シャバットや祭り、記念日は家庭で、神の呼び出しに応答して
参加したい人が家庭で祝うものです。
だからどこか遠くに出かけなくても簡単に出来ます。
もちろん古代イスラエルで神殿がある当時、そしてイスラエルに住む特に男子は都上りで祭りには年に三度エルサレムに
上りました。でもこの神の仰せは、イスラエル以外に住む人は
行けないですよね。たとえイスラエルに住んでいても地方に住む
人達、体が弱い人、そして老人など行けないです。
これは”絵画的”教えを表しているのです。イスラエルにまず
代表として教えている事に気が付けば良いのです。
1つの神の国には、中心があります。場所。
そして1つ神の国の中心はイスラエルの神ご自身です。
その中心=神の家がある中心には全部の機能が揃っている。
そしてそれは神の家=家庭!があるのです。
大家族が1つ神に1つ家に集まり、神の性質=福音を表す
同じ祝宴をする!神の伝えようとしている真実が
見えてくるでしょう。
福音の中心。神の家族の性質を神が祭りで表している事を。
全世界が世界の中心であるエルサレム=イスラエルの神の中に
一つ家族としていずれ集められる!
そして異教の神々の地に居る同じイスラエルの神の子らも
イスラエルの神の同じ教えを生きて、同じ記念日を祝う!と
はっきり聖書には書いてあるのです。
神の教えも全て簡単に出来る。神の言われた通りを理解して
日々の中で実際に生きる練習を始める事をする。
コケても、コケた理由に気が付き、その理由に注意して
原因を神の前に持ち出して、修復、回復、癒しのプロセスを
常に通り新しくされた人の実態を生きて行く。
自分が自分の生きている場所で、神が呼び出し伝えている、
神の教えを生きて、神が”わたしの記念日”と伝えるシャバット
祭りを生きて祝おうと考えれば良いのです。
週一度の記念日が金曜日の晩から土曜日の晩。
でも仲間がいた方が楽しいに決まってます。
それが神のデザインだからです。
そしてそれは自分と家族のため!のもの。そして仲間とのもの。
楽しいでしょう。神が呼び出した宴会を家でするのだから。
神のオリジナルの記念日は呪いの律法で廃れたから祝わないと
教えられましたが、それって聖書に照らし合わせたら全部嘘
です。神の言葉=教え、招きを否定しているひどい教えです。
イエシュアを否定している教えです。イエシュアはシャバット、新月、祭りを祝い、そしてハヌカもプリムも祝っていた。
イエシュアが生きていたのは、教えていたのは、モーセの五書!別の教えなんて教えても無いし、生きてもいない。
もし別の教えを教えて、別の教えを生きていたと言うなら
それは本物では無い、偽預言者、偽救い主になります。
今年2021年は、5月16日日曜日日没から”シャヴオート”の
祭りが始まります。毎年西洋暦の日付は異なります。
それは”グレゴリオ暦”と神の暦とでは違うからです。
今の世界は、グレゴリオ暦を使用しているから。
神の記念日は神の造られた暦では、変化は無いです。
シャヴオート<ギリシャ語ではペンテコステ>は春の最初の
祭り、”過越”の祭=第一の月の14日が終わる日没=第15日が始まる時から7週を経た後に来るものです。
今年のシャヴオートは5月16日日曜日日没。
ユダヤ暦、聖書の暦では週の第二目=月曜が始まる時になりますその日は週の第七日目ではないですが、祭りの日は必ず
”シャバット”として止まる日として祝います。
それが神が造られた神の祭りのデザインだからです。
全てはシャバットが中心。神が創造された通りを人は生きる。
祭りは曜日にかかわらずシャバットで始まり、シャバットで
終わるものです。この事実だけでも神の創造したオリジナルの
記念日は神の子らのため、神と関係の中にある印を祝う事をする人達と神が共に祝うと言う印の記念日であり、そして、全ては
”シャバット”を中心に、神の完了の業、神の造られた
性質だけから生きる!と言う教えの中心でもあるのです。
でもイスラエル以外は神の教えとは関係のない生き方を国中がしているので止まる日ではないですね。
イスラエルと言う国とイスラエルの国民とだけに、
イスラエルの神は契約を結んでいるからです。
他の異教の神々の国と他の国民とは、神は契約を結んで
いないからです。だからイスラエルだけの祭りだ!と言いますがちゃんと神の言葉の事実からだけ考えれば分かります。
祭りの意味。都上りの祭り、3大祭りを神がデザインした意味!
福音の全てを表している祭り!神の子らである印!イエシュアを表している祭り!神が選んだ国民=イスラエル。それは異邦人には無関係と言う意味ではなくて、イスラエル=代表=長子!
この1つの神の国を代表する国民の中に全世界の全ての民族、
神の言葉、教えに応答する人達全て、人種に関わらず引き寄せられ=これが都上り=上る=アリヤーで表されています。
どの民族に生まれても、イスラエルの神の教えを愛し、
神の教えを生きる決意をした人は、イスラエルと言う
一大家族の1員とされる!
その事実がこの神の創造された祭りでも表されているのです。
だから人間が作った教え=置換神学や、デイスペンセーション
神学などの教えは聖書とは異なる事が、聖書には記されて
いるのです。人間創作混ぜ物の教えは削除しなくてはならない。
人の教えを神の教えに混ぜて偽物を崇拝する事、
それが神が全人類へ伝える姦淫の罪で表されるズレ、罪です。
人間が作った教えを聞き続けている限り、本物の福音=神の
本物の教えを聞くことが出来ない状態に頭脳が遮られ、
留まってしまうから神が混ぜ物の教え=偶像礼拝、高き所を
絶対的に禁じて、一番きつい言葉=忌み嫌う=と言う最大の
拒絶、嫌悪感を表す言葉で混ぜ物の教えを信奉する事を断固拒絶する!と書いているのです。私達の命が偽物の教えで腐敗する
事から守られるため!
偶像礼拝の根は、異教の神々に対してしている意識そのもので
イスラエルの神に近づいている事でもあります。
異教の神々は大事な子供を生贄に捧げること、自分の努力で
神にアピールすること、余計な教えを生きて頑張らせること
などなど様々にずれた意識を奴隷=エジプト=偽の神々の教えの国に生まれた全ての人、神の義から外れた人達は、異教神に
関わる意識を引きずっているから大警告しているのです。
1つの神に1つの契約に、1つの家族として集められる預言は
神はアヴラハムにも伝えています。
アヴラハムへの神からの約束に繋がります。
創世記17:1 アブラムの九十九歳の時、主はアブラムに現れて
言われた、「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に
歩み、全き者であれ
17:2 わたしはあなたと契約を結び、大いにあなたの子孫を
増すであろう」。
17:3 アブラムは、ひれ伏した。神はまた彼に言われた、
17:4 「わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは多くの国民の父となるであろう。
17:5 あなたの名は、もはやアブラムとは言われず、あなたの名はアブラハムと呼ばれるであろう。わたしはあなたを多くの
国民の父とするからである。
この中には短くでも永遠につながる深さ、凝縮された真理が
語られています。
神はいつもたった一人の人を選び出し契約を与えています。
神から与えられた契約は一部だけの特徴を述べていますが、
神の契約は全て繋がっていて網羅されています。
アヴラハムも神から口頭で”同じ婚姻契約”=トラー=神の国の
国民的契約=モーセの五書を聞いて教えられていた事実が
あります。
アヴラハムは、”世界の様々な民族の父となる”と言う意味は、
世界の民族は全て同じ1つの家族、神に選ばれたイスラエルと
言うイエシュアを筆頭とする大家族に加えられる真実が
聖書には書かれています。
その口頭で教えられていたトラー=神の契約、約束の保証
全部が初めて文字により書き記されたものが”モーセの五書”
なのです。それまでは全て神のトラーは神の口から直接
人に語られ、語り継がれていたのです。
だから時代毎に1つ1つ別の契約を神が作り出してきたと言う
聖書に基づかない西洋人発想の神学は聖書には書かれて
いないのです。
ノアも同じです。エデンの園から同じ神の教え=トラーが
口頭で伝えられているのです。それが後にこれから迎える
シャヴオート、三大都上りの祭りの1つ。春の祭りを締めくくる
祭りなのです。これはシナイ山で初めて”文字”として永遠の証拠としてモーセを代表として全人類に同じ婚姻契約が与えられた事を記念する祭りなのです。
聖書に書かれている事実=真実だけを繋げて行けば翻訳聖書を
読んでも神が神の性質通り神の言葉も一貫して1つの性質である
事実を確実に読み取ることが出来る様になります。
日本人でも”イスラエル”と言う名字のイエシュアが長子として
集められる同じ1大家族の一員であり、その大家族は神のトラー
婚姻契約を生きる!と聖書には書いてあるのです。
こんなシンプルな事実が否定されている理由は、聖書に書かれている内容を読み取れない=その理由は原典聖書に書かれている
意味を異邦人は学ばないまま来た1900年以上の暗黒の歴史があるからなのです。
そしてもう一つの原因は聖書が歴史の途中で変化したと言う
西洋人が作った教えが聖書の事実だと信じている事です。
ウルトラの父を倒しに地上に来たウルトラマンタロウは偉い!
みたいな教えを聞かされて来たのです。
イエシュアが来られて父の言葉=トラーを破棄し、廃止して
なんでもやって良い自由が与えられたのだ〜!
これって10000%非聖書、神の教えでもなんでも無い
創作の教えです!
続く