ガラテヤ3章 祝福と呪いと言う意味は? | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

聖書に書かれた様々な翻訳用語や概念を、自分の生まれ育った国で教えられて来たものを通して考えていると思いますが、

聖書に書かれた内容とは違うものがたくさんあるのです。

 

例えば、天国地獄とか、良い悪いとか、きよい、汚れているなど数限りなくヘブライ語の中で語られている当時の人達が理解していた神の言葉で語られる概念や意味、性質が、日本人の日本語のそれとは意味内容がマッチしないものがたくさんあります。

 

ガラテヤ書の解説を進める前に、”祝福”と”呪い”に付いて

聖書に書かれた内容を見る必要があります。

 

イスラエルの12部族と共に出エジプトした少数の異邦人達が

約束の地に入る前に、婚姻契約を再更新=同じ中身を確認し

生きる意識を正している箇所が申命記の最後の方に書かれて

います。ゲリジム山とエバル山の前に立たせて誓う場面です。

 

申命記27:11 その日またモーセは民に命じて言った、

27:12 「あなたがたがヨルダンを渡った時、次の人たちは

ゲリジム山に立って民を祝福しなければならない。

すなわちシメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ヨセフおよび

ベニヤミン。

27:13 また次の人たちはエバル山に立ってのろわなければ

ならない。すなわちルベン、ガド、アセル、ゼブルン、

ダンおよびナフタリ。

 

神の教え=トラー=モーセの五書=婚姻契約の中には、

”祝福”と”呪い”の両方が書かれています。

これは2つでワンセットです。

なぜでしょう?人がなんでも好き勝手にやったら危ないから、

神は境界線をちゃんと与えている=それが”呪い”と言う言葉で

書かれている内容です。

〜する者は、呪われると申命記の27章にずらずら書かれています。読めば当然!と言う事ばかりです。

神が呪いの神で怒りの神だからではないのです。

 

この”境界線=呪い”がある理由は、もしイスラエルがズレた事を行えば、神の言葉=婚姻契約の中に書かれた生き方=人の本来の生き方に戻る必要がある、それに気がつかせるために様々な

境界線=警告を神が与えるよ!と言う事です。当然でしょう。

神は愛の神で人が傷つく状態に陥ることを放置しないからです。

神の教えからズレた状態で生きている事は大変危険なことなので、その事に気が付かせないとならないから

”呪い”が置かれているよ!と書いてあるのです。

神の教えを捨てよ!と言う教えは、大変危険な教えであると

聖書から気がつく人は、神の中に安全に守られる生き方を

すると言う事なのです。

 

”呪い”と書かれているヘブライ語の意味を知れば納得行く内容です。

日本人が考える呪いと言う意味と、聖書に書かれた呪いの意味では全く違いますよね。呪い〜なんて考えると、私の場合は、

藁人形を手に柱に釘を刺して呪いの言葉を語り、相手に悪いこと

悪霊でも取り付く様な様子の漫画=楳図かずおさんのホラー漫画や藤子不二雄の、”笑ゥせぇるすまん” ”魔太郎が来る”みたいな、あんな呪い〜恨みはらさでおくべきか〜みたいな怨霊を人に与えると言う様なものを考えていましたが、そんなのとは全く違う本質、性質の内容が聖書には語られているのです。

 

ヘブライ語の呪いという言葉の意味は、神の臨在から引き離れされてしまう事、神の目に軽い存在になる事、神の前に本来ある

べきである価値がない存在になる、詰まり、本来の自分の価値=

重さではない軽減された状態、神との関係が本来の顔と顔を合わせる親しい関係、性質からずれて離れてしまう事を言っているのです。

神の言葉をないがしろにして生きるなら、神との本来の顔と顔を

合わせる神のデザイン通りの本来の性質、状態から離れて

別物を生きてしまいます!と読めば理解出来るでしょう。

別物とは神の性質とは異なるコピー品の生き方であり、

神のものではない、本物ではない違う生き方を生きることは

大損失であると知れば良いのです。たとえ全世界を得ても

まことの命=神の意図したデザイン通りの生き方を失うなら

なんの得があるでしょう?とイエシュアが言われた通りです。

本来受ける本当の意味の祝福を逃して生きることだからです。

偽物、騙しの中に生きること、死=神との隔たりの中に生きるとは、まことの命を失いながら生きていることだからです。

 

人が神が伝えるどの教えでも、どんな度合いでもズレた事を

したら内側に陰りが出来るのを誰でもトラーを理解していなくても体験しますね。嘘をついたり、人に不親切にしたり

意地悪な事をしたり、ひどい言葉を言ったり、無礼な行動をした後、普通は嫌な気持ちになったり、後悔しませんか?

本来体験する喜び、神の性質をミスして生きる損失。

内側に神の性質では無い不純物、ゴミが溜まる生き方。

あんな事言うんじゃなかった、あんな言い方するんじゃなかった、あんな行動するべきではなかった。。。と

誰でも後悔してまたやってしまった〜と言う経験するでしょう?

 

それです。神の伝える人の性質からずれて生きたら、必ず正常な

状態や関係からずれて陰り、歪み、破壊が起きてしまう。

シャロームを失い、神との関係にヒビが入る。

神と人から隔たりが出来てしまう。

その事を呪いと言っているのに、あたかも神が酷い怒りの神で

”お前を呪うぞ〜”とでも言っているかのごとく語られますが、

ヘブライ語を見ると、神が人を呪うのではなく、その呪い=

隔たりの状態をあなた自身の行為が招いてしまうよと言う

書かれ方がされているのです。この違いが見えますか?

 

そしてズレを軌道修正せずに、ズレをやり続けて生きる人は、

他者を破壊に導く、汚れを仲間内に取り込み、悪影響を与えるので、宿営の外に出されると書いてあります。実際に宿営の外に、イスラエルの国外に追放された様に自分のあるべき状態ではない場所に飛び出してしまう事でもあるのです。

 

あなたが神の教えを神の意図通り霊に導かれ生きたら、

祝福がある。雨があり実りがありとある。正常な状態、喜び

インセンテイヴ、ご褒美を神が与えているのです。

臍帯と同じ。神の中、安全に生きる事から飛び出さないため!

 

ズレて生き続けたら、あなたがそのズレが危険であると本当に

気がつくためにそれらが取り除かれ、それでも分からないなら

雨も降らず作物も実らず、やがてあなたもイスラエルの国から

追放しますよと言う事が起きたのです。

エデンに園から飛び出してしまった事と同じです。

呪い=神の臨在が取り除かれてしまう事です。

神殿から神の臨在が去ったことにも繋がるのです。

 

神の教えをないがしろにするなら、イスラエルでも異邦人でも

神と隔たりのある場所に飛び出しますよ!と言う事なのです。

 

神のトラー=教えをどんな度合いにでも外したら危ないよ!

言う事を神が教えているのです。それはあなたの命そのものだから!と神が言っているのに、クリスチャンの世界では神の言葉を捨てて生きる事が霊に導かれる新しい生きる事なのだから、

今は神の言葉は要らないさ!みたいな教えをされていますが、

その教えこそ、神=言葉=霊であると聖書に書かれている事実に盲目状態なのです。

神の言葉は終わり!神の言葉を捨てて生きよ!神の教えは無用という教えこそ呪いを自ら身に招く教えです。

 

福音書〜黙示録は100%トラーの内容しか書かれておらず、

トラーとは別の新種の教えなど一切書かれていないのです。

新しい別種の教えが書いてあると読み違える箇所は、ガラテヤの書簡の誤解されている内容と同じく、聖書の事実ではない解説をされてしまっているからなのです。

 

肉に頼る救い、義を自分の業で得るやり方=ガラテヤの人の間に蔓延していた別の福音=ユダヤ人ラビ達が編み出した改宗儀式や教えを経なければ、天の国の一員になりませんと言う偽の福音。

 

それは神の教えでもなければ、同時人間の肉の行いに頼る方法で義とされる事=人の手柄や儀式や行いで義を得ることは出来ないと言うパウロの論点をはっきり捉えて下さい。

そして何時もパウロは神のトラー=モーセの五書を100%支持し、一度も否定した教えや神の言葉を変形した教えなどしていない!と言う聖書の事実を聖書に立ち発見して下さい。

 

霊で始まった=詰まり人は誰一人として自分の手柄で義や救いを

得られないから、イエシュアが一方的に与えている事実が聖書に

書かれているのに、それを本来の性質と異なる方法=改宗儀式=プロセライト=ラビの教えを生きる事で義とされるやり方をしても意味無い!人間の儀式や教えをやるのは全く無意味!不要!とパウロが諭している内容を頭から外さないで読んでください。

聖霊はお金や行いで買えるものではございません!と言う事。

 

 

続く