福音はエデンの園の最初から語られ永遠から実在している イザヤ52:7  | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

西洋キリスト教=カトリックの教えから継承している教えの中で

最も大きく誤解されているのは、西洋人が創作した哲学思想神学なのに、それが聖書=神の言葉が語る真実であると勘違いして
いる事です。ローマカトリックは様々に神の言葉や教えや記念日や儀式を別のものに変形してしまいました。オリジナルを変形したものをプロテスタントも継承しています。聖書のオリジナルの教え、生き方、記念日、儀式を保存せず、ローマが4世紀に
改造した代替え品=別物に代替えされてしまっています。
非聖書=非オリジナル=伝統でそれが聖書の教えと誤解されたまま受け取られて今に至りました。
 
本物=神の言葉、教えと、偽物=人間創作の教えをごちゃ混ぜに混ぜてしまったら、オリジナル聖書を知らないまま、何が神が
語る本当の真実なのか、元の言葉=神が語る聖書に書かれているオリジナルの教え言葉、意味、内容に戻り学ばない限り、本物と作り物の教えのどこが違うのか、オリジナルを知らない世界に
生きてきた異邦人には特に見分けが付かないものなのです。
 
多くのクリスチャンは福音とは、救いとは2000年前初めて
救い主が地上に来て初めて出現し、与えられて、有効になり、
それが2000年以降初めて人に伝えらたと考えられていると
思いますが、福音は最初から神から人に、与えられ、伝えられ、教えられているのです。その証拠がモーセの五書”=トラー=
婚姻契約の中にクリアーに詳細が書かれているからです。
福音の全てはモーセの五書の中で詳細が記されているのです。
それ以降の聖書全てはトラー=福音の解説です。
預言書はトラー=モーセの五書を土台に解説されている
コメンタリーである事を知り、預言書を読めば分かります。
 
イザヤ52:7 
よきおとずれを伝え、平和を告げ、よきおとずれを伝え、
救=イエシュアを告げ、シオンにむかって「あなたの神は王と
なられた」と言う者の足は山の上にあって、なんと麗しいこと
だろう。
 
ここに書かれているのは、良きとは”神の言葉の意図通りそのまま=”トーヴ”を伝える人=バサル=神のメッセンジャー=その人の足はなんと麗しい事であるかと書かれています福音とは神の
言葉の意図通り=それを神が伝えた通りを聞くと言う事が書かれているのです。翻訳では見えませんが。
 
神が語り伝えた通り=父の言葉=トラーに書かれた内容を聞き、
神の造られた神の似姿の人を生きる事実に戻る!と言う事。
これを西洋宗教の世界ではしていないのです。
福音=一言謝るだけで今は全て何でも許される恵の時代。
以前はもっとややこしかったくらいに考えていると思いますが、聖書では無い教え。本当に根本から聖書では無い、神の意図とは違う教えを人の教えのフィルターだけを通して教えられてしまったから真相が隠されてしまっているのです。
 
モーセの五書=トラー、預言書、諸書は100%イエシュア=
救いを指して語っているのです。イエシュアも言われました。
トラー、預言書はわたしそのもの!と。
聖書の全てはトラー=父の言葉が根拠。
イエシュアが父の言葉と言われたらそれは”トラー”=シナイ山で
与えられた婚姻契約=モーセの五書を指して語っている事実を
知らないとならないのです。
父の言われる事以外はしない!とは、100%イエシュアはトラーを生きている証拠が聖書に書いてあるのです。マタイ7:21-23
預言書、諸書はトラーを解説しているものです。
福音書以降は、トラー、預言書、諸書の短い解説です。
 
一般に西洋宗教の世界で教えられているのは、福音書以降に
書かれているのは、イエシュアが以前の古い呪いの律法=
神の婚姻契約を終わらせた新しい教えを教えて生きていたので
あると、聖書のどこにも書かれていない人が作った教えを通して
聖書を解説されてしまっているのです。
でもそれは聖書とは全く100%異なる教えなのです。
 
福音書の中に書かれているイエシュアが教えた事、行動された事
の全ての全て、それは100%モーセの五書のみを語っている事実
モーセの五書が全ての教えの中心で、付随する預言書、
諸書のみ!トラーの中に書かれた教えからのみ解説し、
語り、教え生きている事実が聖書には書かれているのです。
 
聖書に書かれているその揺るがない事実に全く気が付かないまま人の教えのフィルター、色眼鏡、プリズムを通して福音書以降の内容を読むように教えられて聖書に書かれている意味、意図とは違う内容神の言葉であると勘違いした読み込みをしているのです。
人が創作した教えが神の言葉に混ぜられてしまい、神の永遠の
言葉、教えの真実が塗り替えて語られて行ってしまったのは、
1世紀後半から使徒亡き後、そしてユダヤ人がローマ帝国によりトラーを生きる事、教える事、神のオリジナル記念日を祝う事を禁じられ、大殺戮された後エルサレムから追い出され、それに
とって変わってオリジナル聖書を知らない西洋人教父達=異邦人により勝手な思想で聖書では無い発想から作り出されてしまった数々のトラー=神の言葉に反する教えが編み出され、雪だるま式に非聖書的教えが付け足され続け、それが後世に伝えられ、
膨らみ上がり続けて、世界へ浸透し、今に至っているからなのです。これは政治的理由から、トラーを教える、語る、生きる事を
禁じた時のローマ政府に逆らう教えは出来ないと言う裏もあったのです。異邦人は簡単に混ぜ物に迎合した。ユダヤ人はそれが出来ないと神の言葉から知っているので、散って行ったのです。
 
今の時代世の中に起きている裏の本当の理由を理解する人なら
支配、コントロールを進めるには上の考えた通りの事をさせる
と言う図式に沿わないとならないと言う事が理解出来ると
思います。真実ではない事を意図的に発表して行く。
 
だからユダヤ人以外異邦人はほとんど誰もオリジナル聖書を
ユダヤ人の様には全くもって学んで来なかった不思議は、
それが原因です。イタリア文学習うのに、翻訳の日本語だけ
読むと言う世界に留まるのと同じ状態です。
それはトーヴな教師=神が立てられた人達=お家元を追い出したから、ヘブライ語聖書など学ぶことも皆無。
 
だから聖書に書いてある本当のオリジナルの意味を知らないまま違う教えを作り出し、語り続けているのです。トーヴ=正しく
教える教師なし、真実を教えられ手ほどきされないなら、
どの分野の世界でも自己流に曲がって行ってしまうのです。
 
でもその事実を知らなくても、神の語る言葉だけを直接読めば
神が語られている永遠普遍の事実があるのに、どこでどうやって
神の言葉が変わったものにされたのか?と言う疑問を持って
自分で聖書だけに基づき考えれば良いのです軌道修正するべきのは灯台=神の言葉ではなく、海を行き交う船=人間の神の言葉に対する神の意図からズレた捉え方の思索、思想なのです。
 
それは人が勝手に神の言葉を定義し解説し、聖書に書かれている事実を無視しているからです。
聖書にまず神と神の言葉=契約=約束は永遠普遍と書かれて
いたら、それ以降に書かれた神の言葉は永遠に変わらない!と
言うその意味、事実は黙示録の最後の言葉まで変わらないのです。黙示録の最後に”アルファでありオメガである”と言う、
永遠に同じである事実がはっきりちゃんと記されている理由が
あるからです。
 
ヘブライ語の元の言葉では、”アレフでありタヴ”と言う言葉を
見たら永遠から永遠に変化しない、同じイスラエルの神である
実態=神の言葉が記されていると言う事実を知れば良いのです。
 
人間が作り出した問題は、神が言われた通りに神の言葉のどの
一部分でも、一番小さい点でも飾り文字でも<強調>指し引き
付け足しする場合は、呪われる=神の前に全く意味無い軽い存在として取り扱われると書かれている言葉は、全く神の言葉を捨てているので、耳に、頭脳に自分に向かって今語られている神の
教えであるとは決して響かない事なのです。
 
軽い存在=神の性質では無い教えや生き方をすれば、それは
イスラエルの神の似姿を反映して生きているのでは無いからです。人の考えている事が実際にその人の生き方、行動、言動に
実態に現れ出て周りの人にその人の信じている本当の中身が
形として現れて見えるからです。
 
モーセの五書を捨てたら、神の今この時語られている教えは全部頭上を通り過ぎていると言う事だからです。危険。トラー=命の木をしっかり握って離すなかれ!と言われてももう手を離す
どころかそれな〜に?と言う全く無関係関の世界の話になって
いるのです。
 
 
続く