ユダヤ人から福音が世界へ伝えられ、そして又ユダヤ人へ戻る。
エルサレムから出てエルサレムに戻る。
エデンから出てエデンに戻る。
最後は世界中が1つの神に、1つの家族として戻る。
2つではなく、1つ大家族、元の姿、アダムと言う一人の人から全世界の人が神により造られ出てきたから。皆繋がっているのです。だから聖書にはずっと”一体”エハッドと言う言葉が書かれています。イスラエルの神の性質が分裂ではなく、エハッドの神
だからです。神に造られた人間も同じ性質に造られている。
創世記12:1 時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。
12:2 わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、
あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。
12:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやから<神に造られた全民族
人間>は、あなた=アヴラムによって祝福される」。
イスラエルだけ、ユダヤ人だけが祝福されるためではなく、
イスラエルが特別で優れているからでもなく、神はアヴラハムを
通して、全世界の民族を祝福すると約束しています。
その祝福は同じ神による、同じ祝福です。
その祝福の詳細、神の子らの生き方の詳細が初めて文字として
書かれたのが、モーセの五書なのです。それまではずっと
口頭で伝えられて来た神の言葉=教え。
多くのクリスチャン達は、現代のイスラエルを、歴史的に
アクシデントで生まれたのさ、誰かの策略で造られたのさと
見ている人達が多いとイスラエルのイエシュアを信じる人達が
口を揃えて言います。そして、クリスチャンの作った神学は
聖書の教え、イスラエルの神の性質と反しているとはっきり
言います。
置換神学=神がイスラエルを見捨てて、異邦人に別の契約を
与えた。
デイスペンセーション神学=神は時代により七変幻、
途中で約束や言葉を変える。時代ごとに違う顔色、対応をする。
ユダヤ人と異邦人は別々のグループ。
神の契約が、呪い、古い、廃れた、終わった、ユダヤ人だけへの教えと主張する。これは聖書にそんな事は全く書いて無いけれど
そう教えられ続けているのです。
聖書だけを調べたら分かりますが、誰でもイスラエルの神、
イエシュアを信じた人は、同じイスラエルの神の子ら、
同じ契約に加えられたイスラエルの同じ祝福を相続する民とされたのだと聖書には書いてあるのです。
神の言葉の事実をすっかり読み逃しているだけなのです。
この様な人造神学=西洋人が編み出した教えに対してユダヤ人達は、はっきりとひるみなくこう言います。多くのクリスチャン達が彼らの講義を聞いていて、誰も反発もないのです。
皆が神の言葉の真実に聞き入る。ヘブライ語聖書、ヘブライの
思索、コンセプトを異邦人は聞いたことがなかったから、
今お家元に学ぶ機会を与えられているのでしょう。
西洋神学が語る、イスラエルの神、聖書の言葉の解説はたくさん
聞いて来ました。でも聖書の事実では無い人の教えを通して、
聖書を語れば聖書とは違う教えなのです。どうひっくり返しても。いつになっても不真実は神の言葉の真実には変身しない。
永遠は永遠。神が神の言葉は変わらないと言っている言葉を
人が変えなければ、それだけで聖書の真実が浮かんで来ます。
神の言葉は1つ。途中で絶対に変化していません。
だからマタイの福音書の最初は、イエシュアの系図が書かれて
いるのでしょう。
系図=神がトラー、預言書で語った、約束の救い主が本当で
ある証拠です。どうしてそれがトラー、預言書を捨てよ、
呪いだ、新しい教えを救い主が教えに来たと言うの?
そんな事、トラーを知るユダヤ人は聖書に基づき言えない、
言わない、教えないです。西洋神学の影響を受けた人は
そう主張するでしょう。
もし、途中で変わる神なら、偽救い主像を生んでしまう。
それは異邦人はパウロの様なお家元に幼い頃から正しいトラー
の中身を教えられて育ってないから、分からない、染み付いていないからです。ユダヤ人の様にトラーを学んで無いから。
神の言葉がなんたるか、神の言葉に対しての畏敬の念が
本当に無いから簡単に終わり、呪いと言えるのでしょう。
神の言葉を人の言葉以下に取り扱うから、勝手に終わりになった事にしてしまったのです。人が決めた、ローマ皇帝が決めた事なのです。神では無い。
福音が西洋を通って人の手により中身が変えられてしまった。
そして今イスラエルの人達の間で、又はイスラエルに居るイスラム、アラブ人達に太古から書かれている同じ福音が聞かれている。
元のオリジナルの神の言葉、契約に戻る、太古から語り継がれた同じ福音=父の言葉=トラーが聞かれる時が来たと言う事です。
神が神の約束した言葉、契約を2000年以降は、イスラエルとは手を切り、異邦人が新しい契約の契約主と神がして乗り換えられた。神は時代ごとに人への対応、救い、贖いの内容、別種の
福音を語る、そして最後はイスラエルと異邦人は、
天と地上の別の場所でそれぞれ分かれて2つバラバラ、統治するなどなどの神学。
この様な人間が作った教えが、地獄でねつ造、偽造された教えであるだけではなく、ユダヤ人に対して失礼と言うより、
神の性質、神の言葉へ対しての真っ向からの、直接の反逆、
反抗、攻撃であるのだと言います。
なぜなら、神が言われた事とは全く異なる、神の性質らしくない
事を人間の神学=教えを通して、神の言葉や、イスラエルの神の
性質が、歪められ、曲げられ、神の言葉を否定して語られてしまっているからです。これは大問題なのです。
本当のイスラエルの神の性質、福音が届かなくなるからです。
よく聖書のテーマを見ると、又歴史の事実を見ると、
敵はずっと神の言葉をはぐらかし、神に言われた事を疑い、
曲げて来ました。
そして、神の言葉を生きる民を虐殺しようとしてきたし、
実際にしてきたのです。
4000年前の過越、出エジプトの背景は、エジプトのファラオによるユダヤ人全滅作戦。
プリムの事件でも大勢のユダヤ人が殺される計画でした。
ダニエルも別の神々に仕えないので、ライオンの穴に放り込まれました。
ハヌカの事でも、そして神殿崩壊の70年も、中世の西洋人に
よるユダヤ人殺戮も、ホロコーストでも、大勢のユダヤ人が
殺されました。
サタンは、神の言葉をよく知っています。騙し方もよく知っています。
でも、間抜けでもありますね。イエシュア=神に向かって、
神の言葉を曲げて騙そうとした。イエシュアは荒野での40日
の断食の後、サタンと対峙しますが、その時にイエシュアが
されたのは、サタンを退けたのは”トラー”父の言葉でした。
私たちがもしその神の言葉=父の言葉を曲げたら、捨てたら
鎧兜、ガードがたちまちなくなるのです。今の世の中はそれです。
福音書〜黙示録は100%トラーなのです。それに異邦人が
気が付いてはダメなんですね。サタンに取っては。
神の言葉に敵対する教えや主張をイエシュアを信じる人達が
言う、する事はサタンの作戦でもあったのです。
でもそれが終わろうとしています。聖書をちゃんと確かめれば、何が真実なのか皆気がつくからです。それを世界で教える
ユダヤ人達が主張し始めて、多くのクリスチャン達がピュアな
福音ヘブライ語聖書に書いてある真実を知り始めているから
です。
ユダヤ人に取っては、”ユダヤ人である救い主=2000年前に来られたイエシュアを見事にひた隠しにされ続けている
そうです。聞いたことも、教えられた事も、話題に上ることも
もちろん本で読んだこともない。
でもその時に、もし”トラー、預言書”を終わらせに来た、
ジーザスなんてネットで読んだら、こんな教えは嘘、偽教師と
思うのです。だから聖書とは違う不真実に気が付いて、その様な
発言はやめないとならないのです。トラーを知るユダヤ人には
それが嘘と分かるから。
そして、西洋の世界での迫害と、同時に同胞からの迫害。
自分の世代から次の世代に移る時に、同じ信仰が継承されないと言うことは多々ある事です。1世紀には殆どのイエシュア信者が
ユダヤ人だったのですが。
しかも、迫害の歴史、殺戮されてしまうのですから、
西洋人=西洋の宗教の教祖様である教えなどに聞き入ってはダメである。もしも、イエシュアを信じるなら、裏切り者、反逆者であり、家族、親族から葬式を出されて一生追放されます。
だから、普通のユダヤ人だったら一度も”イエシュア”に付いて
読んだことも聞いたことも無いと言う人は大勢います。
そして、皆が宗教的なユダヤ人で、トラーを熱心に学ぶわけでも無い。ある人たちはトラーではなくラビの教え、タルムードを
学ぶ。ラビの目から見る聖書解釈しかしてはならないと。
これは、西洋神学も同じです。人の作った教えを通して聖書を
解説すると言うことは同じことです。
続く