急激に世界が変化し、隠されていた”ラー”が堂々と大手を振り
現れ出てくる、世界を支配する。
歴史の激変の時代に今生きている事を誰でも感じているのでは
ないかと思います。
でも!忘れてはならない事。神は生きて全てを支配する総支配者。そして、”悪を持って身固く立てられず、悪はこの地を
引き継げない!”どんな悪にも必ず終わり、敗北がある。
サタンがそれを一番知っている。時が短く迫っている事を。
このブログもいつまで勝手に自由に書けるか不明なので、
もう直にそのままを書いていますが、どうか書かれている内容を”それぞれの方が、聖書から確認し、テスト、検証”する事を
ぜひお勧めします。神の言葉だけに基づき考え始めたら、真実の点と点だけをつなげていけば、必ず神の語る真理、答えを見出します。
フェークニュースに触れ続けたら、あからさまに嘘と分かるものは、分かりやすいですが、何が一番見分けられないものか?
それは”混ぜ物”されたものです。それは半分本当、半分嘘。
この二つが混じり合っているので、どこからどこまでが
真実か、どこまでが作り物なのかが識別出来なくなるのです。
本物だけを知らないとならない。
聖書は永遠に神ご自身の性質、世界に繋がっているので奥が
永遠に深いですが、事実はシンプル!です。内容の詳細が詳しく正確に今把握出来ない、分からなくても、シンプル。
イスラエルの神、創造主とそして創造主に敵対するもの。
トーヴとラー。善悪の知識の実と一言で語られているそれに凝縮
されています。神の目から見ることを覆い隠すもの!教え!。
そして、問題は、イスラエルの神を信じながら実は相当混ぜ物の
不純物の教えを信じていると言うことです。
これが”預言書”の警告そのものです。
高き所をとりのぞけ!異物を本物の中に混ぜる礼拝、意識、
信仰、異物、混ぜ物を取り除く。
そして、ラー=その中身、要素を一言で解説すると”神の言葉と神の時”を変えるもの。ダニエル7:25に書かれた警告!
シンプル!分かりやすい!歴史の中でずっと繰り返された来た
事です。これが問題の根!なのです。
イスラエルの神と、イスラエルの言葉=教え=トラーと、
そしてイスラエルの神の教え=言葉=トラーを生きる人達を
潰す事!これが光の闇=闇の力。シンプルです。
それに気が付けば、自己点検出来ます。
暗闇に光が指してくれば、神の語る”異物”=危険物=混ぜ物の
教えが何なのか聖書に書かれている意味がはっきりと分かって
来るからです。分からないのは、違う教えに聞き入っている。
それが原因だから。神の言葉が終わったと言うなら、それは
神の言葉に基づき識別する基準を失っている状態だからです。
預言者の預言、警告は創世記から黙示録までずっと同じです。
神の言葉が歴史の途中で変えられた!と言う教えこそ、神から
出たものでは無いもの、神に属さない教えを人が語って、そして
それを真実だと思い込まされて、1500年以上の長い歴史の中で人の常識として浸透してしまったのです。
進化論の仮説と同じレベルの騙しなのです。
神の教え=インストラクション=福音は1つしかありません。
誰がいかに何を巧みに解説、主張しようと、1500年に渡り
語り続けようと、神が福音は1つ、神の言葉は永遠不変!と語る神の言葉が本物=真実なのです。真実を知るためには、
人の教えに決別!Bye Bye、人の教え!なのです。
人の言葉を神の言葉の上に権威として持って来ては
ならないのです。
神の言葉=教え、人間の生きる全ては”トラー”=モーセの五書に記載されているのです。
それをほとんどのクリスチャンは元の意味で学んだことが
無いと言うのが現実だと思うのです。だから聖書に書かれている神の言葉が途中で変わったのだと、聖書に書かれていない人の
教えを通して聖書を読み続けて、福音書以降、イエシュアが地上に来られてから、別の教えが語られていると信じているのです。
でもイエシュアが教えた、使徒達、パウロが教えて生きていた
教えは100%トラー=モーセの五書以外に無い。
ではどうして、本気で福音書以降には別の教えと信じているのか?ここがトリックなのです。
盗人は分かるように入り込まないとイエシュアが言われた通り。
知らない間に宝を盗み出されているのです。
神の言葉を捨てて生きる、知らないまま生きるとは恵の生き方
どころか、宝をドブに捨てながら、宝を恵を無駄に捨てているとも気が付かないまま生きると言う事です。そして神に救い出された人は、救われた後、どう生きて成長出来るのか、神の言葉の
内容を知らないので分からないと思います。
自己流の考え、生き方はある。でも堂々巡り。だからたくさんのムーブメントが出てきて、それに飛びついてまた別のムーブメントや教えに飛びつくけど、何も得られないので失望すると言う
繰り返しが今まで起きていたのです。
人間の生き方、永遠不変、進化、変化が無い神の教え=言葉、
進化変化しない同じDNAを与えられた人間がどう生きるのか?
それは時代、人種、性別を超え、永遠に同じなのです。
神の教えは2つは無い。1つです。それがモーセの五書なのです。このモーセの五書を土台に預言書、諸書、福音書〜黙示録
全て同じモーセの五書を書いているのです。
今日は神がオリジナルに創造された、この世界の創造と同じ
第七日目に神が!神が!!!止まったから人も同じように止まり
神と共にこの日を祝うと神が言われた日なのです。
それが一体どこで変わったのか?4世紀以降、ローマ帝国により
変えられた、それが事実である事を聖書から、歴史の出来事から
まず認証する必要があるのです。だから何を信じ、何を生きようと自由ですが神の言葉を曲げること、神の言葉を曲げて人に伝えることを、特にキリストの付く者と自称する人達はしてはならない事なのです。
それは偽の教えを、イスラエルの神に関して全くの偽情報、
フェークニュースを他者へ伝える事だからです。
創造主は歴史の途中で教えや約束をコロコロ変える神!なんて
嘘は、聖書を知らない、イスラエルの神に出会ってない人達に
対して決して伝えてはならない!トリック=イエシュアを信じる
人が違う教えに騙されてそれが真実と思い込み、そして聖書とは違う教えを他者へ伝える事。これが大きなラーのトリック。
語られる教師から偽情報など語られる事などないと思う。
語る人も聖書とは違う教えとも夢にもツユにも思わない。
これが”盗人が入る”トリック手口、とても巧妙。
”嘘、偽りを言うなかれ!”と神の口から直接語られたのです
それも呪いの律法だからもう終わりと言うのでしょうか?
全く矛盾だらけの教えを土台としてイスラエルの神に対して
歪んだ思想を植え込まれ、生きてしまう。
神が言われた事では無い、誰かが作った変えた教えを
伝えてしまうからです。
神が言われた事だけを子は伝える、それがイエシュアが地上で
された事だからです。影とは本体を表すもの。父=子。
なのに、そのイエシュア、父の言葉=トラーを教えたイエシュア
とは違うことを、イエシュアに付く人達は気がついたら
してはならない事。気が付かないからし続けているだけなのです。シンプルな事実。
本当の事を知る。真理はあなた方を自由に解放する。
不真実は、人を縛るし、宗教=伝統の人の教えと同じく
人を縛る宗教を作り出して行ってしまいます。
神が言ってもない、要求もしていない、必要無い事、要らない事を教えられ、様々に宗教の教えをさせられて行ってしまうのは、そのせいです。
大事なのは神が人に教えることを生きること。それが人の
成り立ち、神に造られた人のエッセンスだから、いちばん楽、
コンフォタブル=心地よい、快適、しっくりぴったり行く。
それは、神に造られた本当の自分を知ることに繋がり、自分を
大事にする事、自分を生きる事に繋がり、自分の周りの人達
同じく大事にすることに繋がるのです。
その何をどう大事にするかの内容がトラーに書かれています。
自分の空想の生き方では無い。神が人に伝える通り。
モレクに自分の大事な子供を捧げる様な意識、宗教意識で
神に近づくことは出来ないと警告されています。
一番大事にすべき自分、家族を犠牲にしてイコール神に仕えると言う意識は、それは偶像礼拝の姿そのもの。神が求めてもいない
教えてもいない内容です。
ユダヤ人は、家族を大事にします。家族を置いて、仕事の付き合いで家族をないがしろにしたりするなんて考えはゼロ。
シャバットは必ず、家族、親戚、一人でいる友人を招いて盛大に行う。
それはやはり人のエッセンス=神が造られた人と、家族、コミュニテイの生き方を継承している賜物だと思います。
シャバットは神から与えられた印。神の子らである印。
神が永遠の契約、愛を誓った証拠の印。
その日、神が定める日に神は特別な形で神の記念日をガード
する人の中に現れると約束されているのです。
そしてシャバットを意図通りに過ごす人はそれを体験します。
口で説明出来ないですが、これと同じ。食べたことの無い食べ物を相手に説明出来ても実際に食べない人には味も香りも食感も食べた後の体に感じることを伝えられない!体験しないと
分からないからです。
続く