今日はアヴの月の9日 テイシュ ベアヴ 歴史上数々の悲しい出来事がイスラエルに起きた喪に服す日 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

今日は聖書の暦、アヴの月の9日です。

今年は、7月17日日没から18日日没までです。

昨日のシャバットが終了する日没から、ユダヤ人に取って数々の

悲惨な出来事が起きた日で、この日は伝統的に喪に服し、

”哀歌”を読む事をします。

 

この日に何が起きたのでしょう?

1 伝統的に、12人の斥候達が約束の地を偵察した後、

頭脳に割礼の無い不信仰な10人は、約束の地に対して

悪い報告をした日と考えられています。民数記13章

 

2 この日ネブカデネザルとその軍隊がソロモンの第一神殿を

崩壊した日です。

 

3  AD70年 この日第二神殿が崩壊されました。 

 

4 この日にバルコクバの乱が起きて、彼の軍隊は大量殺戮され

第二ユダヤ戦争はそれによって終結しました。

 

5 この日にローマ皇帝 ハドリアがエルサレムを

”アエリア キャピタリナ”と言う名の異教の神々の都市と

しました。現代までに置いても同様な出来事がユダヤ人に

取って起きています。以下。

 

1 伝統的に1世紀に十字軍は1905年のこの日に始まったと

されています。クリスチャンが、トルコ軍に対しての戦争を

仕掛けた日であり、今現在イスラエルとされている

全体の領域をそこに住まう住民をヨーロッパ軍が皆殺しにし、

エルサレムをクリスチャンの都市とすると宣言しました。

 

2 1209年のアヴの月の9日に、エドワード1世がイギリスから全てのユダヤ人を追放した日。

3 信じがたい事に、1492年この同じ日に、全てのユダヤ人がスペインから国外退去命令をされ追放された事。

 

4 1555年、パウロ4世教皇が全てのユダヤ人をゲトーに

移動させた。

 

5 1914年の8月1日、ヘブライ暦のアヴの月の9日ロシアのドイツ大使が第1次世界大戦を宣戦布告した日。

 

6 1942年、7月22日、テイシュベアヴの始まりの時に

ヒットラーの最後の解決策の始まりとして、ワルシャワのゲトーに居るユダヤ人は死の強制収容所に送還される事になった。

   

この様な理由からユダヤ人の世界では、神の守りと助けを祈り

喪に服し、断食する人達もいます。そして哀歌を読みます。

哀歌はエレミヤが記したとされ、この内容が第一神殿崩壊を

された嘆きを表しているので、この書を長い伝統としてこの日に

読まれています。

哀歌は、詩の形態で書かれていて、これは中近東の”葬送歌”を

モデルとして書かれているものだからです。

亡くなった人の美点、素晴らしさを語り、その故人を失う損失を

大いに嘆いているものです。

 

神殿、神の栄光が宿る聖なるものを失った嘆き悲しみが哀歌の

中で綴られているからです。

神の栄光で輝いていた、神の都エルサレムの神殿の輝かしさと

比べて、神殿崩壊後の無残にもホコリと残骸、瓦礫の山になり、その余りの違い対象を嘆いているものです。

 

しかし、この現実は、神のトラー=教え=婚姻契約から離れた

人達への”訓練”をもたらすものであり、その目的は、神の中、

神の性質=神の婚姻契約の姿にぴったり生きることへ修復、

回復、戻るためなのです。神ご自身が神の教えから外れて生きている頑ななわがままな振る舞いの神の民=イスラエルへもたらしたものでもあるのがこの自体なのです。

 

昨日のトラー朗読の箇所は申命記1から3章でした。

それに付随する箇所がイザヤ書の1章であり、同じ内容が書かれています。

 

神の預言書、預言者の神から託宣されたメッセージの中心は

全て同じです!神の与えた永遠の婚姻契約=トラー=モーセの

五書に書かれた神の創造された神の性質に似せられた人達が

生きる実態から離れた人への警告!神の教えに戻れ!

それが100%預言書の目的なのです。

イスラエルと言う代表者を通して、神は全ての人をイスラエルと同じ婚姻契約の命の生き方に戻ること、全ての人が同じ神の

教えに戻る様に教えている、それが聖書のテーマ、福音なのです。本物の本来の神の性質を生きる事実=義が取り戻されて

いる、割礼=境界線が敷かれているからです。

 

神の婚姻契約からずれて生きている人達へ、神は厳しい訓練方法で、本当に気がつき目覚めるまでそれをされる訳です。

神は偽物に騙され、奴隷となって奪われている状態の神の民を

決して諦める事が出来ないからです。

全ては、神の元にズレた状態で生きている神の民を呼び戻す
その目的のために”厳しい状況”を置いているのです。
 
詩篇119:17 
苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
私はそれであなたのおきてを学びました。
 

哀歌 2:1 ああ、主は怒りを起し、黒雲をもってシオンの娘を

おおわれた。主はイスラエルの栄光を天から地に投げ落し、
その怒りの日に、おのれの足台を心にとめられなかった。
 
2:8 主はシオンの娘の城壁を破壊しようと思い定めて、
なわを張り、打ちこわして、その手をひかず、
城壁と石がきとを悲しませられた。これらは共に衰える。

 

2:16あなたのもろもろの敵は、あなたをののしり、
あざ笑い、歯がみして言う、「われわれはこれを滅ぼした、
ああ、これはわれわれが望んだ日だ、今われわれはこれに
あい、これを見た」と。
アモス 3:2 「地のもろもろのやからのうちで、わたしはただ、
あなたがただけを知った。それゆえ、わたしはあなたがたの
もろもろの罪のため、あなたがたを罰する。
 
神は”人を決して罰する事はない”ですが、神の子らには訓練を
与えるのです。この”罰する”と言う訳は不適切であるのです。
本当の意味は、神が直接乗り込み尋ね求めて直接神が人と対峙する行為を表すものです。なぜなら、妬み深い神とは、
私達を愛するがゆえに神の性質から離れた生き方をしている状態を放置など出来ないそれが神の愛だからです。
 

エゼキエル34:11 主なる神はこう言われる、見よ、わたしは、

わたしみずからわが羊を尋ねて、これを捜し出す。

34:12 牧者がその羊の散り去った時、その羊の群れを捜し出すように、わたしはわが羊を捜し出し、雲と暗やみの日に散った、すべての所からこれを救う。

 
神は失われた者を尋ね求める神であると聖書のあらゆるところで
知ることができます。
失われた1匹の羊を探し出す例え話をイエシュアがされたその事も同じ意味でしょう。
 
アヴラハムに与えられた割礼の意味は、”切り離された”境界線を敷かれた実態でもあります。それがイエシュアのされた業です。

罪の性質、死んだ人から切り離されている事実。

包皮は体に付いたままですが、実はその包皮は切り離されている

それが割礼の意味です。

罪から切り離されているのが本当の救われた人の事実である

それが割礼で表されているのです。

割礼=ロール バック、ひっぺがす 皮を剥がす

罪から切り離されている、それがイエシュアのされた業である

そのことが割礼で表されているのです。

でもその包皮は切り離されていますが繋がっていますから、

気をつけて神の教えに根付き生きないなら、その包皮=罪に死んでいた以前の罪を学習した記憶の自分が、義とされている本来の自分を覆ってしまうことを教えているのです。

 

哀歌3:16 彼は小石をもって、わたしの歯を砕き、
灰の中にわたしをころがされた。

3:17 わが魂は平和を失い、わたしは幸福を忘れた。

3:18 そこでわたしは言った、「わが栄えはうせ去り、

わたしが主に望むところのものもうせ去った」と。

3:19 どうか、わが悩みと苦しみ、にがよもぎと胆汁とを心に

留めてください。

3:20 わが魂は絶えずこれを思って、わがうちにうなだれる。

3:21 しかし、わたしはこの事を心に思い起す。それゆえ、

わたしは望みをいだく。

3:22 主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは

尽きることがない。

3:23 これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。

3:24 わが魂は言う、「主はわたしの受くべき分である、

それゆえ、わたしは彼を待ち望む」と。

3:25 主はおのれを待ち望む者と、おのれを尋ね求める者に

むかって恵みふかい。

3:26 主の救を静かに待ち望むことは、良いことである。

 3:27 人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。

3:28 主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙して

いるがよい。

3:29 口をちりにつけよ、あるいはなお望みがあるであろう。

3:30 おのれを撃つ者にほおを向け、満ち足りるまでに、

はずかしめを受けよ。

3:31 主はとこしえにこのような人を捨てられないからである。

3:32 彼は悩みを与えられるが、そのいつくしみが豊かなので、またあわれみをたれられる。

3:33 彼は心から人の子を苦しめ悩ますことをされないからで

ある。

 
 
続く