パウロが何者かを理解しない西洋人が作った教え、
どの日も安息日、記念日、礼拝日と言う教えがありますが、
パウロは天地がひっくり返ってもレビ記23章の神の記念日を
変更したり、神の祭りを別物の内容に作り変えたりするわけなど100000%無い!
その聖書に書かれた事実だけに立って書かれている意味通りに
読めばパウロの話している意味が理解出来ます。
しかもどの日もシャバットと言うなら全部”休日”になってしまいます。神は人間を1〜6日の間働いて、第七日目に止まる様に
造られ、神が創造した”時”を人間に教えている事実は永遠に
変わらないのです。
イスラエル以外の国は、イスラエルの神の暦通りを生きて
いないだけです。だからイスラエルのユダヤ人の祭りなどと
言うのです。他の民族は神の記念日を祝わないからです。
それぞれの国はそれぞれの考えで生きているだけです。
でも誰でも人は金曜日になると止まるモードになるでしょう。
そして多くの国は、土日が休みですね。
朝起きて夜に寝る。人間皆神が創造された通りに生きるのが
自然だからです。
イスラエルにいると日曜日は仕事の始まる第一日目と顕著に
体験的に分かります。皆が労働、そして学校に行く活動を
始める週の最初の日だからです。
太古から現在に至るまでイスラエルは日曜日は労働日なのです。
だから日曜日にシャバット=止まる休日として祝うなど誰も
していないのが聖書の事実なのに、それなのに聖書に書いてある事実を無視して、パウロは日曜日にシャバットをしたと
誤解しているのです。事実を曲げる本当に変な教えなのです。
日本人なら月曜日に会社や学校を毎週休んで礼拝などしないですよね。それと同じことを言っているのです。
これはトラーを知る人なら読んだだけで誤解された解説に
気が付く事が出来ます。
使徒20:6 わたしたちは、除酵祭が終ったのちに、
ピリピから出帆し、五日かかってトロアスに到着して
彼らと落ち合い、そこに七日間滞在した。
<除酵祭=過越の祭り初日から7日間=種無しパンを食べる週
除酵祭=種無しパン。これを祝うと言うことはシャバットを
第七日目に祝うと言う事実がクリアーに理解出来るのです。
一年に渡る神の記念日を祝うことは1セット。フルコース。
神の祭りを祝う人は、週のシャバットを祝い続け、新月を祝い
そして祭りでは最初の日と最後の日はシャバットとして祝い、
そして第七日目のシャバットも止まる日として祝う、
それを知る人達が神のデザイン通りを祝うのが祭りだからです。
その事実だけで、パウロがシャバットがどの日でも変更可など
教えるわけがない事を理解出来るのです。
神の記念日変更などと誰一人として考えもしない世界が
聖書には書かれている、事実だけに戻れば理解出来ます。
神の言葉、教えや記念日が変更されるという思想自体が異教神の
国に生まれ育ったイスラエルでは無い異教徒思想なのです。>
20:7 週の初めの日に、わたしたちがパンをさくために集まった時、パウロは翌日出発することにしていたので、しきりに人々と語り合い、夜中まで語りつづけた。
<週の初めの日の日と言う翻訳は、原典聖書に無い言葉が
挿入されてしまっています。日と言う言葉は無い!
何が書いてあるのか?これは神の祭りの日程を理解する人なら
理解出来る簡単な事です。
過越の祭りから7週の間が”初穂”=復活の命に連なった事を
考え生きる成長の7週なのです。
週の始めとは種無しパン、初穂を数えるオメルを数える週=
始めと言う意味です。
これだけ読んで、日曜日に集まりパンをさいたので
礼拝は日曜日に変更された記録がありますとすごい勘違いの
読み込みしています。
日曜日はユダヤ暦では太古から現在に至るまで、
”労働日”であり休日ではないのです。
誰も仕事休んで昼間集まりなどしない。
労働している時間帯=それが週の第一日目なのです。
それだけでも誰も日曜日にシャバット=休日として止まることを
していない事実が書いていあるだけで、神の記念日を神が変えない、ユダヤ人も変えない事実に気がつけるはずです。
パウロはシャバットにビジネスや労働やお金、活動の話など
トラーに基づきしないのです。
1コリント 16:2 一週の初めの日ごとに、あなたがたは
もし日曜日の晩に集まるなら、日曜日の晩は、ユダヤ暦では
月曜日の始まりなのです。土曜日の晩は日曜日の始まりです。
それはシャバットが終了した時です。
ユダヤ暦では週の最後がシャバットなのです。
春の神の祭りの日程を理解していない場合、
理解出来ないのです。
”西から昇ったお日様が東にし〜ず〜む〜”と歌った天才バカボンの歌みたいに神の創造の変更は無いのです。
神は時を造られたと書いてあります。人は神が造られた時を
変更することなど出来ないのです。>
14:5 また、ある人は、この日がかの日よりも大事であると
考え、ほかの人はどの日も同じだと考える。
各自はそれぞれ心の中で、確信を持っておるべきである。
<ここで語られている日とはレビ記23章の神の記念日以外の
日、その人個人個人にとって大事だと思う普通の日の話を
パウロはしているのです。
パウロが神の記念日、シャバットや新月や祭り以外の話を
していると分かるのは、言語からも分かります。
言葉以外に、パウロが100%トラーを生きているヘブライ人
パリサイの子とパウロが宣言している意味を本当に知れば
パウロが勝手に神の記念日を変更する事など死んでもあり得ない
事は普通に理解出来るのですが、異邦人には分からないのです。
<ἡμέραν>ヘメラ=a day =ヘブライ語ならただの ”ヨム”定冠詞が付かないただの普通の日と 書かれているからです。 a dayはThe dayとは違うと英語でも分かりますね。 特定の日=定めの日=モアデイム=神の定めの記念日は ハ ヨム=The Dayと聖書には書かれているからです。 |
しかもパウロが神のモアデイム=イエシュアの業を表す
福音的預言的記念日を変更するわけなどないと言う永遠の事実に立てばパウロが話している内容の意味がはっきり見えてきます。
人間の意見で神の言葉や神の記念日を変更して良いと考えるのは
エペソ2章、肉の生まれもイスラエルの国籍もなく、
トラー=神の教え=モーセの五書にも何の馴染みもなく代々
生まれ育った異邦人だから!平気でそう考えるだけなのです。
ではここで語られている日とは何でしょう?
例えばある人は自分の国のこの記念日は他の記念日より重要と
考えてその日を大事にする。
ある人は母の誕生日は、母の日は絶対大事だから海外に住んでいても自分の国に戻り母の誕生日、母の日を祝う、そう言う人は
大勢いるのです。
それは人種、国柄により違います。そして日本人で言えば、
お正月お盆は大事!と考える人その日は家族や親族一同顔を
合わせる日だから絶対帰省すると多くの日本人もそうしますね。
お墓まいりの日は大事とか。
そう言うそれぞれの人が考える大事な日があるので、
それに関して第三者がとやかく議論などふっかける必要など無い
そんなどちらでも良い事で人を不愉快にしたり仲間割れするのはシャロームを壊す事ですよとパウロは諭して語っているのです。
神の記念日を変えると言う人がいると言うなら、そんな人は当時1世紀のイエシュア信者の中にもユダヤ人の中にも一人もいませんが、もしそんな事をするなら、パウロははっきり神の記念日を変えてはならないと厳重警告して教えたはずです。
続く