終わりの時代と言う言葉、英語ではラスト、最後の時代と訳されいる言葉ですが、最後と言う言葉の意味はヘブライ語では違う
意味の言葉で書かれています。最後の世代の人はどんな事を
知って生きる人なのか、その後の状態はどうなるのか?が
書いてあるのです。詩篇78
古代のユダヤ人に語られている言葉の内容、古代のユダヤ人、
彼らの耳に何をイエシュアが話しているのか、預言者達が語られている事がどんな意味があって語られているのか、その時代に
語られている言葉が表す意味を知ると、現代で考えられている事とは大分違うものであることが分かります。異邦人の世界が
語るヘブライの聖書とは違うコンセプト、ヘブライの聖書とは
異なる思索、概念で考えていると言う事にまず気が付くのです。
現代になって初めて神の言葉の詳細が教えられたのではないのです。
初めから福音=神の言葉、教えはエデンの園から同じ内容で伝えられているのです。どの時代でも、個人個人、それぞれが神の
言葉、内容をどれだけ理解して生きたのはその人次第です。
今も全く同じでしょう。真理が明らかにされていても、
気が付かない人は気が付かない。気が付く人は気が付くのです。
人の理解の度合い、人生の旅路での場所、気が付く範囲、内容は
異なるからです。
初めて神の言葉=トラーが書き記されたものを受け取ったのが、出エジプト後、シナイ山での、シャヴオートの出来事。
”神の家族としての地上でたった一つの民族”としてイスラエルも、異邦人も混合ミックス大家族=カハールとして生きる事に
同意した人達の記録が書かれているのです。
その初めは、エデンの園から。
神の声、教え、トラーに同意して生きる人=イスラエルの神の
家族、天の家族は初めから1つの家族であり、その同じ家族に加え続けられて、同じ家訓を生きる人達の事が書かれているのです。同じカハールが現代も同じで、人が加え続けられている
継続中なのです。
でも西洋ローマ教神学では、2000年前に別のグループ=教会と言う異邦人が主体、リーダーに成り代わり、本当の真理を知っている人達が主導権を代表権を握り世界を導くのだと教えてい
ますが、聖書の教えとは異なる人が考えた不真実な教えです。
聖書に何と書いてありますか?1世紀のイエシュア信者は
ほとんどがユダヤ人なのです。ある一部の人は拒絶しましたが、
ユダヤ人により福音が伝えられた事実があるのです。
そして、パウロや使徒たちが伝えた教えは何ですか?
”トラー”を生きる事!なのです。とても誤解しているのでは
無いでしょうか?トラーを捨てた新しい教えを教えたと。
異邦人であれど、誰でも神の家族=神の言葉=トラーを生きる人は、私の兄弟であり母であるイエシュアが言われたのです。
同時に、肉の生まれがユダヤ人でも神の家=天の家族の生きる
家訓、トラーを生き無いなら肉の生まれは、何の意味もないと
言う事を言われているでしょう。それが割礼が何の意味がある?とパウロが言われた事です。割礼が意味が無いと言うのではなく、肉に印が付いてても、その実態=神の言葉を実際に生活の中で生きないなら割礼は何の意味も無いと言う事を言っているのです。
どの時代も、神の言葉、語る内容を捉えていた人達と、そうでは無い人達が居たのです。
現代も全く同じです。ユダヤ人でも救い主を信じて神の言葉に
根付き、地の塩、世の光として、この暗闇の世界の中で真実を
伝え、生きている人達が居る。同時に、救い主に気が付かない
ユダヤ人も居るのです。古代も同じです。でも、トラーを生きている麗しいユダヤ人も居る。彼らがもし福音書以降を読んだら
絶対にイエシュアに気が付くことが出来るのです。
妨害しているつまづきの岩は、”人造神学”で語るトラーとは
ずれたイエシュア像を異邦人が伝えてしまっている!その事に
異邦人は気が付いてない!と言う所なのです。
一つ大きな誤解があるのです。あのブラジルのクリスチャン教会のパスターの様に、ルターの過ちを繰り返す理由は、トラーを
理解していない、なぜユダヤ人が彼らの語る”救い主”像を拒否するのか、全く見えていないと言う事なのです。人の大量殺戮を
祈る牧師に教えられた信徒は誤りに導かれているのに、偽教師=
盲人が盲人を手引きをして穴に落ちることに気が付かないのです。人が死ぬことを、殺害される事を神に祈る?多くの人を
先導して?恐ろしい事です。
現代のユダヤ人で救い主を信じない人は、”救い主”を信じないのではなく、ローマ宗教の作り出した教えに塗り替えられた
イスラエルの神像、神の教えを捨てよ!と言う教えに拒絶、
抵抗していることに気が付く必要があります。
クリスチャンも言うでしょう。トラーは呪い!律法に戻るのか?何を神の前に言っているのか今一度聖書から確認が必要なのです。知らないまま、神に反抗する事を言う、やらされる、
サタンは実に巧みな手口を使うのです。”気が付けない”と言う
トリックです。イエシュアが言われた言葉の意味を理解していますか?イエシュア=わたし=トラー、預言書そっくりそのままと
イエシュアの口から語られた意味が異邦人には響かない、意味が伝わらないのです。違う教えに聞き入っているから。
問題は、異邦人の中にもあるのです。偽りの”救い主”像を世界へ
ユダヤ人へ伝えている事に全く気が付いていない事です。
神の教え、言葉は永遠なのです。聖書に神の言葉、契約は永遠に変わらないと書いてあるのに、それに反する教えをするトラーを知らない異邦人の唱える神学の教えと、聖書の真実は異なります。どっちが本当?真実?神の言葉に決まってます。
Think twice.考え直さないとならない時に来ているのです。
その教え聖書?それとも人が作った長年伝統で大衆に支持されている神の言葉の真実では無い人の教え?と。
イスラエルと言う民族は人間が選んだのではない、神が全世界の民族の中からイスラエルと言う代表をたった1つ選び出して、
神の言葉を伝え、生きる役割を与えらたのです。聖書を読んで
行けば気が付くでしょう。時代の中でたった一人を選び出す。
1つの国民を選び出す。
でもイスラエルでも神に与えられたミッション、役割、その自覚が全く無い人もいるのです。異邦人は神の言葉を荒らす、平気で汚す者だからと、異邦人との接触、異邦人を除外するユダヤ人も居ます。ユダヤ人なのに、トラーから遠くかけ離れて生きる人もいます。エルサレムでゲイパレードをやるイスラエルも居ます。又は恐ろしくカルトの様な教え、神秘主義の様な神の言葉の裏を読もうなどと教える人もいます。聖書にその過ちを繰りした事、
預言書に、詩篇78にも書かれています。それは、どの時代にも
どんな民族の中にもあり得る事です。クリスチャンとて同じで
しょう。イスラエルも異邦人も、神のトラーからかけ離れた
生き方をしたらそれは混ぜ物の教えに浸りながら気が付かず
ずれて行くと言う警告が、聖書の至る所に書かれているでしょう。異邦人だから神の言葉とは関係無いと言う教えは危険。
ずれた生き方をしても照らし合わせる基準=トラーを捨てていたら、混ぜ物の教え、生き方に汚染されても気が付けないからです。
でも、そのイスラエルが自分の役割を忘れ、失敗に次ぐ失敗の中でも何故神がイスラエルを選んで見捨てないでいるのか、理由は初めから最後まで同じ意味で聖書に書かれています。
残りの民が保存されている。
そして、最後の時に、イスラエルもイエシュアに気が付くと言う
事が書かれており、これは今確実に世界中で起きている出来事です。水面下でこの何十年も、1世紀以来初めての出来事、多くのユダヤ人が1世紀の時以上にイエシュアに出会っている。
イスラム教の人にもイエシュアが現れてしまう。世界中から神は神の言葉、声に応答する人を集めているからです。
この逆も同じです。異邦人が教えられて来た聖書の神学の中に
神の言葉では無い教えが混じっている事に気が付き始めているのです。
神の言葉を捨てよとか、終わりであるなど、どうしてそれが神の言葉、教えであろうか?神は酩酊しているの?気が狂ったの?
異邦人の中でのヘブライ語聖書を学ぶ機会出会う多くの人が今
いるのです。
異邦人はもともとトラーに縁が無いエペソ2章なので、トラー=イエシュアである事に初めから気が付いて無いのです。ユダヤ人はこれを説明されなくても分かるのです。だから、イエシュアも”失われたイスラエルの羊の所だけに遣わされた。”と言われたのでしょう。分からない人に説明しても無理だからです。その後
世界へ伝えるミッションを弟子たちに与えた、託したのでしょう。
続く