その2  ローマ15章 神の家族は1つ | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

英語で”チャーチアニズム”と言う造語があり、

それらの活動、ムーブメントをする事をそう呼ばれています。

アメリカでは1980年代〜2000年は盛んにパフォーマンス

形式、ある教えがある時強調されるムーブメト。

様々なステージショーや、さくらが登場するやらせの

奇跡パフォーマンスetc etc

奇跡ショー、メガチャーチが称えられていました。

人数が増えると神が祝福していると教えられました。

他宗教の方が人数が多い、資金潤沢、立派な建物や

寺院がありますね。

世界はイスラエルの神を忌み嫌うではないですか。

神が造られた様々なデザインとは逆を生きる。

神の意図ではないもの=悪が堂々と大手を振って世界を

覆っていることに気が付くはずです。

 

イエシュアが言われた通り、”狭き門”に入る人は少なく、

滅びに至る門は広く多くの人はその中に入って行くと

言われた通りなのです。

外側の繁栄や信者の数で神が賛同協力同意している、

祝福している基準にすることは出来ない。全く関係ない事です。

 

人が神の性質=神の教え、インストラクションを実際に生きて

いるかいないのか、実で木を知る事がイスラエルの神に属する

本物か嘘ものかの区別の基本であると書かれています。

 

神はずっと最初から1つ=エハッド性を伝えています。

神がエハッド=1つ=複数で全く1つの性質だからです。

人類も一人の人から出て1つの家族として継続している事実しか

聖書には書かれていないのに、デイスペンセーション神学は

極端に分断した教えをし続けて世界へ神の教えでは無い教え

異邦人とユダヤ人は別の教えを生きるとか、天と地を分かれて

統治するとか、聖書とは何にも関係のない教えを編み出し人々は人間が造った虚しい非聖書的教えを疑いなく世界へ伝えて、

多くの人が聖書では無い教えを聖書と信じてしまったのです。

 

恵みの時代は神の言葉を否定し生きる必要がないなどと

言う神の教えではない人間の作った教えを異邦人は神の言葉だと信じて受け取り、そして世界へ、他者へ伝え続けて来たのです。

 

神の言葉をどの部分でも否定する、終わりとする、

それはすなわち神ご自身=聖霊を否定している酷い事をしていると聖書に真理に基づき全く考えられなくほど鈍ってしまったのです。聖霊=言葉=神なのです。神の言葉は聖霊により書かれた

神のDNAだからです。

 

神の言葉を否定する事こそが正義、恵の時代の生き方であると

疑いもなく思っていました。

 

<ウルトラマンタロウ ウルトラの父を撃退するの巻そのもの、

子が父の教えを否定しに地上に登場したの巻は聖書の中には

書かれてなどいないのです。

 

恐ろしい冒涜だと今は神の言葉からはっきり理解しています。

商人=偽の商品=聖書とは異なる偽の教えを売る世界は

もう終わる時が来ています。

神の永遠の真実、神の似姿に造られた人達で構成される

神の国がやがて下りてくるからです。

天の国とは神のトラーを生きる人達で治められ、統治される。

イエシュアがエルサレムから全世界をトラーに基づき統治すると預言されているからです。

 

15:5 どうか、忍耐と慰めとの神が、あなたがたに、

キリスト・イエスにならって互に同じ思いをいだかせ、

 

15:6 こうして、心を一つにし声を合わせて、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神をあがめさせて下さるように。

 

<5節、6節両方、キリストにあって1つ思索である事が

書かれています。1つ=バラバラな教えをバラバラにそれぞれが

勝手に思うところを生きるのが恵の時代と言う教えは

神の教えでもないし、聖書に書いてある事に反しています。>

 

15:7 こういうわけで、キリストもわたしたちを受けいれて

下さったように、あなたがたも互に受けいれて、神の栄光を

あらわすべきである。

<神の栄光を表す=神の契約の愛の詳細を生きる事と

書かれているのです。>

 

15:8 わたしは言う、キリストは神の真実を明らかにするために、割礼のある者の僕となられた。

それは父祖たちの受けた約束を保証すると共に、

 

15:9 異邦人もあわれみを受けて神をあがめるようになるためである、「それゆえ、わたしは、異邦人の中であなたにさんびを

ささげ、また、御名をほめ歌う」と書いてあるとおりである。

 

<父祖たちの受けた約束=シナイ山で文字として証拠として

与えられた”婚姻契約”=トラー=モーセの五書を保証すると

はっきり書いてあります。>

 

詩篇18:49

このゆえに主よ、わたしはもろもろの国民のなかで

あなたをたたえ、あなたのみ名をほめ歌います。

 

2サミエル22:55

それゆえ、主よ、わたしはもろもろの国民の中で、
あなたをたたえ、あなたの、み名をほめ歌うであろう。

 

15:10 また、こう言っている、

「異邦人よ、主の民と共に喜べ」。

申命記32:43 詩篇67:3-4、68:32、97:1  138:4-5 

イザヤ42:10-12

 

15:11 また、「すべての異邦人よ、主をほめまつれ。

もろもろの民よ、主をほめたたえよ」。

詩篇117:1

もろもろの国よ、主をほめたたえよ。もろもろの民よ、
主をたたえまつれ。

15:12 またイザヤは言っている、「エッサイの根から芽が出て、異邦人を治めるために立ち上がる者が来る。

異邦人は彼に望みをおくであろう」。

 

パウロは100%トラー、それに付随する預言書、諸書のみから

だけ教えているのです。

その事実が福音書〜黙示録に書かれていることをまず知る事が

大事です。福音書〜黙示録まで、トラー、預言書、諸書から6000以上引用されて解説されているのです。

 

福音書〜黙示録にはトラー以外の無い新しい教えなど1つも書いていないと言うのが聖書の事実なのです。

 

続く