仮庵の祭りの第七日目が昨日の日没で終わりました。
仮庵の一番大きな日にイエシュアが”生ける水”宣言をした
くだりがヨハネ7:37に書かれています。
今日は”シムニ アツレット”=第8日目の聖会、
この日は2021年は火曜日ですけれど、シャバットとなります。神のオリジナル記念日はいつも曜日に関わらずシャバットで
始まり、シャバットで終了するデザインです。
異教の国々=諸外国ではもちろんイスラエルの神の記念日を祝いませんけれど、イスラエルは契約を受け取った代表として、
国全体でこの日を祝います。一年トラーを読んだ感謝と神への
祝福で待ち中が喜びの祝賀で盛大に盛り上がります。
イスラエルだけの記念日だとか、ユダヤ人の記念日や教えと
言いますが、神はユダヤ人だけの記念日などと神の記念日を
人類に紹介していません。”わたしの記念日”と紹介しています。
神の記念日を祝い参加する人達がほぼユダヤ人が主流なので
ユダヤ人だけがやっているので、ユダヤ人の祭りだと勘違いしているだけです。神の言葉=教えに、ユダヤ人だけの教え!など
無いのです。代表者がイスラエル=ユダヤ人であると言うだけの事なのです。み言葉=トラーはシオンから世界へ出る!とある
通りです。同じトラーが世界へ伝えられているのです。
イエシュアに連なる人は人種、時代に関わらず、誰でもこの祭りに今も招かれているのです。
再臨後は全世界が神のトラー=モーセの五書を割礼がある頭脳=イエシュア=聖霊を内側に受けて理解している状態で生きる、
そして記念日を祝う様になるとクリアーに預言されているのです。聖書に書かれた事を曲げたり無視しても事実は永遠に変わらないのです。
再臨後の世界 イザヤ56:4−6 ゼカリヤ14:16:19
以前書いた記事ですが、日本で皆が知っているフォークダンス
マイム マイムは仮庵の祭りの水を汲み出す喜びの儀式を歌って
いるものです。このダンスをイスラエルでも踊ります。
2014年の仮庵の祭りで友人たちと輪になって
”マイムマイム”を踊った楽しいひと時を思い出しました。
日本の学校では、”マイム マイム”の下りだけ歌いますね。
マイム マイムが何を意味するのか、この踊りが仮庵でシロアムから水を汲み出す時に歌われた事、この聖句は、イザヤ12:3
に書かれたものであることなど全く知りませんでした。
トラーを知らないなら、何が聖書に書かれているのか漠然とした
理解しかくみ出せないと言うことを元に書かれた内容に戻り
神の預言的福音的記念日=シャバット、新月、過越、シャヴオート、ショーファーを鳴らす日、ヨム キプル、そして一年の最後の締めくくりの祭り、仮庵の祭りを一年を巡り祝い続ける中で
実際に福音の意味を知って行きます。
さて、仮庵に7日の間に住まいなさいと神からの仰せがあります。普通の人に神の仰せを伝えたら、”何それ?”て人の普通の
思考や常識では不可解なものだらけです。
過越の祭りの大掃除や、マッツアを食べる7日間や、
日々のリマインダーの仰せ、戸口につけるメズサ、これは日本人ならちょっと理解出来るかな?と言うのもありますが、
衣の房や割礼や食べ物や、なんで?て思います。
しかも、仮庵を作って7日間住まう?
これら全て神の深い知恵なのです。私達が誰であるかを教えているものだからです。
イエシュア=仮庵です。再臨の後全世界は神のトラーを生きて
神の記念日を祝う様になると預言されています。
先ず今日8日目の意味とは何なのか考えて行きたいと思います。
仮庵の祭りは、謎めいた内容が含まれています。
トラーには、仮庵の祭りは7日間と書いてあり、そして8日とも
書いてあります。?レビ記23:33−36ちょっと意味不明。
第七の月の15日、仮庵に7日間住まいなさいと主は言われると
あります。仮庵の祭りが始まる日はシャバットとして止まり
労働をしない聖なる会合の日。
仮庵は7日間続くと書かれています。それと同時に8日目の事も
書かれています。レビ記23:39
第七の月の15日、大地の全ての収穫物を集めた日に、
主のために七日日の間祭り=祝宴を祝いなさい。
そして最初の日と最後の第8日目に止まり憩いなさい。
事実第8日目は”集会”とか”聖なる会合”とされていて、
ヘブライ語= עֲצֶרֶת レビ記23:36であり、 שְׁמִניִ עֲצֶרֶת
シエミイニ、アツレトとは、第8日目の集会と言う意味です。
Atzeret アツレトとは、アツル עצר 保留する、継続すると言う
意味の言葉です。
ユダヤ人の賢人達は、仮庵の祭りを持続し終わることを制止すると言う意味です。
仮庵の祭りを終わらせず次の日に継続する。
でも聖書には、7日間仮庵の中に住まうと書いてあります。
第8日目は仮庵の祭りとは独立した別の記念日であると理解しているものなのです。しかしこの第8日目は7日間の仮庵の祭りの要素、性質をそのまま保持して繋がっているものなのです。
三年毎のトラー朗読のリストの中では、シェミニ アツレット
のトラーの朗読箇所を申命記の14:22に設定してあります。
この箇所は、第7年目のシェミタ年と同時に三大都上りの祭り
ペサフ<過越>シャヴオート<ペンテコステ>スコト<仮庵>
の祭りの内容が書いてある箇所です。
この箇所で第8日目を一年を巡る祭りのサイクルの結末として
位置付けているのです。
事実、私達が住むこの世界、大地のサイクルの歴史は、
週の七日間、第七日目=シャバット、救い主がミレニアムを
統治する事を表しているものでもあります。
そして、第8目はシェミタ年=第7年目、シェミタ年を7回繰り返す49年目の後に来る年、ヨベルの年、この年に全てのもの
土地や財産が元の正しい所有者の手に戻る年として神が制定している年なのです。全ての負債が帳消しになり、全ての人が奴隷=負債の為に使用人となっていた状態から解放される年でもあるのです。
シェミニ アツレトは仮庵のシェミタ年であり、7年のサイクルとヨベルの年、7年の7つのグループをなぞられているもの。
ヨベル=יוֹבֵלは、 יבל, 雄羊 又は生産すると言う意味の言葉から来ています。 雄羊の角笛とも繋がります。
主が第6年目には、三倍の収穫を約束しています。
なぜなら第7年目には大地を休ませなければならないからです。
レビ記25:21ー22
第6年目に収穫された作物は9年目まで食べる事が出来ると
書かれています。ヨベルの年とは、第50年目。
トラーでは7年目を数え、シェミタ年=第7年目を迎え、
その7年を7回繰り返し、50年目にヨベルの年を迎える。
これらの暦を見て気がつかないとならない事があります。
過越からシャヴオート<ペンテコステ>までの祭り。
オメル=初穂を数える7週間を過越からシャブオート迄過ごす。
シャブオートは過越から7週を数えた次の第50日目。
ミニチュア版になっています。
では、50年目は次の49年=7年を7回繰り返すサイクルの
最初なのか?それとも単独の年なのか?
聖書の記述では7年を7回のサイクルを1つのグループとして
カウントされています。
ヨベルの年=第50年目は次の49年=7年を7回のサイクルの
最初の年として数えられています。
聖書の年表にそえば、イスラエルが約束の地に入ったのは
1424年BC、そしてエルサレムが崩壊されたのが554年BC
もし、49年サイクル=7年を7回を使うと、70年=シェミタ
年は、イスラエルによりソロモン神殿<エゼキエル4:5−6>から430年もの間怠って軽視されて来た事になります。
その結果、約束の地を追い出され、70年間の捕囚の地での生活を神よりイスラエルは課されることになりました。
神は、約束の地は7年目のシャバットを受ける様に要求されていたのに、イスラエルはこれを実行する事に失敗しました。
レビ記26:43
この事実を計算するには、49年が1つのサイクルの年であると言う事であると辻褄が合います。
第二の裏付けは、エゼキエル40:1にある49年サイクル。
エゼキエル40:1 われわれが捕え移されてから二十五年、
この時は、ヨベルの年に違いないです。
なぜなら第10の月とあるのは、ヨベルの年にしかその第10の月は無いからです。そして年代によれば、捕囚して25年目と
記されています。ヨベルの年を49年サイクルで数えれば、
18年目のヨベルの年は、25年目の捕囚の地での時に
なるからです。
ヨベルの年をこのサイクルで数えるとダニエル9:24の解説に
鍵があることが分かります。
ダニエル9:24 あなたの民と、あなたの聖なる町については、
七十週が定められています。これはとがを終らせ、罪に終りを
告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を
封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。
ヘブライ言語では、全体の内容が全て含まれています。
神の究極の永遠の救いの業のプランが語られています。
もしそうであれば、70と言う意味は、ヨベルの年のサイクルは
決定されていた。ヨベルの年のサイクルは、最初のヨベルの年
から、70回のヨベルの年のサイクル。
では終末の終わりの年が推定できる?いや出来ないのです。
神の摂理である神の年の数え方は、私達から既に抜けている
からです。
ダニエルの預言を正しく解き明かす方法でもあります。
それがいつとは分からなくても私達は、”終末”の時に生きていると言えます。
ヨベルの年がイスラエルが約束の地に入った後から始まった
のならば、今はもうヨベルの年を70回を超えた時に今居るから
です。
はっきりいつとは分からない。でももし上の解説が正しいなら
救い主が来られる時に近づいている事は間違いないのです。
続く