イザヤ53章 ユダヤ人ラビが人々に対して読むのを禁じている預言 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ユダヤ人ラビが読むのを禁じている箇所は、ユダヤ人は馴染みが無いのです。

でも、イザヤ53章を朗読すると、”イタリアのローマカトリックの救い主の話が書かれていると思うそうです。

彼らにはカトリック、プロテスタントその他エホバも

モルモンも皆同じ=カトリックと考えています。

 

でも違うよ!これはイザヤ53章を読んでいる。

あなたの聖書=ヘブライの聖書、預言書イシアだ!と

言うと無言になってしまうそうです。

自分たちのヘブライの聖書に、なんでイタリア カトリックの

ジーザスが書かれているの?と、絶句する。

 

クリスチャンは、トラー、預言書、諸書を古い箇所の聖書、

ユダヤ人だけの教えと呼び、イシュアを知らないユダヤ人も

2つの別の書として考えています。同じ共通点を持つのです。

そして、トラー、預言書、諸書=タナック=自分達のヘブライの

聖書と言います。

 

つまり西洋人が作った宗教=福音書以降。福音書以降は、

ユダヤ人迫害、反ユダヤ思想が書かれている書だと考えています。もちろん読んだこともないんですよ。殆どのユダヤ人は。

そしてクリスチャンも、トラー預言書を深くは学ばない、

トラーにヘブライ語で書かれている内容の本当の深い意味を教えられない、知らない、多くの人は読んだこともないのです。

共通点が同じ。読まない箇所が違うだけで。

 

でも、トラー、預言書を深く知るユダヤ人が、本当に福音書以降に書かれた内容を読めば、それがトラー、預言書と何も反したものは書かれていない、いやトラー、預言書だと気が付けるのです。トラー、預言書に全部イエシュアが書かれているからです。

 

でも、クリスチャンは、トラー、預言書を読んでも、

それがイエシュア=福音書以降に書かれた内容と同じとは

認識しないのです。トラー、預言書は、別の福音、別の契約

別の教えと教えられているからです。

 

 

ジーザスを殺したのはユダヤ人だと西洋人から迫害されて来た歴史があるからです。

そして、その迫害の教祖=イエズス、ジーザスと思っているのが、一般のユダヤ人です。

だから、福音書以降を読むなかれ!とユダヤ人はラビ達や、

親達から教えられているのです。

 

でも福音書以降をもし読んだら、そこに書かれているのは

アヴラハーム、イツアーク、ヤコーブ イスラエルの神で

ある事にはっきり気がつくのです。なんだ自分たちのヘブライの

トラー、預言書に書かれている内容と同じだ!と。

問題は、福音書以降を”読まない”と言う事なのです。

逆にクリスチャンは、トラー、預言書=イエシュアである事・

福音書以降=トラー、預言書と同じと気が付けない、

知らないのです。

トラー、預言書=呪い、律法、終わった、廃れた、異邦人には

関係の無い別の古い福音、ユダヤ人だけへの教えであると教えられているから。

 

 

イザヤ53章

1だれがわれわれの聞いたことを信じ得たか。主の腕は、

だれにあらわれたか。


2 彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように

育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、

われわれの慕うべき美しさもない。


3 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。

われわれも彼を尊ばなかった。


4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみを

になった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、

神にたたかれ、苦しめられたのだと。


5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの

不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、

われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、

われわれはいやされたのだ。


6 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。


7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、

口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、

また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かな

かった。


8 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。


9 彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、

その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共に

あった。


10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が

彼の手によって栄える。


11 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの

不義を負う。


12 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に物を分かち

取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者の

ためにとりなしをした。