ヨハネ7:37 祭の終りの大事な日に、イエスは立って、
叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところに
きて飲むがよい。
7:38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、
その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。
福音書〜黙示録の中身は100%モーセの五書を指して
語っています。新しい教えや別物の教え、2種類別の福音、
又はモーセの五書=父の言葉=婚姻契約に書かれた神の永遠の
言葉以外の教えなど聖書には書かれてもいないし、
ましてモーセの五書を否定した教えなども書かれている箇所など聖書には1つも無いと言うのが聖書の永遠の真実です。
そんなはずない!!???とクリスチャンの世界では言います。古い教えは破棄されたのだ〜!と神の永遠不変の言葉に対して
そう信じていますか?もしそう信じているならその理由は、
1世紀後半から、ローマ帝国の政策と同じく、異邦人が作り出した反ユダヤ反イスラエルの神の言葉=反トラー=反モーセの五書思想を作った、異邦人教父達の教え=2000年近く語り継がれた反トラーの教えが聖書だと教えられ続けて、語り継がれて
しまった不真実=反聖書の教えを信じてしまっているからです。
人の教えをインプットされてしまって出来た先入観を捨てない
限り聖書に書かれている事実=永遠不変の神の言葉!命に匹敵
するのでガードせよ!と目の前に書かれてあっても、
書いてある通りに見えないままになってしまうのです。
いやその前に信じている内容=神の言葉廃れた!途中で変わる!今は不必要と言う教えが聖書ではない!と言うことに気が付かないとならないのです。神の言葉は1つなのです。神は完全であり神の言葉も完全で訂正手直しなど必要がないのです。
イエシュアの口から出た言葉は100%父の言葉=モーセの五書
!それ以外には無い!と言う事実に気が付いたらこっちのもの
です。サタンは嘘つきです。
サタンは神の言葉を最初の最初から曲げて人を騙しました。
その手口はずっと同じ、今も同じなのです。
サタンは荒野でイエシュアに嘘を言って誘惑しましたね。
同じです。でもイエシュアは石をパンに変えろ!と命令した
サタンに何と言い返しましたか?
”人は神の口から出る一つ一つの言葉=トラーにより生きる!”
と申命記8:3,モーセの五書の父の永遠不変の言葉で対決したの
です。神の口から出た言葉とは、シナイ山で文字として正式に
書かれた永遠不変の神の言葉=婚姻契約=モーセの五書です。
文字に書かれる前に、同じトラーが選ばれた人達に神の口から
直接語られました。アダム、ノア、アヴラハム、ヨセフetc.
同じ神の同じ言葉、同じ契約、同じ福音なのです。
ヘブル1:1 神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、
1:2 この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。<同じ父の言葉=永遠不変の神の言葉>神は御子を
万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を
造られた。
なぜ?神の言葉=神ご自身であり、人を安全につなぐ臍帯と
同じ。だからそれを断ち切りたい。酸欠状態、栄養不足状態に
させて、神の実態から切り離したいからです。
出エジプト=奴隷から解放された人達は、嘘の呪縛から解放され、神の本物の言葉=教え、自由への入り口=ピハヒロテから
入る扉が開くのです。
もう一つの入り口は=バアールツフォン=隠れた偽の神々。
神の言葉を否定する教えは神から出たものではなく、
別の神々別の霊から出たものだからです。
どちらの道を行くか?救われた後も常に元の奴隷状態へと引っ張り後戻りさせる力が働いている警告が出エジプトした直後の人達の様子を通して聖書には書かれているのです。
出エジプト 14:1 主はモーセに言われた、
14:2 「イスラエルの人々に告げ、引き返して、ミグドルと海との間にあるピハヒロテの前、バアルゼポンの前に宿営させなさい。あなたがたはそれにむかって、海のかたわらに宿営しなければ
ならない。
本物の羊飼いの声を聞き分けるには、モーセの五書に書かれた
言葉が永遠不変の神の言葉=教えである事を知らない限り
嘘ものの羊飼いの声は世界中に蔓延しているのです。
ヨハネの福音書には、過越や神の祭りに関連した出来事が
書かれています。この7章もそうです。
ここで、分かる事実があります。
1世紀、イエシュアが地上に居た、そして使徒達、パウロが
存在して居た時代には、全てのユダヤ人、そしてユダヤ人であり
メシアを信じる人達、少数の異邦人メシアを信じる人達は
100%古代と何も変わらずに、モーセの五書を生きて、
神の記念日=レビ記23章の祭りを祝っていた記録しか書かれていないのです。聖書の事実から目を背けて、人の作った空想を
考えて行けば、それこそ異邦人達が編み出したヘレニズム思想
哲学反トラーの神学の教えの上に非聖書的教えの雪だるまを
作り出していくように、聖書では無い別の教えを編み出し続けて行ってしまうのです。
イエシュアが語られた教え、生きた教えは、
100%モーセの五書。
1世紀当時のラビ達の口頭トラー=律法の行いと呼ばれる、
ラビ達解釈の生き方とはまるで違う生き方であった。
天直送のモーセの五書を父の意図する通りを教え生きたのです。
今は関係ない祭りとクリスチャンの間で考えられている神の
記念日は、再臨の後には全世界の人々がシャバット、新月、
祭りを祝う様になると預言されているのです。
イザヤ56:1ー7、ゼカリヤ14:17−19は再臨後の未来
預言なのです。
どうして今の時代だけ、神の教えが無効になると言う教えが神の真実なのでしょう?
神は永遠に代々に祝う祭りと神の子らに教えているのに、
人の教えが様々に妨害して、神の言葉を聞けない飢饉を生み出しているのです。どうしてローマ帝国が作り出した教えや記念日が正当なもので、神が創造した記念日が無効になるのでしょう?
祭りの大事な日と書いてある意味は、仮庵の最後の日、
第七日目の日の事です。
毎日、シロアムの池から水を汲み神殿に持ち運ぶ儀式が行われましたが、この第七日目が一番盛大な日です。
動画でこの古代の”水を汲む儀式”の再現をやったものがありました。2014年に撮られたものです。
2014年の仮庵の祭りに私もイスラエルに居ました。
仮庵は喜びの季節と呼ばれる一年の最後を締めくくる盛大な祭りです。神の祭りは全て収穫にちなんでいます。
福音を表すそのものでもあります。
春の収穫から、新しく生まれて代わり、初穂=復活の命を頂いた、そして婚姻契約を受け取り、人生の旅路を経て、
最後はイエシュアの再臨を全世界が迎え神の前に立つ。
ヨム キプルを経てイエシュアが到来して王の王として子羊の
婚姻の宴を迎える=仮庵。第七日目を迎え全ての収穫物が最後に
集められる!そして第8日目イエシュアが統治される世界へ移行する。全て預言的福音的祭りであり、収穫を考えても見えます。
全部の収穫物=一年の最後に集められる。
残りの民が集められ子羊の婚姻の大祝宴を迎える。
仮庵の祭りの水を汲む儀式の喜びを知らない人は、
本当の喜びを体験していないと言う賢人の言葉があります。
神殿が火で灯されエルサレム中にこの光が煌々と放たれたそうです。
この祭りの最大の喜びの日にイエシュアが自分が”生ける水”を
与える源である!と宣言したのです。
つまり救い主であると言う意味でもあるのです。イエシュアが
祝われていたのは現代祝われている様なローマ帝国が作った
記念日や教えではなく、オリジナルの神の創造、言葉、記念日を生きていた事実が聖書には書かれているのです。
シロアムの池から水を汲み出す。
祭りの最後の日七日目にイエシュアが救い主宣言をエルサレムの
神殿でされたのです。