ローマ11::21ー34 同じユダヤ=イエシュアの元木オリーブの木に繋がれた異邦人 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

この箇所で書かれている事で気が付かないとならない事が

あります。ダービーの教えの様にイスラエルと異邦人は

別のグループであると主張する事とパウロが話している事と

聖書に書かれている真実とには完全に異なる違いがあります。

 

オリーブの木=イスラエルの神=イエシュアに繋がれている

ユダヤ人が原型の元の木で、異邦人は接木の枝です。

 

同じ木=イエシュア=イスラエルの神=創造主に繋がれていると聖書に書かれている事実だけに立って2つ別々のグループ、

群れ=集会と教会と言う2つの違う翻訳言葉に頼らないで

元の言葉、意味に戻ることをして聖書に書かれている

本当の意味、メッセージを見出すのです。

 

もし2つのグループに分かれていると主張するなら、

それは内部分裂であり、神の語る”シャローム”丸ごと1つで

欠けがない状態ではないのは明らかです。

 

時代ごとに変化する神の教えや契約、イエシュアが父の言葉=

神の言葉=トラーを否定して破棄したり、神の家族は2つ

別々の人種によるグループで構成されると言う非聖書的西洋人

思想を考える時、いつも”ウルトラ家族内部紛争、

ウルトラマン太郎、ウルトラの父を撃退するの巻”の仲間割れ

シリーズが作れると思ってしまいます。

 

漫画の世界でも無いでしょう。ウルトラ一家は皆同じマインド

ミッションを持って荒れ狂う”ゴジラ”=敵からの攻撃を阻止し

守る役目があるのに、内部紛争して家族がお互いをやっつけあい木っ端微塵に分裂するそんな教えは聖書では無いのです。

 

最後は2つのステイックが1つになる!と預言されている通り

同じ内容をパウロも話しています。

ユダヤ人も異邦人無しには、完全なるシャロームではない

異邦人もユダヤ人と同じ”木”に接木されないならばそれは

神の家族に加えられた完全な状態ではないからです。

なぜなら神は人を一体として創造したからです。

エハッド=複数以上で全く同一の神の性質と同じ、

人は1体として造られた、そのシャロームの状態に戻る事が

最終のゴールだからです。

 

タナックでは”群れ、集会”と訳されているヘブライ語を、

福音書以降は意図的に”教会”と言う書いてある意味に

ぴったりそぐわない、人の思想に基づく造語で訳しているので

以前とは別物の新しいグループが出現したと勘違いさせるには

違う翻訳用語を使うのは恰好の手段な訳なのです。

 

群れ、集会と教会と言う翻訳は、実は元は同じ言葉、

”カハール” 神に呼び出されて応答した人達の群れであり、

そのグループを”証”エダとも呼ぶのです。

ギリシャ語では、呼び出された人達の群れはエクレシアと

翻訳されますが同じ1つのグループ=最初から存在し、

地上の歴史の間、人々=ユダヤ人、異邦人、どの民族でも

神の家族のメンバーとして加え続けられて行く神の大家族を表す言葉なのです。

 

人の編み出した思想は、聖書とはずれた思想がありますが

聖書の事実ではないのに、それが神の語る真実であるのだと

世界へ伝えれてしまったのです。

 

ローマ11:21 もし神が元木=ユダヤ人の枝惜しまなかったと

すれば、あなた=異邦人を惜しむようなことはないであろう。

 

11:22 神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに

向けられ、神の慈愛は、もしあなたがその慈愛=<慈愛の詳細は

トラーに書かれたもの=トラー=婚姻契約の生き方>に

とどまっているなら、あなたに向けられる。

 

あなた=異邦人もトラーの教えからズレた生き方をし続けるなら

ズレた行き方をして異教の地へ追いやられて訓練を受けた

ユダヤ人と同じ切り離しが行われますとパウロは言っています。

 

なぜ?神の国を治める人達が、神のトラーを生きないなら

それは汚れ、ずれを仲間の中に取り込むので、ちゃんと軌道修正する意思が無い場合には”蚊帳の外”に出されますと言う事です。

 

異邦人の世界で想像している地獄に行くなどとの空想の読み込みはしてはならないのです。

地獄も聖書では異邦人の世界で語られているものとは

違う事が書いてあります。

 

11:23 しかし彼らも、不信仰を続けなければ、

つがれるであろう。神には彼らを再びつぐ力がある。

11:24 なぜなら、もしあなたが自然のままの野生のオリブから

切り取られ、自然の性質に反して良いオリブにつがれた

すれば、まして、これら自然のままの良い枝は、もっとたやすく、元のオリブにつがれないであろうか。

 

<異邦人は野生のオリブ、良いオリブ=イエシュアにつがれた。

ユダヤ人は自然のままトーヴの枝=神の選びの民、神の家族を

代表する人達なので、トラーから外れた生き方をしていても

もっとたやすく元のオリブ=イスラエルの神に繋がれる。

これは本当に分かります。彼らの中に染み付いている

生まれ=選びのDNAでトラーを先祖が神から聞いて、

代々それを継承する人達へ伝えられ聞いているからです。>

 

11:25 兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することの

ないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。

一部のイスラエル人がかたくなになったのは、

異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、

<読み込みしないで書いてある通りに読んでみる。

一部のイスラエル人と書いてある通りです。

全部のユダヤ人ではない。

1世紀はほぼ全てイエシュア信者はユダヤ人が大衆でした。

こんな箇所を読んで、ユダヤ人、イコール皆うなじのこわい

頑なな人たちと言う固定概念を生んでいるのです。

あれと同じです。ある国の人を、”怠け者”とか”ケチ”とか

”嘘つき”とか、ある一部の人の行動を見て全体がそうであると

決め付ける事と同じです。>

 

11:26 こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。

すなわち、次のように書いてある、「救う者がシオンからきて、ヤコブから不信心を追い払うであろう。

11:27 そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、

彼らに対して立てるわたしの契約である」。

 

この箇所の引用はたくさんの箇所と個所と繋がっています。

イザヤ59:20、エレミヤ30:17−22 

31:31−37

ゼカリヤ10:6−12、アモス9:14−15 

ホセア3:5、ヨエル3:16−22

詩篇14:17 エゼキエル37:11−28

34:22−31 39:25−40:48

イザヤ45:17 イザヤ11:11−16 54:6−20

ゼパニア3:12−20 マラキ7:15−20

詩篇106:47

 

11:28 福音について言えば、彼らは、あなたがたのゆえに

神の敵とされているが、選びについて言えば、

父祖たちのゆえに、神に愛せられる者である

<選びの民、神が立てた人達と交わした契約を神は決して

取り消さない証拠が書いてあります。

愛される=契約の中にある。置換神学が非聖書的であると証明

出来るものです。置換神学=昇天以降、神はイスラエルから

異邦人へ契約の代表者をすげ替えたと言う思想空想です。

そして、その契約はモーセの五書を破棄した別の契約=

新しい契約、新しい教え=これも聖書のどこにも記述が何も無い架空の思想なのです。

進化論と本質何も変わらない人間至上主義思想を

信じる西洋人が編み出した神学です。>

 

続く