異教の神の祭りをカトリックが作り変えたハロウインの祭り | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

異教の神々の祭は、太陽にまつわる記念日が多くあります。

春分、秋分、夏至、冬至。

聖書に書かれている”エジプト”その中でイスラエルの神に対抗

したものが、太陽神ラーです。悪霊、異教の神の代表=太陽神。

ケルト人、ドルイド教の聖日は”ハロウイン”を理解すると見えます。日本の宗教でもある様に天体を拝む事に根付いています。

太陽の至、夏至、冬至、そして月、春分、秋分です。

これらの時期が異教の神々の祭の特徴でもあります。

古代のドルイド教は、この4つの時期に当たる日、イヴとその日

を祝っていました。ケルト人のドルイド祭司によりこれらが

行われていたのです。

この太陽に纏わる記念日で最も重要なものが”サウイン祭”と言う

夏の終わりと冬が始まる時期、秋分の時期に来るものです。

春の祭 イムボルク 多産、出産にまつわる祭です。

夏の祭”は”ベルタン” メーデーと日本でも知られる5月1日、

ゲール人の祭。8月1日 ”ルナサ”収穫の初めを祝うケルト人の

祭。この様な異教神の祭がありました。

 

秋の終わりに祝う”サウイン”と言う祭は、秋分を界に日が短くなる、その秋至に祝う祭りです。日照時間がどんどん短くなり、

暗くなり、夜が長くなる、暗闇が始まる日です。

そして冬至は日照時間がこれから延びる全て太陽神にまつわる

記念日です。エジプトの神ラー、サタンの象徴、悪霊の象徴として書かれている神は太陽神です。そして、春分は古代の女神に

多産を祈る祭りです。だからイースターエッグなのです。

太陽の日照時間が長くなり始める冬至の時期にも、異教の神々の

様々な祭があります。

 

サウインと言う祭りは11月1日に来るもので、その祭りが始まる晩が10月31日の晩なのです。

この古代の祭りは死者の霊の主を祝う事なのです。

"容赦無く奪う”として知られる祭り。異教の神々のケルト人の

信仰〜この日2つの世界、物理的世界と霊的世界が引き寄せられ

死者の霊が生きている人達の世界を徘徊すると言う思想です。

ケルト人はこの”サウイン”を”魔法の時”とし、大きな焚き火をし、その火は霊的な意味を表すものとして灯しました。

異教の神々の慣わしにそい、その火は消され、そして再びその

火が燃やされ、これで一年の終わりを表し、新しい次の年が来る事を表しました。

ドルイド教の信仰では、サウインの祭りのイブには死の神=主が前の年の12ヶ月動物の中に閉じ込められていた他の悪霊を

呼び出しました。そして実際にこの祭りの日に人を生贄として

捧げたのです。

イスラエルが異教の神々の教えにならい、モレク神に自分の子供を捧げた記録があり、神はその様な事を断固として禁じ、戒めている事が書かれています。

レビ記18:21、列王記16:3, 21:6, 23:10

イエシュアが地上で誕生する前の 数百年間、ケルト民族は、

今のフランス、ドイツ、イギリス、スコットランドとアイルランドに住んでいました。

これらの人は後にローマ帝国により征服されるのです。

ケルト民族、ドルイド教の情報は、200BCあたりのローマの歴史学者やギリシャの文献に多く見られ、そしてアイルランドの書物に一番早くそれらの情報が載っています。

ローマはドルイド教が人の頻繁に生け贄をしていた事を書いています。

ドルイド教は、魔術を使い嵐を巻き起こす、そして土地を呪い

魔術をする道具を創作してたそうです。いわゆる悪魔教です。

今ではハロウインは民家のドアからドアを訪ねてお菓子をもらうと言う楽しいイヴェントになっていますが、当時の人々は10月

31日の晩に悪霊が放たれ徘徊し出現すると非常に恐れて、

自分達に危害を与えられてしまうと考えていたのです。その晩に

悪霊が自分達の家の食卓に群がり、彼らが捧げる生贄をサウインが喜ばないなら悪い仕打ちをされると恐れました。それで彼らは、悪霊の顔を大きなカブにくりぬき、その中にキャンドルを

入れて、悪霊を家から追い払う、寄せ付けないおまじないをしたのです。

そしてこの時期に未来を占うことをするのが一番良い時期だと

信じ、結婚、運、健康そして死について占いました。

偽の神々にこれらの事を聞いてお伺いを立てたのです。

日本で言えば、占い、口寄せです。

そして悪霊をなだめるために、食べ物、飲み物を捧げ、儀式をし

人間や動物の生贄を大きな火の中に捧げたのです。

これは彼らの土地の一番高い丘の上でなされました。

聖書に書かれている異教の神々の礼拝場=高き所と同じです。

 

そして自分達の身を守るために、これらの霊に対して、トリックを使ったのです。トリック=自分達の家畜を殺すなどしてです。

ドルイド教の祭司は良い食べ物を供し、時には女の子供を捧げるなどしました。

ドルイドは彼らは悪霊に属する者であると言う意味を示すための

ものであり、それゆえドルイドに悪や危害を与えないで下さいと言う意思表示をそれらの儀式を通して示したのです。

ドルイドの一番悲惨な捧げ物のは人生贄です。それらを通して

病を払い除ける、戦争で敗戦する事を回避するなどの目的です。

そしてボランテイアが犠牲者を誘拐して来たのです。

そして、医学的、カルト的目的で、人を食べた、これら全て

モーセの五書に反する教え、悪霊そのものの慣わし生き方です。

ドルイド教は人の肉は人に戻るのが良いのであるとし、これらの

おぞましい行為を繰り返していました。

ここまではケルト人、ドルイド教の悪霊に関わる儀式や教えですが、それ以降が問題なのです。

イエシュアが地上に来られ、昇天された後、ヨーロッパでは

多くのケルト人、ドルイドがカトリックに改宗しました。

カトリック僧侶達はケルト人の祭り=異教の神の祭に手を加えて

”クリスチャン”の祭りとして作り変えて行ったのです。

これが問題なのです。いつも同じ手口です。

神の教え=言葉=掲示に手を付けて良いと考える思考回路。

異教の神々の要素を取り入れて自分達の祭としてしまう事。

神の言葉に付け足し、削除するなかれ!と言う神の教えを全く

無視しているからです。

反モーセの五書=オリジナルの神の永遠不変の教えを捨てて、

ローマ教と言う別の新興宗教が作られた事、神の言葉=掲示に人が手を付け塗り替える教えは存在してはならない、神に対する

冒涜的行為=神の言葉削除、付け足しする行為なのです。異邦人信者達は1世紀後半から既に、神の言葉=モーセの五書を否定し、塗り替え、別の教えを付け足した宗教を作った!と言う歴史の事実を殆どのクリスチャンは知らないまま、使徒2章以降には、モーセの五書とは違う教えが出現し、モーセの五書に書かれた神の教えは破棄されたのだ!などどう言う聖書に書かれていない教え、神が神の言葉を終了させた!それが十字架の業であり、恵の業であり新しい時代の新しい生き方をイエシュアが地上で

示したのだ!と言う聖書とは異なる人が作った教えを信じているのです。

No No NO!です。神の言葉の一点一画どの部分も変わっていない

終了などしていないのです。福音書〜黙示録を書いた使徒達は

10000%モーセの五書のみを語っている事実に異邦人クリスチャンは気が付いていないだけなのです。もしユダヤ人でもそう

信じる人がいるならば、それは同様に異邦人が編み出した哲学、思考、神学の教えにどっぷり浸っている状態だからです。

 

610年ADの5月に新しい祭りがカトリックにより作られました。神が作ったのではない!と言う事実に基づいて考えれば真実が見えます。その祭は”全ての聖人の日=万聖節”です。

殉教したカトリックの聖人達を崇め祀る記念日をカトリックが

作ったのです。そして後にローマカトリックは、ケルト人の秋の祭であった悪霊祭を、この万聖節と言うものに変えた祭を通して、ヨーロッパにキリストを伝える手段として利用する事を考えついたのです。ザビエルの思想と全く同じ思考回路です。

アイルランドの書では、カトリック僧侶がこのハロウイン=万聖節を伝道に利用する事に取り憑かれ、魅了されたと記録されています。力を持っているドルイド教は、後にカトリックに改宗し

修道院のメンバーになって行ったのです。異教徒思想が土台。

そして、5世紀に入りカトリックは新しい記念日を足すのではなく、サウインの祝日をカトリックの亡くなった聖人を崇める日

である記念日、五月に祝っていたものを移動して、11月の

サウインの悪霊祭の記念日に便乗して祝う事にしたのです。

 

その日11月2日に、ドアからドアへ人々が渡り歩き、ケーキや

亡くなった家族の為に祈る祈りを交換に与えて下さいと言う事を

行ったのです。死者を祈る祈りとはカトリックの教えであり、

聖書には書かれていない思想です。そして生きている者の死者に

対しての祈りにより、天国地獄行きた決まると言う思想。

非聖書的な思想です。人の祈りにより自分の行き先が決まる?

人任せ?この世の礎が造られる前から神に選び出された事実が

書いてあるのです。他者の祈りにより自分の運命が決まる=

カルト宗教の教えと全く同じです。神に主権があるのではなく

全て人間至上主義、人間が神の言葉を仕分ける思想とぴったり

同じ、それらの思想は全部非聖書的思想に影響された考えです。この万聖節は、使徒信条として根付きます。

死者は、天と地獄の間の不確定な場所に死後滞在する=カトリックの教えをプロテスタントのクリスチャンも信じている場合が

あるのは、この思想から来るのです。

聖書には何と書かれていますか?神の中に居る、神も信じる者

の中に居る。感じなくても、今聖徒達は既に神の中に存在していると書かれています。

ヨハネ17:21 父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、

わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。

 

6世紀のグレゴリオ教皇1世がドルイド教の祭りとコラボする事を決めその教えをカトリックに導入しました。

”彼らは動物の生贄を悪霊にこれ以上捧げる事をやめます。

しかし、神を賛美し、食するために動物を屠るのです。

そして神の贈り物をお互いに送り合う事をしましょう。”

神を賛美、与えられた祝福、食べ物に対して感謝する事は聖書的です。でもその根底にあるのは、ドルイド教の悪霊祭り、それを

変形した、これが問題なのです。この様な、半分聖書、半分異教の神々の慣わし、教え、祭り、要素を混ぜて取り入れ創作する

行為を異邦人の世界ではずっとやっているのです。

7世紀、教皇グレゴリー3世は、ローマカトリックの信仰を持ち亡くなった人達を覚える日として設定しました。

9世紀に入ると五月に祝っていた”全ての聖人の日=万聖節”は

11月1日に移動しサウインの祭りと入れ替えました。得意な

置換作業。以前は11月2日にドアからドアへケーキ、お菓子を求めるイヴェントをしていましたが日を改めました。

カトリックが11月1日が亡くなったカトリックの全ての聖人の日そして11月2日が”全ての亡くなった霊の日”と制定しました。

ローマカトリックがローマ帝国の正式な宗教となった後、

この祭りのある部分は、既に亡くなったカトリック信者になぞらえて衣装を着てパレードをする事を行っていました。

そして全ての聖人の日=万聖節=ハロウインと言う日にし、

カトリックは殉教したカトリックの聖人を崇める記念日としました。そして全ての霊の日として、亡くなった人達の霊を崇める日とし、そして前年に亡くなった人達を思い出す記念日ともしました。

全ての聖徒の日をオール ハロウス デー”と言う名前にし、

その前の日の晩に”オール ハロウス イヴ”と言う名前=

短くしてハロウインと言う名前にしたのです。

 

教皇グレゴリー4世は、この日=ハロウインをユニバーサル=

世界的ローマカトリックが記念し祝う日と正式に設定しました。

現代のハロウインの起源、由来は、ケルト人の悪霊祭りの儀式と、迷信をローマカトリックの教えと混ぜてカトリックが作った祭りであると言う事です。つまり基本は同じ=混ぜ物、異教の神々、悪霊の要素がある教えと、自分たちの教えを混ぜて作った混ぜ物作り物の祭りと言う事が事実なのです。

 ヨーロッパやアメリカでも異教の神の由来がある祭りの要素と

交わる事を断固拒否していた人達も存在していました。

それはハロウインだけではなく、日曜日=太陽神の礼拝日、

イースター、クリスマスの祝いもハロウインと同様に裏には異教の神々の祭りが土台となり異教徒の祭に便乗したカトリックが

作った祭りだからと言うのが理由なのです。

そして日曜礼拝や、クリスマスやイースターは神が祝う様に命じていない、イスラエルの神が創造した日、聖別した日ではない、普段の日であり、それらは人が決めて2世紀以降作り出した記念日、裏には太陽神、異教の神々の信仰、要素、性質、儀式、慣わしが既に存在していてそのものに便乗させて創作した記念日なのです。

イスラエルの神は神が創造した記念日を神の子らは代々永遠に

祝う様に神は人に命じられているから、人の創作した別の要素=異教の神々の要素、教えやシンボルが混ざった記念日は祝わないと言う単純な理由でもあるのです。