ヘブライの世界は名詞の世界では無いです。
全て動詞、アクション!全ては生きることなのです。
人の姿そのもの、それが聖書=トラーに書かれていて
イエシュアの語られた教科書は”トラー!”
これをクリスチャンの世界では新しい教えを教えたと言いますが
イエシュアの口から語られた言葉を調べれば全て100%
トラーしかないのです。
自分で聖書だけを調べてみれば分かる事実です。
週の第七日目が神の定めた週一度の記念日です。
神の記念日を勝手に自分の思考、意見で仕分けて自分で考えると言う解説をされますが、パウロの言葉を全く理解していない人が作った解説なのです。全ての原因=お家元を追い出し、
オリジナルのヘブライ思索、神の思索=永遠から語られる不変の教え=トラー=父の言葉=教え、インストラクション、
婚姻契約書=モーセの五書を学ぶ教育が無いから!その一言に
付きます。それが聖書を誤解している本当の原因なのです!!!
今日が神の招いている日=シャバットです。週の別の曜日が
安息日=シャバットとは決してならない、なれないのです。
創造は6日に終わり、全て完了して7日、初めて創造物が集まり
神と祝宴の日を迎えた!人類、創造物初めての記念日でも
あるのです。創造の事実を塗り替えられますか?
進化論者と同じ仮説を、神学は聖書=神の言葉を塗り替えて
語っているのです。
そしてシャバットと、神の一年に渡る、新月、春と秋の祭りは
全部繋がっているのです。人の体が全部でワンセットと同じ。
手や足をもぎ取れない。サイボーグ人間の世界を語る神学。
神の記念日はどれか一つだけ祝うものでは無いのです。
なぜならそれら全部セットで、1つ=エハッドだから。
実際に生きて祝う福音の全て=イエシュアを体験、生きる、印、神と人とが関係の中に永遠に保たれる証拠、印だからです。
割礼もそうですが、神が与えた印は全て福音の業を表していて
証拠の印として肉眼で見る、体験出来るもの。そして永遠に
変わらないのです。
永遠の契り約束を神が印として表してくれたものだからです。
その中で神と特別な出会いをすると神が約束されたからです。
それを神の言葉=神の教える人の生き方、記念日を捨てよ!と
人が人に教えます。神の言葉、教えとは全く真逆だと聖書に
戻れば理解出来るのです。
天体は全て、神のモアデイムを司るために造られたと書かれて
います。神に造られた人は神が人に伝えることを聞き、
受け取り、生きるだけ。本当にシンプルでしょう。
それを人が次々に曲げて別の教えや考えを編み出してオリジナルを変形してしまった。
それが大きな問題!の根なのです。人が神の座に上り、神が教えている永遠の教えを他者が聞くことを完全に邪魔、妨害をしているのです。人が話しているときに隣で大声で別の事を話し出すのと同じ事なのです。シャバット=止まる!人が勝手な教えを語る
事をやめて、神にだけ語って頂くのです。
他の週のどの日もシャバットでは無いです。他の日には、
第一日目から第6日目と言う名称しか付けられていないのです。
第七日目だけを、シャバットと呼ぶのです。シンプルな事実で
しょう?何も難しいことでは無い。難しいのは伝統の教えが真実と信じて来た意識をリセットする、正しい情報に戻して考える
これに困難を感じているだけの事なのです。
あなたの上司、ボスが特別な会合の日時をはっきり伝えたら
わざわざ別の日に出向いて行かないでしょう?別の日に変更せよと上司に部下が命令もしないでしょう?別の日にはその意図の
会合は無い!シンプルな事実でしょう。どうしてボスの伝える事に意義申立てする必要があるの?まして、神が人に伝えている
神が神の子ら全員が招集する記念日と伝えているのに、どうして人が異議申し立てするの?ローマ皇帝が4世紀にそれをやったと言う事が分かれば、どんな冒涜をコンスタンチヌスが神に対してしたのか気が付かないとならないのです。ダニエル7:25
うそっこの日に神のオリジナルボス=創造主が造った日を人間が勝手に変えた。太陽神の日自分の宗教。だからサン=太陽の日に
変更。そしてコンスタンチヌスは新宗教を造った後自分を讃え
祭り上げる宮と、自分偶像を造ったのです。
1歳児でも、1と7が違う事位分かるでしょう。
1つと7つでは数が違う!7は永遠に7なのに、クリスチャンの
世界では7は1になったと教えます。聖書に書いてある通りにも読まないように教えられている。どうして?と自分に問うて
みる、探る、調べる、聖書には何と書いてあるの?第一日は
創造開始、活動、労働の第一日目!6日の間に創造、活動、労働は完了して第七日目に止まる!
終わりは最後に来る!それを意味しているものでもあるのです。
イエシュアが、預言者、使徒達、信者達が祝っていた日は第七日で第一日目では無い事は聖書の最初から最後までクリアーに
同一!同じ第七日目!と聖書には書かれています。その事実を
否定して教えている事が何を意味するのか?神の語る事実を自分が人間が否定するとはどう言う意味があるのか?自分で神の前に問うてみれば、神が教えて下さいます。
その時に神の言葉が歴史の途中で変わったと主張、信じている人に質問しても無駄です。本当の回答、聖書に書いてある回答は
聞く事は出来ないです。ある内容は正しい。でもある内容は聖書では無い思想から答えを語っているからです。
神の言葉を曲げた教えをする人に聞いても、本当の聖書からの
神の言葉が語る通りの答えはもらえない。
聖書=神の言葉を丸ごと100%永遠不変に真実と信じてない人に聞いても、聖書からの正しい答えは得られないです。
だから分かる教師、トーヴの教師が必要なのです。
でも誰がどうしようと、何を信じようと、神の言葉を信じる!
神の言葉を愛し、生きる=神を愛する人は、神の言われたことを
何より大事にすることで愛している証明になるとイエシュアが
言われたのです。誰に付いて行きますか?ペテロがイエシュアに
言われたように、”あなたはわたしを愛するか?”愛する=神の
教えを生きる!と言う意味です。なぜ分かるか?
愛=アハヴァとは、”婚姻契約の愛”=モーセの五書と言う意味だ
からです。トラーを知るペテロの様な人達には解説しなくても常識で知る=愛=アハヴァ=婚姻契約=シナイ山で与えられた契約=父の言葉=モーセの五書をガードして生きる事!と知って
いる。異邦人にはこの様な点、聖書を理解する基礎知識が、
全く未知の領域の知識なのです。
愛と聞いて、自分想像の愛を考えているのです。
ペテロはイエシュアを否定した=神が語れたトラー=生ける
トラーを否定したから、修復、癒し、そして決意の再確認を
されているのです。
シャバットは宗教活動するためのものでもなく、
家族と仲間のもの。家庭で祝うもの。家族が基本。
それはいつ?第七日目!金曜日の夕暮れが、聖書の暦では第七日目の始まり。私はイエシュアが祝われて居た神の記念日、シャバット、春と秋の祭りを祝うようになって初めて、神の語る言葉の意味が本当である事、福音の全てを表しているもの、
イエシュアがされた業そのものを神の記念日で表している事を
知りました。
そしてイスラエルの神を信じる者たち、皆が招かれ参加し
そこに神が特別な出会いをしてくださる!と約束された通りの
事を体験しています。
イエシュアがされた通りをしたい!人の作ったもの、別物の教えや記念日ではなく、オリジナル、神が招いてくださっている命、記念日を生きる幸い。
偽物ではなく本物が良いに決まっている。
別の記念日、別の教え、契約と語る神学!それって嘘です!!
聖書では無い。これは一人一人が聖書に戻ればクリアーに答えが書かれています!神の言葉が語る永遠不変!それが答え!です。
惑わしの今の世の中、偽情報、神の創造のデザイン、言葉に敵対するもの。でもイエシュアを愛する人=イスエルの神を愛する者
は、神の言葉ー教えを何より愛し、神の言葉を生きる!と聖書には書いてあるのです。それが神の本物の家族の一員!と
イエシュアの口からも語れています。
神の家族全員が一緒に祝う記念日は、レビ記23章に書かれて
います。それが本物オリジナルの神が造られた記念日!
それは歴史の途中で変更無し。そして永遠に祝われる記念日。
神の統治する来たる世界では”律法の記念日、終わった記念日
など祝いません!”と言う人は誰もいない世界がやがて来ると
はっきり預言されています。あなたは何を信じ、何に付いて行き
何を生きるの?それは神から直接一人一人に問われている事
なのです。
以前書いた記事
Shabbat Shalom