福音書以降に書かれた内容全ても、トラー=モーセの五書のみと言う意味でここで解説する理由は、聖書の最初の箇所から
最後まで、全ての聖書が語る土台、根拠は100%モーセの五書
であり、預言書、諸書はトラーの内容に対する解説、
コメンタリーだからです。
モーセの五書<付随する預言書、諸書>=トラー。
実は聖書のどの箇所を取ってもトラー=神の教え、
インストラクションと呼ぶからなのです。
聖書全体はどの箇所も、トラーに関して全てを語っているから。
トラー以降の、預言書、諸書、又は福音書〜黙示録は
トラーの解説だからなのです。
預言書などずっとまんべんなくただ読んでも気がつくと思いますが、未来預言の内容はほんの少しです。預言者、預言書の役割は、”モーセの五書=神のトラー=教え、インストラクション=婚姻契約の生き方から外れて危険な人達への警告、モーセの五書に書かれた神の教えに戻り生きて!と言う警告が中心なのです。
どうしてイスラエルが代表として地上で、歴史の中で神の言葉を正しく学び、そして生きて、世界の民族に神の永遠普遍の言葉=教えを教えると言う重たい責任を神から負わされているのか?
地の塩、世の光、地上の祭司の民族として神が選んだから、
それだけが理由です。
全世界の代表、全国民の代表=アヴラハム、イサク、ヤコブに
与えられた同じ契約の中に他の全ての民族も同じ様に加わる事が
神のプランだからです。別の契約や別の教え、別々のグループの
中に神は神の家族となる人達を、分離して引き入れないからです。考えても分かると思います。
分裂分離て悲しいでしょう?理屈分からなくても。
神に造られた人間の性質に反するからです。
みんな一緒!それが神の造られた人間の性質=エデン=喜び
神の中に1つとして存在する事実が聖書には書かれているのです。詩篇133章。聖書を読んで人が解説する分断神学が違う!聖書ではない!と直ぐにその矛盾に、聖書とは違う!と
気がつかないとならないのです。
同じ1つの家族!この間違い、誤解をまず正さないと聖書=
神の語る言葉を正しく理解する事が出来ないのです。
世の中で現代迄に主流な西洋人の作った聖書解説は、
神学=置換神学やデイスペンセーション神学なる19世紀に
ヨーロッパ人が人間至上主義思想=時の思想に影響されて
作った教えなのです。19世紀まで今一般に聞いている神学など
なかったのです。もちろん聖書ではない、人が作った混ぜ物の
教えや聖遺物、人を神と同等に崇める、拝むような異教神信仰
性質の教えは山ほど中世ローマカトリックの教えの中には
ありました。
聖書とは異なる西洋異邦人思想を通して、イスラエルの神の言葉が曲解、誤解され、意味や内容を変えられた解説をされて
しまったのです。
聖書に根拠も事実もない仮説を、人間が編み出し作り出された
教えの数々。
その神学を作ったダービーももちろんヘブライ聖書や正しい聖書
教育や学習などしていない。人間思想注解聖書=ダービーの思想を主張する手段として作った”チェーンリファレンスバイブル”の
創作者であるスコッフィールドも同じく正しい聖書の学び、
教育も無い。
オリジナルヘブライ聖書とはかけ離れた、自己流思想解釈による聖書解説です。
その聖書とは違う教えが、19世紀、20世紀にアメリカを
主流に爆発的に流行り、世界へ浸透流通してしまったのです。
肉の目には理解しやすい、納得出来る教えだからです。
でもそれらは聖書の教えでは無いと言う事に気がつく必要が
あるのです。
その前に何が聖書で、何がその人間製造の神学の教えかの見分けさえ付かないという事が大問題なのですが。宗教文化で
編み出された教えや伝統の儀式や記念日が全部聖書の教えだと
勘違いされてしまっているのです。
もちろん西洋宗教も聖書のある部分に関しては真実を語って
いますが、神の言葉を人間の判断でどの箇所も否定してありきの教えなど、イスラエルの神の教えなどではない!
神の前にはただの混ぜ物の教え分類されてしまう代物なのです。
人の思想や教えを神の言葉に混ぜて神の教えを塗り替えては
ダメ!と神が警告している通りだからです。
神に属さない、神の教えではない教え、生き方は吐き出す!
なぜ?神に属さない、いわゆる臓器移植と同じ拒否反応が
自然の現象だからです。
黙示録でも神は同様に警告しています。ひどい神?
いや酷いのは神の言葉、教えを無視した人間の方です。
神の教え、警告を全く無視して、勝手な教えを編み出し続けて
神を否定しているからです。神を愛する人は神の言葉=教えを
愛して生きる!と書いてある逆を気が付かない間に
させられているのです。
神はご自分が語られていない、ご自分に属さない教えや、
異物=タメー=汚れたものを生きる、汚れたものを取り込む、
汚れたものを祝う事を止めなくてはならない時が迫っているからです。
神にはご自分に属さない性質の異物は耐えられないからです。
臓器移植された時に起こる拒絶反応と同じ。自分ではない
異物が入り込む=拒絶します。
イスラエルも同じ取り扱いをされた事、1000年にも渡る
混ぜ物の礼拝=高き所を取り除かなかった結末は、同時に異邦人にも適用される神からの教え、警告であることに気がつくべき
なのです。
神はそんなに長い年月の間忍耐された。イスラエルは契約を
受け取った代表なのです。それなのにそんなに長い間神は忍耐された。異邦人は何も知らないからやっている、だからもっと
長い年月の忍耐をされている、それだと思います。
いや聖書をちゃんと読めば気がつけるはず。
簡単に言うと、大家族の父、そしてお兄さんの役割が
イスラエルです。イスラエルとは人種に関係なく誰でも
創造主に繋がり、イエシュアを通して同じ救いを得た人は、
同じ1つのイスラエルと言う大家族の中に加えられた事実が
初めからクリアーに聖書には同じヘブライ語の言葉で
書かれています。
翻訳だと改造された翻訳用語や人が作った神の言葉の真実を
曲げた解説を通してその1つ家族の事実が完全に目隠しされて
しまい、別物のグループが出た=教会という新しいクリスチャン異邦人のグループが出たと誤解してしまうのは、翻訳や人作り
出した聖書とは異なる解説=人造神学の教えのせいなのです。
父と長子とは一体=エハッドで同質、1つとイエシュアが
言われました。
父と子は同じ、一体とイエシュアが言われた事と同じです。
父の生き方、実態を丸ごと継承する重要な役割を担う人は
長子です。レガシー=価値観を継承する役割。
世代のギャップを繋ぐのが初子だからです。
その人達はこれから生まれてくる残りの家族、弟、妹のお手本でもあるのです。弟、妹は何も分からない。だからお兄さんの
やること全て見よう見まねで全部覚えるでしょう。
だからお兄さんがコケたり、ずれた生き方をしていたら、
兄弟全部に悪影響及ぼしてしまうから、それは絶対にダメ!
なのです。
神はイスラエルと言う長子に神の教え=モーセの五書=
トラーを教えたのです。イスラエルは神の教える人間の生き方を
全世界の国民へ伝える重要な役割を与えられている事が
聖書には書かれているのです。
ここで考えなくてはならない神が語られている言葉の意味が
たくさんあるのです。
先ずは、”イスラエル”と書いてあれば、それは異邦人には関係
なくて、異邦人は神の永遠の言葉とは違う生き方をするのさと
誤解していると思いますが、イスラエルの神の家はたった1つであり、神も唯一の方であり、神の言葉=教えも1つであり、
そして神の家族もたった1つの家族なのです。
1つの家族は同じ教えを生きるのです。
別々の教え=不協和音、不一致、分裂を招きます。
神が伝えるシャロームでエハッドとは別物。
しかも同じ神に造られた同じ人間なのに、この教えは自分には
関係ないとか、この生き方はある人種に適用されないと言うものは無いのです。男性に語られた教えは実際に女性には関係ないと
思うかもしれませんが、男性と言う代表を通して、全人類に
神は真理、生き方の実際に適用する真実を教えているのです。
アロンの二人の息子、ナダブとアビフは地上の神の神殿の
初起動=ミシュカンが神により地上で初起動した記念の時に、
死んでしまいました。その事件の意味を知る必要があります。
神の性質そのものを表す代表者でありながら、神の言われた通りに行わず、全く的外れな行動をしてしまったからなのです。
イスラエルの神を違う別物の性質であるかの様に、
誰かに教える、提示する事への警告でもあるのです。
どうしてそれが死に値する罪だったのか。その解説の前に、
地上の神殿に仕える祭司はイスラエルの12部族のレビ族のみの出身の男子がなれるものです。これは神がデザインしたものなのです。祭司の家系とは、神の言葉を学び、教える責任を任された全家族の長老的存在であり、とてもとても重たい責任を任された一族です。
そして、レビ族の中で、唯一アロンの家系のみが”大祭司”となる事が出来るのです。大祭司は、イスラエルがずれた場合に
死と向き合わせになるほどの重たい責任があるのです。
イエシュアはユダ族の直系です。
天に属する祭司、メルキゼデクに属するからです。
これを通して絵画的教えがあるのです。
神は初めから1つの家族である神の子らに神の教えを
伝え続けているのです。
続く