ガラテヤ4:2 父親の定めた時期までは、管理人や後見人の
監督の下に置かれているのである。
4:1−2は、家族の長が、相続人である家族のメンバー=
子が時満ちて財産を受け継ぐまで、家の中に居る他の使用人と
何の区別も無い家族であるのに、使用人と同等の位であると、
ローマの法律を例えて話しています。
パウロがここに書いている意味は、父が宣言するまで相続人で
ある子は何の権利も財産も所有していない、肉的継承権や
法的立場も関係無い。相続を受けるための生まれによる事には
何の関係も無い。
ユダヤ人であろうが、異邦人であろうが、ただ相続を受け取る
唯一の根拠、条件は信仰により救い主を受け取ると言う事実だけ。相続が出来る唯一の根拠は信仰による事である事実に立ってそれは宣言されるものである。
相続人となる唯一の根拠は、信仰により受け取る事だけ。
肉の生まれの権利、それが神の国の一員となる継承権では
ないからです。
そして神の家に加えられた人達は神の言葉=インストラクション
教えを生きる!それが神の家族の生き方、姿である!
イエシュアが言われた言葉とぴったり繋がります。
神の家族は、神の教え=言葉=トラーを生きる人!と
イエシュアの口から言われた通りです。
ルカ8:21 するとイエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」と
お答えになった。
神の言葉とは、トラー=モーセの五書です。聖書の全ての
どの箇所も全てトラー=モーセの五書を指して話しているのです。
神の言葉、教え=モーセの五書に書かれた契約の中に留まり
契約の命をガードして生きる人が本物の神の家族の生き方をしているメンバーであるとイエシュアが言われているのです。
神の国の相続人となることは、努力や自分の行いで獲得するものではない、でも信仰により神の国を相続する人となったあかつきには、神の契約の中に生きる事に同意し、実際に生きる事、
それが神の国に住まう、立場=契約の命の中に生きる事を
保って生きているかどうかだけであると言っているのです。
ギリシャ語の”子”という言葉は、ネピオス、文字通り”子供”幼児と言う意味の言葉です。そして14歳になれば、法的立場を得る
子供と言う意味のギリシャ語です。
その子は、父の財産を受け継ぐ相続人になる立場の者である。
そして時が来るまで、他の使用人と同じ立場を取っている。
さらに、家族の中での立場は、全ての人がこの子が相続人になるのは当然の事と認めていて、同時に家に居る使用人と同じ制限の中に置かれていると言う立場なのです。
パウロの強調している点は、信仰による”法的立場”なのです。
なぜなら、パウロがずっと論じている内容にぴったり沿って
いるからです。子は父が定めた時まで、保護者とマネージャーの元にあり、これはローマの法律になぞられていますが、
ローマの法律では、子が14才になるまで、ペデゴーゴにより
教師の元に連れていかれる決まりがあるからです。
そして、父は、息子が14才から25才にの間管理人を指名しその子を指導する様にするのです。
パウロが”管理人” 保護者と言う言葉で、説明している通りに、
保護者は、相続人自身を保護するものであり、管理人は、相続人の財産を保管する役割をするものなのです。
トラーの中には、救い主に出会うまで安全に守られるその役割もあると言う意味でも書かれているのです。
普通の人でも、神を知らなくても、トラーに書かれた生き方を
したら安全に守られます。誰でもそうです。
互いにガードし、助け合い、守り合い、お互いに違反せず、
お互いを思い合い、傷つけない、相手の立場や利益を尊重し合い、許し合い、人の悪口を言わず、噂話をせず、非難せずに
間違いを指摘し、和を保ち、人としての尊厳を保ち生きたら、
シャロームを保つ状態で居る事が出来ますよね。
だから学校でも道徳を教えたりしているのでしょう。
ごめんなさい、ありがとう、挨拶して、困っている人が居たら
互いに助け合いましょう。これらは教えの出処を知らなくても
神の似姿に造られた人の性質、トラー書かれた生き方です。
イエシュアに出会うまで、トラーはペデゴーゴ=養育係の役割をしているとパウロは説明しているのです。
そして神の国の相続人になるのは自動的になるのではない、
肉の生まれが全てでは無い!信仰による義=イエシュアに
繋がり始めて、相続人としての立場が有効になると言う事を
パウロが強調しているのです。
類似点において、救い主イエシュアを離れた信仰であれば、
それはアブラハムに与えられた約束の契約に連なる相続人では
無いと言う事なのです。
この強調は、パウロは同じギリシャ語のネピオスと言う言葉を
使っており、イエシュアにある信仰から離れたものであれば
肉的ヤコブの子孫であれど、神の家ではマイナーな立場、
神の相続人では無い使用人と同じ立場であると言っているのです。
パウロは、あたかも置換神学を語っていると誤解してはならない
点でもあるのです。パウロは断固としてイスラエルが契約の
代表者である聖書の事実を貫いて語っているのです。
ローマ11:25で、パウロは神の計画は、アブラハムの肉の
子孫=イスラエルが代表者である、そしてイスラエルが契約の
代表者である民であり、神の権威の摂理によりイスラエルが
正当な神の相続人の代表である事を宣言しているのです。
でもパウロは、アブラハムが持っていたイエシュアにある信仰と
同じく、これが神の国の相続人となる最大の鍵は、肉の生まれではなく、信仰により同じ義とされている事実を受け取ることだけであると話しているのです。神の契約は全部全面的に
”メシア中心”であり、メシアにある信仰を離れて契約の民に加わることは、不可能!と話しているのです。ユダヤ人が異邦人に
対して、救いを得るためには、ユダヤ人が編み出した
”改宗儀式”=プロセライト=割礼と言う名前をユダヤ人達が付けた儀式をしないとダメである!と言う別の福音が聖書では無いと
パウロが話している論点を忘れずに読み続けて下さい。
4:3 それと同じく、わたしたちも子供であった時には、
いわゆるこの世のもろもろの霊力の下に、縛られていた者で
あった。
パウロは3節で、”私たち”と言う言葉に切り替えています。
これは、”ユダヤ人と異邦人の両者”と言う意味です。
ユダヤ人はローマ2:20にある通りに、他の人々に対して
教師だと考えています。
なぜなら、ユダヤ人はトラーを神から代表として与えられた
所有者であり、トラーはメシアへ導くものである現実を知って
いる人々だからです。
ローマの家庭の様にペデゴーゴや管理人の下にあり
イエシュア ハ マシアによるはっきりとした信仰を確証していない状態の場合、ユダヤ人は、法的な相続人としての立場を
未だ得ていない状態であると言う事を言っているのです。
全ての人は創造主=イエシュアに出会うまで、別の法則=霊=
別の主人の下に縛られて生きていました。
4:4 しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、トラーの下に生れさせて、おつかわしになった。
4:5 それは、トラーの下にある者をあがない出すため、
わたしたちに子たる身分を授けるためであった。
4節、5節に書かれている内容をパウロがトラーが悪いものであるかのごとく話していると誤解しては真実は見えてきません。
神の教えの下にあるものを贖い出すためなどと誤解すれば、
それは、”神の教え”=悪いもの=呪いの縛りのごとく読み込んで
しまいますね。
ではパウロは一体何を言っているのでしょう?
人は誰も神の言葉=教え、インストラクション=トラーに
書かれた詳細が分からなければ、神の目に何がズレ=罪なのか、
汚れなのかはっきりとは認識出来ません。神だけが人に神の
造られた世界=神の創造した人はどんな性質でどんな生き方を
するのかを伝える事の出来る唯一の存在、絶対的基準です。
人間の中には、神の前に悪=ラー=神の意図からズレた事で
あるものはある程度理解出来ますが、詳細までは分かりませんし
どうしてそれをする、しないの決定的基準がどこに由来しているのか神を知らない、神の言葉を知らない場合は言及する事が
出来ないのです。自分がそう感じるから?そう思うから程度に
しか解説出来ません。
”悪”と訳されているヘブライ語の言葉は、”ラア”です。
ラアとは、犯罪、不道徳以外だけではなく、”神の意図、
神のデザイン通りから外れた全ての事”をラア=悪と神は説明して
います。
自分の培って来た異教の神々の文化背景では、普通の事、
誰でも当然にやる事、それらが神の目からとてつもなく忌み嫌うと言う性質の事柄である事は、神の言葉=モーセの五書に書かれた事を理解し、それらが神が人に語る教えている永遠不変の神の義、聖別の基準である事を認める、気がつくと言う大前提がない限りは、神の教えは全て頭上を通り越してしまうものなのです。
詰まり、トラーには全てが書かれています。
イエシュアは100%トラー=モーセの五書を教え、語り、
生きました。だから、モーセの五書を今信じられないなら
何を言っても通じないとラザロのたとえ話の中でイエシュアが
語られている通りです。
ルカ16:19−31
続く