表す言葉
でもあります。ケダム=永遠と言う言葉です。
預言書には、ケダム、永遠を表す言葉で書かれています。
エデンの東も、地理を表すミズラ=日の昇る場所と言う言葉ではなく、ケダム=永遠と書かれています。永遠の中、神の中に人は創造された事実が表されています。
ヤッファ門から下るとマミラショッピングモールがあります。
ここで、エルサレムに住む友人であり先生である方と夕方の有意義なひとときを過ごしました。どこもかしこもたくさんの人で
驚きます。
これからシャバットです。友人達とシャバットを祝う準備をします。
Shabbat Shalom







