復活の命 初穂イエシュアに繋がる新しい人の事実を知り生きる7週の最後に来るシャブオート | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

今日は神の創造された週一度の記念日シャバットです。

週の最後!最後!これがポイントです。

最後=シャバット=止まる=最後には神の創造されたオリジナルの世界の生き方=永遠に入る事実が表されているものです。

福音の中心、全てを表しています。

最後に全ての神の子らは神の中に集められる!

エデン=喜びの生き方に戻る!ちゃんと週最後の日、第七日目の

性質で表すメッセージでもあるのです。

神の時=暦では、週の第一日目はシャバット=止まる日では

無いのです。

第七日目が神オリジナルに創造された代々に渡り神の子らと

神により永遠に祝われるべき記念日と神が人に説明し伝え

教えている日です。

週一度の記念日であり、それは第七日目です。

 

シャバットはどの時代にもそして永遠に第七日目と神が創造されて決められ、変更が無いものなのです。

なぜならシャバットを祝う理由の1つに神が全ての創造を

6日間で終わったから!と言う理由があるからです。

神は歴史の途中で”創造”を始めから全部やり直し、

1日目を止まる日=シャバット=安息日として創造をスタートし、二日目から7日で全ての創造を終えたことをしたと主張しているのでしょうか?ノアの箱船が体験した洪水も創造の7日と

ぴったり重なる平行で記されています。

これが聖書の記述に反していると気が付かないと、その先に

書かれている神の言葉=聖書の続きの真実は見えなくなります。

 

昇天以降はいつでも”安息日”と言う事を唱える教えがありますが

その教えが聖書に基づき何を言っているのでしょう?

神の言葉、創造の事実を塗り替えていることをしているのです。

命のサイクル、時は神が造られたのです。

 

誰も命の誕生のサイクルを変えられない、DNAの構造を

造り変えられないのと同じです。

人は朝起きて夜休む。人の子が40週で生まれる。

命を育む準備の月一度の女性のサイクルは4週間です。

女性の血液もこのサイクルで入れ替わる。

狂うと体調も狂います。

 

どの日も安息日=シャバットであると言う教えは神の言葉を

真っ向から否定し、ないがしろにし、軽視し、塗り替えている

教えです。

なぜなら神は人は6日の間労働して第七日目に止まり休むと

言われたからです。その神の創造を神が解説している言葉を

真っ向から否定しているからです。

 

どの日も安息日=シャバットであると言う主張は、全ての日は

労働を休む日になったのだと主張して、神の語る第一日目から

第六日目の間で労働し、第七日目が止まる日=シャバットであると言う、神が創造した時を神が直接人に伝えている事実に

真っ向から否定し挑戦している事であるからです。

 

そして神がこの第七日目を聖別して人が神との関係に入っている印の証拠としての日とし、言ってみれば結婚指輪、婚姻届受理の証拠と同じであると人に教えているのです。人種に関係なく、

イスラエルの神を信じる全ての人、神の大家族の一員とされた

人達が祝う週一度の記念日。

神との関係の中に無い人に取ってはこの日=神の創造された

印の記念日は何の意味も無い、神と共に祝うことを

しないだけなのです。

 

そして全ての創造物が揃って全人類初、初めて第七日目を

迎えて祝った日がシャバット。

このシャバットに対して神が初めて”聖別”と言う言葉を使って

シャバットの性質、意味、過ごし方を人に解説しているのです。

聖別の意味は最初から黙示録の最後に至るまで同じ意味です。

”神が神の意図通り、目的通りに神の上に分かたれた!”と言う

意味です。だから普段の日第一日目〜第六日目とは違う、

第七日目は聖別=神の意図通り、目的通りに分かたれた!=

聖別した!と書いてあるのです。

神が聖別した日を聖別する。わたしが聖であるからあなたも

聖でなければならないと言う神の教えとぴったり一致するのです。神の宮=神の時。聖別された人として生きる詳細。

 

この日はイエシュアそのものを表すものでもあるのです。

シャバットの主は人の子!と言われたイエシュア。

イエシュアが主!イエシュアに連なる人のために設けられた

シャバット!

神の提供した業、要素からだけ人は生きる様に造られている

強調された教えでもあるのです。

 

だから残りの第一日目から第六日目もシャバットの事実、

神の子として、神に似せられた性質として神の前に神の中に

エデンの中=神の中=神の性質に沿って生きる事を忘れずに

地上で生きる事をすると言う事を神が教えていることは

聖書の至る所で解説されています。

 

ヘブライ語で同じ言葉を2度繰り返し言う事は強調です。

イエシュアが言われた言葉でも分かります。

”まことにまことに”と2度続けたら強調です。

そして何度も繰り返し聖書に書かれていることは強調、重大な

教えの中心であるからです。

シャバットに関しては繰り返し繰り返し繰り返し”厳重に”命に

匹敵する価値意味度合いだからガードせよ!と書かれて

いるのです。

でも神の言葉を否定する教えを信じれば、神が今自分に語られて

教えられている事が全く響かないし人ごとの教えであると

やり過ごして、神から直接聞く事を人の教えで遮られ続けているのに気が付かない訳なのです。

祝福、宝を受け取らないまま過ごして行くとはその事です。

 

神の創造の事実は永遠に変わらない。神が創造された全て、

物理的に見えるもの、目に見えないもの、そして時も場所も

神が創造し、時と場所を神が聖別しているのです。

 

たとえローマ帝国ローマ皇帝=人間が神の創造の事実の記述、

内容を変えても、それは神は神の言葉、教え、約束、契約を

途中で変えないし、神の創造された記念日、神の前には

何も変更されていない、意味が無い事だからです。

 

今の時代は嘘とまことを見抜く振り分けの時代に来ています。

一般の人の間でも今までの価値観がひっくり返り、

心の時代などと言われる様になりました。

神がこの一連の出来事を道具として使い、

残りの民を呼び出している事実は確実です。

 

それには、神が人に伝えている真実に気が付くと言うことが

必要になります。

それは、自分の感覚とか発想ではなくて神の伝えている事実=

神の言葉に基づき知ると言う手段を取らないとならないのです。

異邦人そしてユダヤ人の世界にも混ぜ物の教えがたくさんありますが、人が勝手に作り出した神の教えでは無い伝統の教えや風習や慣わしを土台基準に考えている限り神の語る事実は

見えないのです。

ローマ帝国の作り出した神の創造された記念日とは異なる、

新しい別の記念日を祝う様にローマが強制的に4世紀に

切り替えて今に至るのです。

そして強制的に神のオリジナルの教え=聖書に記された内容を

生きたり、神のオリジナルの記念日を生きる事をローマ帝国に

禁じられて、その後は伝統で今までとは別の、ローマが4世紀に

造った記念日を祝う様になり、それが継承され現代に至ったからそれが聖書であると考えているだけなのです。

 

それは人の教えに遮られて永遠の真実を語る神の言葉、

教え、記念日の意味が理解出来なくなってしまった本当の理由。

神が途中で神の言葉や神の時=記念日を変更したり終わらせたのでは無い事実を聖書から知らないとならないのです。

 

長い年月の伝統、それが真実だろうが否であろうが、

関係なく人の作り出した伝統を覆すのは困難な事なのですが、

実は切り替えは簡単です。禁煙、禁酒、ジャンクフードを

食べるのを止めるより簡単です。

 

神の語る真実に気がついたら、イエシュアが地上で何を教え、

何を生きていたのかはっきり自分の意識、思索の中で聖書の記述の事実だけに基づき気がついたら、人の造った聖書では無い教えにはさよなら、一抜けたをして、神の教えの真実に戻れば

良いだけなのです。至極簡単。

神の教えでは無いとはっきり分かれば、世間で人気な教え、

今を行く人気の誰々さん、有名な人の語る教えだから、

一緒にその教えに迎合しなくてはなどと考えないでしょう?

 

いや幾ら理路整然と、饒舌滑舌良く話されても、教えの内容が

聖書の真実、本質とは異なる嘘だと分かりさえすれば、

嘘を本当と言い続けたり、生き続けたり出来なくなるのが

神に造られた本当の人間の性質なのです。

Cognitive Dissonanceが生じるから。

信じている事、事実に反することを敢えて出来なくなる!

 

 

 

 

続く