長い歴史2000年近く、宗教の教えの長い伝統の中で解説されて誤解されてしまっている聖書箇所の内容とぴったり重複する
内容なので、同時進行で考えてみようと思います。
今までの歴史、この2000年の中で無かった数のユダヤ人が
今”イエシュア ハ マシア”=トラー、預言書に書かれた救い主に
出会っているのです。日本語のサイトや情報では殆ど発掘出来ない情報ですが、英語圏の世界では、たくさん情報があります。
リバイバルと言うクリスチャン用語がありますが、リバイブと
言うのは、再び復活、生き返る、吹き返す、蘇生すると言う意味ですから、これはユダヤ人にぴったり合う言葉でしょう。
異邦人には、聖書信仰が無い、下地がないからリバイバルと
言う言葉は当てはならないけれど、ユダヤ人にはぴったり。
聖書に出てくる人達は、殆どがユダヤ人です。
1世紀以降、4世紀までのイエシュア信者もほぼ全てがユダヤ人
が中心です。
そして、聖書を書いた人達、預言者も使徒も、福音を伝えている人達も全て殆どユダヤ人です。
異邦人は元はユダヤ人から福音を伝えられた事実があるのです。
そして聖書は創世記から黙示録まで同じ1つのテーマ、1つの福音なのです。
でも西洋宗教神学は、これを二つ別の福音、2つの聖書と教えて来ました。そして、イエシュアを知らないユダヤ人も同じ様に
2つの聖書として見ています。
”私たちのヘブライの聖書=タナック=トラー、預言書、諸書”と
言います。そしてもちろん、福音書以降は絶対開いても、読んでもいけない、禁断の書=ユダヤ人迫害の教祖の書と信じています。親や祖父母、親戚の叔父さん、おばさんから厳重警告を
受けるのです。
そして、万が一イエシュアを信じたら、その家族は死を宣言され、葬式を出され、絶縁されて家を追い出されてしまうのです。
実際にユダヤ=アメリカ国籍の人の友人もイエシュアを信じて
家族から勘当され、葬式を出された人も居ます。
嘘では無い本当にそうなのです。
結婚していたら離婚され、子供とも絶縁、会えない人も居るの
です。
ユダヤ人は、福音書以降は、トラー、預言書が書いてある聖書だとも思ってもいないのです。これはクリスチャンも、福音書以降は、トラー、預言書が書いてあると思っていない共通点です。
この両者がいつか1つに出会う事が預言されています。
ユダヤ人は福音書以降を読めば、丸ごとトラー、預言書、
アブラハム、イサク、ヤコブ、ダビデの家系から出る、
同じ同胞=ユダヤ人のマシアが書いてある事に気が付いてしまうのです。でも異邦人クリスチャンはトラー、預言書=イエシュア=福音書〜黙示録と気がつかない。トラー、預言書を聖書に書かれた通りを学ぶ機会が無いので気が付いていないのです。
聖書はどの箇所も、一箇所も互いに違う、相反する事など書いてないと言う事にクリスチャンも気が付いていないのです。
どうして?そう教えられ続けて来たからです。
イエシュアを拒否するユダヤ人も、福音書〜黙示録=ユダヤ人
迫害の教祖の書と教えられ続けて来たから確認しないまま
そう信じている。共通点が同じなのです。
どうして、ヘブライの世界のヘブライ語の聖書が、西洋の教えの
宗教神学に変身、変わってしまったのかは、宗教歴史をちゃんと
調べ、学べばはっきりと経緯が分かりますし、その内容はブログの記事にも何回も書いてきましたが、日本語のサイトや書には
聖書に関するもの、そして、西洋宗教歴史に関する情報が
極少なのも問題の1つです。学ぶのに情報が極少すぎるからです。又は、事実を調べよう、学ぼうと言う発想が無い。疑問にも
思わない。
語学を学ぶのに辞書が無いのと同じです。人伝にしか分からない。確証を得るのに、情報が少なすぎるからです。
日本では聖書に関しては、本当に学びの世界が遅れています。
ヘブライ語の聖書辞書やテキストの様なもの、そして学習ツールさえ無い、不十分な状況なのです。雲泥の差が有るのです。
それは、日本人が能力に衰えているのではなく、異邦人であり、イスラエルの国籍、契約=トラーから遠く離れ、聖書に関して
一般的に幼い頃から教育される事が殆ど無いからです。
ユダヤ人の様に幼い頃から幼稚園や学校でヘブライ語の
レビ記や申命記、トラーや預言書など学んだ、その様な授業さえ
あるなんて日本の学校はゼロだからです。
彼らは、世界のどこに居ても、トラーや預言書を、ヘブライ語聖書、原典から学ぶ教育を受けることが出来る環境があるのです。
ラビ達は世界中に居るのです。
だから、西洋宗教の偽物の教えや神学が、どの様に聖書とは
違うのか知っている、本物を知ると偽物を、見抜いてしまうのです。
そして、世界から神の言葉=ヘブライのトラーを抹消しようと
する力、古代からずっとある勢力、エジプトから始まり、
ギリシャやローマ帝国の迫害、近代で言えばドイツヒトラーの
ユダヤ人全員殺戮など、神の言葉と神の言葉を生きる約束の民を
抹消しようとする”力”、もちろんその裏にいるのはサタンですが、荒らす忌むべきものがずっと存在している事が聖書に
ずっと書かれています。
でもイスラエルの神は生きておられて、ちゃんと永遠から揺るがない神の絶対的プランがあるのです。
このローマカトリックの教え、プロテスタントには関係ありませんと思うのですが、プロテスタンは、カトリックの教えの根と
今もがっちり繋がっており、多くの共通点があります。
だからユダヤ人には、プロテスタントも同じ様にカトリックと
しか見えていないのです。
同じ宗教の記念日、同じ祭り、日曜礼拝、イースター、
クリスマス、そして聖餐式や幼児洗礼など、同じ儀式を共有し、
ヘブライ語の聖書トラー、神の教えを異邦人には関係ないと捨てる様に教え、神の記念日を、呪い、廃れたから廃止、律法、
終わりとする信仰が共通点だからです。
ユダヤ人にすれば外側から見れば、細部は多少の違いがあれど、本質は同じにしか見えないのです。神の言葉を軽く簡単に捨てる、ユダヤ人迫害する宗教と考えている。
そして、これは又後に書きますが、実際に彼らユダヤ人に取って
ローマ・カトリックの教会の建物がエルサレムにある、
その事自体が大きなつまずきになっているのです。
ローマは税金をイスラエルには払わない。しかもイスラエルに
対して何の助けもしない。大金持ちなのに何も払わない、
助けないのです。
ツアーでイスラエルに来る人達は、イエシュアのオリジナルの道のりや本当の福音の教えではなく、ローマのユダヤ人の目には、汚らわしい場所、オリジナルの場所とは関係ない所を観光で回るなどなど。
そして、ヘブライの聖書とは違う、パウロが警告した別の福音が伝えられてしまって今に至るのです。それがユダヤ人が
イエシュアを知る事に対する大きなつまずきの石になっている
のです。
違う教え=永遠の神の教え=婚姻契約=トラーは呪い、律法、捨てよと言う教えです。
でも、変化が来ているのです。ユダヤ人に救い主を伝える事、
それは、異邦人を通してユダヤ人に伝えられるのではなく、
彼らユダヤ人、トラー、預言書を裏も面も知る様な、先祖代々
ラビの家系である、しかも正統派ユダヤ教の中で育って来て、
そこから救い主に様々な理由で出会った人達が同胞のユダヤ人に
本物の”イエシュア”を伝えているのです。
本物=神の言葉は永遠普遍である、契約は1つである。
神は創造主はお一人で、世界の修復は1つの大家族、始めの状態=1つ人類としてエデンの状態に戻ることを、ヘブライ語聖書、トラーから、変わらない同じ1つの契約=福音の事実知っている人が教え始めているのです。
最近ではなくもう何十年もこれ以前にあるのですが、今爆発的にユダヤ人でイエシュアを信じる人がこの様な敷かれた下地を元に集められているのです。
そして、逆に異邦人でも、トラー、預言書=福音書〜黙示録。
聖書が1つである事に気が付き始めている人達が居るのです。
特にアジア圏で爆発している様です。
なぜだか分かります。
人は真理を知るまで本当の安息を求め続けるからです。
神に造られた本来の自分のエッセンスが真理=神の真実を求め
探し続けるから。
”あなた方は真理を知り、真理はあなた方を自由にします”
私達人間は、神のエッセンス=DNA=トラー=神の言葉で
綴られているから。本物では無い添加物たっぷり=人の教え
遺伝子組み換え=神の言葉を塗り替えられた教えを聞いたら
渇く、疲れる。本当の水、生ける水=イエシュアが提供する
命の水を求め続けるからです。
申命記11:18 それゆえ、これらのわたしの言葉<トラーに書かれた神の言葉、教え>を心<頭脳>と魂<あなたの全存在>におさめ、またそれを手につけて、しるしとし、目の間に置いて覚えとし、
11:19 これを子供たちに教え、家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、それについて語り、
11:20 また家の入口の柱と、門にそれを書きしるさなければならない。
契約の民 幼い頃から親からトラーを教えてもらう。
トラー=神の教え、インストラクションは口にも腹にも
全身にも甘いと教えられる。
律法を与える厳しい神では無い。
私達を守るための全ての教えを与えてくれる愛に満ちた親で
ある創造主の本当の姿を伝えよう。