前回の記事の続きです。福音書以降に登場する12弟子は
一般のイスラエルの男子でした。しかし彼らが無学で無知であるなどと言う誤解をしてはならないのです。
パウロの様な国の最高機関に就く様な高等教育を受けた人は
マジョリテイ〜大衆ではありませんが、イスラエルの当時の人達は誰でもトラーを幼い頃から教えられる、知っている、
日々トラーについて家庭で隣近所で語る、教えられる、それらが
イスラエルの人々の住まう環境だったのです。
ユダヤ人の教育=神のトラー=言葉、教えを学ぶ事だからです。
知恵の始めに知恵を得よとある通り、神の言葉は全ての知恵の
源なのです。エジソンやアインシュタイン<アインシュタインは何も発明していない、意味の無い数式、仮説などを作った>よりもっと優れた発明をしたニコラ テスラは他の科学者の様には
世界では取り上げられませんが、テスラの母親は聖書には全てが書かれているから、これを覗き込めば分かると教え、テスラは
母の言葉通り聖書から、そして神が造られたこの世界を観察して様々なこの世界の法則、真実を突き止めた人です。
神の知恵に根付く事、これが真実の発見の源、根拠であるから
です。
古代のイスラエルは1つの街囲みの中に親戚も家族も皆一緒住み1つのコミュニテイの中では、お互いに知り合いである。
隣近所で問題があればみんなで取り組む、考える。
トラーに違反する生き方をする人が居れば、長老達が対処する。
その街に入るところには門があり、長老がその門番をし、
外部からの知らない侵入者が入って来ない様に街をガードする、
その様なコミュニテイでの生き方だった訳です。
ペテロは漁師を職業とし、パウロの様なトラー学者では
ありませんでしたが、ペテロの役割を見るとペテロはトラーを
一般の人としては良く知っていた人であることが分かります。
なぜイエシュアがガリラヤの地でトラーを教えていたのか
理由が見えます。
ガリラヤは、当時最もトラーに熱心で、多くの優秀なトラー学者や教師達を輩出していた場所でもあったのです。ガリラヤの人々は、日々トラーについて学び、語り、議論し、トラーに熱心な人々が住む場所でした。
家族がコミュニテイが皆トラーを学び、神の言葉に根付き
皆が神の教えを生きている環境。誰も神のトラーは呪いの律法であるなどと考える人もいない世界です。
その地に生活した人はトラーに根付き、暗唱していた人達です。
トラー、預言書を丸ごと暗記する。これは独特なメロデイーで
歌いながら覚えるものです。今もそれがあります。
歌に乗せると分からなくても覚えられます。
だからイエシュアがトラーの中に書かれた教えをガリラヤの人達に話したら、ガリラヤの人はイエシュアが何を言っているのか
即座に理解出来た人達なのです。
イエシュアがガリラヤの地域の人達へ、トラー=神の教えの天的解釈を伝授、教えたその理由が見えます。
ガリラヤは地理的にも、世界に繋がる重要な商業ルート=道が
あった場所です。アジア、ヨーロッパ、アフリカへの商業ルート
それがマタイに書かれています。海沿いの国々への貿易街道。
タボル山の上に上がると、この太古の商業道路が今も見えます。
マタイ4:15 「ゼブルンの地、ナフタリの地、海に沿う地方、
地の塩、世の光としてイスラエルが選ばれ、異邦人でも同じ
イスラエルの神、イスラエルの神の1つの家族に加えられる人は
誰でも同じ役割が与えられるのです。
申命記4:6 あなたがたは、これを守って行わなければならない。これは、もろもろの民にあなたがたの知恵、また知識を示す事である。彼らは、このもろもろの定めを聞いて、
『この大いなる国民は、まことに知恵あり、知識ある民である』と言うであろう。
4:7 われわれの神、主は、われわれが呼び求める時、
つねにわれわれに近くおられる。いずれの大いなる国民に、
このように近くおる神があるであろうか。
4:8 また、いずれの大いなる国民に、きょう、わたしがあなたがたの前に立てるこのすべてのトラー=教えのような正しい定めとおきてとがあるであろうか。
ペテロは、12弟子の中で特待生的存在であったのです。
異邦人クリスチャンの世界で語られるペテロ像はおっちょこちょいの先走り、お調子者などではないのです。
12弟子のグループの中でペテロはリーダーでした。
だからイエシュは12弟子に質問をして、ペテロが必ず最初に
答えているのです。マタイ16:13−18 14:22−36
ペテロが率先して答えて、行動したりしているので、おちゃらけ
キャラクターのそそっかしい弟子などと言う解説をされて
しまっているのだと思いますが、実はペテロはイエシュアの右腕の使徒、詰まりトラーに書かれた事を一番良く理解していた人物であると言う事です。
次にある異邦人の世界で語られている聖書に関しての先入観
固定概念はそれぞれの神学により語られている内容は違いますが、共通点は異口同音に反モーセの五書=1世紀後半から出て
きた西洋教父達が創作し唱えた反聖書的教えを土台としている
もので、それらは聖書を根拠にした教えではないのです。
神から出たものではない単なる異邦人の創作思想です。
その前に絶対に知らなければならない、真正面から向き合わなければならない聖書の事実、歴史の事実があります。
いくつか交差するので、その中で分けて書いてみます。
6 異邦人クリスチャンの世界では、イエシュアが来られてから
カトリック教?キリスト教?なる新しい教えや宗教に変わった。
1世紀にはクリスチャンと言う新しいグループが出来たと教えている。<これは既に前の記事で解説済みなので重複しません。>
その新しいグループは、ユダヤ人のモーセの五書とは違う教えを生きて、シャバットは第七日目から第一日目に変更=日曜日に
主が復活したから?と言う事を根拠にシャバットが変更と言う
聖書に無い教えを信じ、実践している。
神の記念日は呪いの律法で破棄されたので、昇天以降は日曜日、クリスマス、イースーターを祝う事に神が変更し、レビ記23章に書かれた神の永遠不変の記念日を祝うのを終了した。
神がそうしろと本当に言った???のでしょうか?
これが神の仰せであると信じていると思いますが聖書のどこに
そんな事が一度でも書いてありますか?
神がいつどこでそんな宣言をしましたか?
シャバットが日曜日に変更されたと言うクリスチャンが言う箇所は実はそんな事など書いてあるのではないのです。安息日が
日曜日に変更されたと主張、誤解されている箇所、ローマ14:5、1コリント16:1-4 使徒20:7、この三ケ所に書いてある内容を
完全読み込み勘違いして、日曜日礼拝に変更だとクリスチャンが根拠にしている箇所ですが、それら全て日曜日礼拝の話などしていない、どの日でもそれぞれが考える日がシャバット=第七日目=止まる日などと神は1度も話していないし、1世紀当時、聖書に登場する誰一人として2世紀以降の異邦人西洋教父の教えを
伝授し実践する異邦人クリスチャンの考えさえも思い浮かばない誰もそんなものを実際に実践していないのが聖書の事実です。
神が一度でも永遠不変に祝われた神の記念日レビ記23章は
変更になったなどといつどこで言いましたか?聖書のどこに
そんな事が書いてありますか?書いてあるわけがありません。
神が言っても無いことを根拠にする信仰とは、神の教えから
ずれたものです。神が言ってない、異邦人西洋教父たちが言った
だけ、それが伝統で語り継がれ恒久化し、4世紀にはローマ帝国教と言う時の新興宗教が作られてしまったのです。
ローマ皇帝がローマ帝国の支配拡大と、ローマ帝国の民を支配するために作った合成宗教。だから異教の神々の教え=地場宗教の
教え、太陽神の思想や偶像などがふんだんに盛り込まれてしまっているのです。オリジナルの神の教え、アヴラハム、イサク、
ヤコブ、イスラエルの神の純粋な言葉ではない混ぜ物の教え。
それは、神のオリジナルの教えを捨てて、違う教えを混ぜて
作った宗教!そんなものは本当に出現してはならなかったし、
神が神の言葉を否定し、そんな別物の教えの宗教など作ってなどいないのです。イエシュアはローマ教を作ったのですか?
全部人間の世界の中で、人間が勝手に創作し、やっている事だと言う本当の事実に戻れば、どうして1つ神の教えが、異邦人の
世界でこんなに分裂したものに変身したのか、どうして1世紀の使徒や信者=聖書に書いてある内容とは違う事を教え=反モーセの五書を教えを異邦人は信じて実践しているのか?イエシュアが教えていたモーセの五書を否定し、異教の神々女神の名がついた祭りや儀式を異邦人はしているのかの本当の理由が見えてくると思います。
全部聖書に根拠の無い教えです。伝統で語り継がれ定着し実践されているだけ。誰がそんなことを言い出しましたか?神ですか?西洋教父、モーセの五書に決別した異邦人が、西洋思想
ヘレニズム思想=アリストテレスやソクラテス、プラトンの思想
を土台として聖書を読む、ヘブライのトラーなど知らない教師達
が勝手に編みした教えに異邦人は染まったからです。
そして西洋教父達は、モーセの五書と完全に決裂することを
異邦人信者に強要し教え続け、語り続け、ユダヤ人のグループ、トラーを教える教師達と2世紀以降に
完全決裂したから!それが異邦人が違う教え=反モーセの五書を生きて、違う記念日を祝い実践している本当の理由なのです。
現代のユダヤ教も1世紀当時とは全く違うものなのです。
宗教などは本当は存在してはならないもの。
イズム〜教とは神の言葉に人の教えが混じったものなのです。
必要なのは純粋な神の言葉=教えだけなのです。
神の言葉とは異なる、反する人の思想や哲学は要らない。
前の記事に書いた様に1世紀には既に西洋宗教を教え、クリスチャンと言う今までにない人々=イエシュアの救いを始めて受けた人間が地の表に登場し、そして、教会と言う新しいグループが
出来たと完全に誤解している内容を書きました。
聖書の事実は、最初から同じ1つの家族=カハール、エクレシア
神の声に呼び出され応答した人々の群れ=イスラエルの1つの家族、同じオリーブの木に異邦人も接ぎ木され、同じイスラエルの
羊の囲いに異邦人も加えらる!その事実しか書いてありません。
異邦人クリスチャンの世界の教えは、異邦人クリスチャンの
グループにイスラエルが加えられると言う非聖書的教えを考えていますがそれは10000%聖書の記述とは真逆の思想です。
逆です。イスラエルの神、イエシュアを通して同じイスラエルという大家族、同じ神の家に加えられ同じ婚姻契約を土台とした
生き方をし、同じ記念日を共に永遠に祝う!
そして、異邦人クリスチャンは神の国=家族に加えられた人は
モーセの五書を生きる=神が与えた契約の姿を生きるなどと
微塵にも考えていないのです。神との関係を表すもの、その実態を生きる事、それは婚姻契約無しには成立しない!と言う
聖書の事実を完全に見逃しているからです。どうして?
1世紀後半に出てきた神の言葉に敵対する、反モーセの五書思想
をスローガンとした西洋教父達の作り出した教えに異邦人クリスチャンは付いて行ったから、だから70000以上の分裂した
教え、教派、宗派、そして1世紀のイエシュア、使徒、パウロ
ユダヤ人異邦人信者が生きていたトラー、記念日とは別物を
生きる路線に移行したと言うのが本当の事実です。
続く