西洋宗教 カトリック プロテスタント そして聖書に書かれている記念日の相違 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

カトリックの祭りは西方、東方により多少違いがあります。

これらの日以外に多くの聖人の日があり、全部数えると70位

ある記念日、それらはほぼ西洋宗教が作った独自の記念日であり聖書で神が祝う様に教えている記念日ではないのものです。

宗教文化の祭りです。

 

主の洗礼祭

1月6日 1月19<ユリウス暦 グレゴリオ暦 >

 

主の迎接祭 エルサレムに入り祭司から買い取る儀式

2月2日 2月15日<ユリウス暦 グレゴリオ暦 >

 

四旬節 レント 受難を嘆き悲しむ期間。

2月22日〜4月6日<ユリウス暦 グレゴリオ暦 >

 

生神女福音祭

3月25日/4月7日

 

聖枝祭 4月17日<プロテスタント シュロの枝>

 

光明なる主の復活大祭

2022年 4/27ー6/1 <ユリウス暦 グレゴリオ暦 >

受難週 復活大祭

 

昇天祭 6月2日 

 

聖神降臨祭<プロテスタント=聖霊降臨祭 ペンテコステ>

6月12

 

生神女就寝祭

8月15日/8月28日<ユリウス暦 グレゴリオ暦 >

 

生神女誕生祭

9月8日/9月21日<ユリウス暦 グレゴリオ暦 >

 

聖十字架挙栄祭

9月14日/9月27日<ユリウス暦 グレゴリオ暦 >

 

11月1日 全ての聖人を祝う日<ハロウイン>

 

生神女進堂祭

11月21日/12月4日<ユリウス暦 グレゴリオ暦 >

 

主の降誕祭

12月25日/1月7日<ユリウス暦 グレゴリオ暦 >

 

日曜礼拝

 

 

プロテスタント

降臨節=待降祭 聖アンデレの日に一番近い日曜日から数えて

4週間がアドベント=キリストの誕生を待ち望む週。

 

クリスマス 12月25日

 

イースター 春分の満月の直後に来る日曜日

<シュロの枝 嘆きの木曜日 Good Fridayなど>

 

日曜礼拝

 

どうして西洋宗教の聖書が閉じられた後に異邦人達が創作した

教えが今現在有効な神の祭りで、聖書に書かれている神が創造したオリジナルの神が永遠不変である記念日と紹介している聖別された日が、呪いの律法主義的祭なので、昇天以降は廃れて終わりだと主張するのでしょうか?それは聖書の記述を根拠にしていない、人の教えを根拠とする思想、主張に過ぎないのです。

 

神が創造した記念日を捨てると言う意味は、神の教え=啓示を

捨てて、人の教えを取ると言う意味です。

神が何と神の口から伝えているのかだけに注意を払うべきです。

永遠不変代々に祝われるわたしの記念日と言われ、神の記念日を

神が聖別したので神に聖別された人は神の教えや記念日を

汚してはならないと書いてあるのです。

その意味を神の言葉を前にして神に問うて見たら、自ずから

聖書に書かれて真実である神の言葉=聖霊を通して神が教えて

下さいます。

神の記念日に神が特別な出会いをすると約束してくれた事、

これはどの様にどうなの?言われてもそれを実際に体験し参加しない場合には分からないとしか言えません。誰かが食べた事の

ない食べ物の味を説明だけを通して、実際に口にしないものの味わい、食感、食べた後の体に及ぼす影響を体験させてと言われても不可能なのと同じことだからです。

 

でもイスラエルの神は神の言葉、教えを尊重し、敬意を払い誠実に生きる人を大きく報いてくださると約束して下さっています。

神の言葉を取るのか、人の教えに固執し続けるのか?

その前に、異邦人の世界で教えられて来た教えが、人の創作の

教え、人の創作の記念日であると言う事実に全く気がつかない

場合は、神の言葉が頭脳には届かない状態のまま留まり、

人の手が作り出したもの=金の子牛を通して、イスラエルの神を

礼拝するのと同じ事をし続けてしまうのです。

 

神が言われた通りを生きる。それが神に創造された神の性質に

造られた人の本当の性質に沿った生き方だからです。

 

なぜ神の創造された記念日が退けられ、異邦人の間では全く

祝われなくなってしまったのか、その歴史の事実を学ぶべきです。

神が昇天以降別の記念日を祝う様に人に伝えたからではない、

異邦人、西洋教父たちが、神殿崩壊70年AD以降、ローマ帝国の迫害に負けた、そして元々存在した反モーセの五書思想があり、2世紀〜5世紀の間に異邦人はユダヤ人と完全決裂し、

独自に編み出した思想、教理、宗教に入って行ったからです。

異邦人は使徒15章にある様に、又パウロの書簡に登場するコリントやその他の地域に居た人達は信じた後も神の教え=

トラーを知らないままであり、異教徒の教えに混じって生きて、不品行を重ねた生き方をし続けた事が書いてあるのです。

 

ヘブライのモーセの五書=トラーに書かれた内容をじっくり

学び、知ると言う教育がほぼ抜けたまま、自分達のヘレニズム思想を混ぜた考えや教えで神の言葉を都合よく選び分け、自分達の文化に無い異物な教えや、馴染みのない生き方、記念日を排除し、地場宗教にあった教えや創作記念日にすり替えて行ってしまったのです。これらは神の前には冒涜であり、神の啓示に人間が手を付けてはならない!と言う神からの警告を全く無視した行為が行われ続けて来たのです

 

神の言われた通りにして!と言う神からの忠告を受け入れたくな

い、これらは肉の自我が根底にあるからです。

 

こう考えますよね。神に対して熱心にやれば良い、自分の神に

対する熱意、気持ちが何より大事だから、一生懸命なら何でも

神が受け取ってくれるだろうと考える。でも聖書には逆が書いてあります。それら=神の教えに沿わない思考や行動を神は忌み嫌い、異物なので吐き出そう!と言っています。そうですよね。

神の性質に合わない、聖書に書かれている事とは違う、聖別されたものではないものを神がもし受け取り認可したら、神はトンデモなく不真実な神になって、人には何が真理、真実なのか見えなくなってしまいます。

はいははい、いいえはいいえと言いなさいと言われた意味を

理解すれば良いのです。

もし自分が誰かに自分が他者に伝えたい大事なメッセージを託すとするなら、自分が意図する通りを忠実に伝えてくれる人を任命しませんか?自分の言った意味とは違う、しかも言った意味とは

全く関係の無い事を伝える人を選びたいと思いますか?

常識的にそんなリスクは回避します。気をつけて、忠実に仕事を成し遂げてくれる人、正しく伝言してくれる人を選ぶはずです。

神は人に神の言葉を変えてはならない!と言っているのに

異邦人の世界では大声で昇天以降、神の教えは廃れた〜!!!

と言う聖書のどこにも書かれていない、危険な教えを平気で

世界へ伝え続けているのです。イエシュアの処刑、復活、昇天

そしてイエシュアの業を信じて受け取る人は救われる!と言う

部分の教えは真実ですが、その後の神の言葉を曲げて伝えている

内容が聖書では無い!と言う事に気がつかないと始まらないのです。いつ神が神の言葉を破棄しろ、そうしろと人に伝えましたか?聖書のどこにそんな事が書いてあるのでしょうか?

イエシュアも逆を伝えていますよね。

神のトラーの一点一画も廃らない。神の言葉に手を加えてはならない、差し引き、付け足ししてはならない。天地が今あるなら

神の言葉も廃れない!と言う強調で話している。そして、神の

教えをないがしろにする様に教える者は天の国で一番無価値な

存在であり、神のトラーを教え生きる様に伝える人は天の国で

大いなる存在である!と言われました。そしてトラーを捨てて

生きる人を無法者!知らない=あなたとは契約の関係にない!と言っている本当の意味を理解し気がつかないとならないのです。

 

どうして神の教えを捨てる事が正義であると伝えるのか?

人の教えを聞いて、聖書に書いてある神の言葉を書いてある意味通りに教えれらていない、学ばないからです。

西洋宗教の記念日、カトリックの聖人の日や、マリアを生神女と呼び、そのことに関してプロテスタントが違和感を感じる理由は、それは聖書の教えではないからでしょう。それと同様に1世紀には今の様に異邦人の世界で聞かされる神の言葉終了、人種別に時代別に神の教えが異なり違うとか、置換神学、デイスペンセーション神学の様な教えなど存在もしていないヘブライ人はその様な思考回路=ヘレニズム思想で神の教えを時系列上に仕分けする様な考えなどゼロ、聖書にはそんな事など書かれていないのです。

これは神の言葉を書いてある通りに学び、言葉の神=聖霊に

教えられればはっきり気が付く永遠不変の神が伝える真理です。

聖書に無い教えや記念日は人が創作したものであり、

しかも神の記念日を作り替えたり、又は違う記念日を神の既存の

記念日とすり替える!この様な行為は決してあってはならない事

だったのです。

聖書に書かれた神の創造された代々に渡りイスラエルの神に属する子らにより神が祝いなさいと命じられている神の子らの印としての代々に渡り祝う永遠不変オリジナルの記念日。

祭の日は必ずシャバットとして止まる日になります。

曜日に関係なく、祭の最初の日と最後の日はシャバットとして

止まり祝う日とイスラエルの神が伝えています。

 

2022年の神の記念日の暦。

毎週金曜日の日没から〜土曜日の日没までの第七日目が

シャバット=止まる日=安息日。

 

新月=ロシュ ホデシュ 聖書の暦の第一日目

 

2022年 リンク 新月満月暦

 

聖書の暦 第一の月の15日。2022年4月15日日没から。

第14日の日没=第15日=過越の祭=ペサフ

出エジプト=奴隷から贖い出され子羊の血で神に買い取られ

神のものとされた事を表す。イエシュアの地上での処刑=

永遠からある贖いの業を地上で表し証明された日。

 

過越の日から7日間”種無しパン”を食べる除酵祭=マッツアを

食べる。4月15日日没から7日間。

 

過越から数えた次の日、”ビクリム”=初穂を捧げる日

復活の命=イエシュアの命に連なる事を意味する。

 

初穂から7週を数える”セフィラット ハ オメル” 

4月16日から6月4日夕まで。

復活の命にされた事、新しくされた人が成長する、

神の国の一員、花嫁として神から正式に契約を受け取る準備期間

 

シャブオート=7週祭<ペンテコステ=第50>

6月4日日没 種ありパンを捧げる 種あり=イエシュアの

性質が入れられた最上の小麦で焼かれたパンを意味する。

シャヴオート の祭=収穫、初穂、婚姻契約=トラーを与えられた、そして聖霊により力づけられる

初穂にさらにより多くの収穫が増し加えられる事を表している。

世界に存在する民族が同じイエシュアに連なり、同じイスラエルの神の一員として加え続けられて行く。

 

秋の祭

聖書の暦 第7の月の1日。

ショファーを鳴らす日=ヨム テルア 2022年9月26日〜

27日。神からの呼び出し目覚ましコール 王の到来、戴冠式を意味する。

 

大贖罪日 ヨムハキプリム 神の審判の日 第7の月の10日。

2022年10月4日〜5日。

 

仮庵の祭り=スコト=イエシュアの中に住まう事を表す7日間。

第7の月の15日。必ず満月になる日。

 

そして第8日目=シェムニ アツレットの祝いの日を迎える。神の統治に入る事を意味する日。2022年10月9日〜16日。