神の言葉は今は恵の時代で終わりになりましたと、
デイスペンセーション神学、又は以前の西洋教父達も同じような事を語っていますが、それって真っ向からイエスさまの言葉=
父の言葉とは逆行する、違反する言動であること、聖書を読めば気が付くと思うのです。
聖書に書いてある通り、書いてある意図通りに、意味をずらさないで読んでみてください。
イエスさまは、トラーの中に書かれた神の言葉、詰まり
”モーセの五書”が聖書の全ての土台なので、その言葉の
一点一画で捨てるように教える教えに対して警告しているのです。マタイ5:18−19でそれを教えているのです。
クリスチャンは、イエスさま、パウロ達がトラーを廃止する教えをしていると、教師達、先輩達から教えられているので、
聖書に書かれている内容さえ読み取れないようになってしまって
いるのです。
イエシュアは100%トラーを話して、教えて、生きている
その事実を聖書から読み取れば、神の語る真実が見えてくる。
目から鱗が取れて神の言葉の真理=神のトラーは永遠である事実を聖書からを知れば、この文章は書いてある通りに読み取れる
はずです。
マタイ5:18
よく言っておく。天地が滅び行くまでは、トラーの一点、
一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
<強調です。絶対永遠に神の創造物は廃らない=神の言葉も
廃らないと言う意味。
今日天地が滅びていますか?天地が今存在しているのだったら、トラーもイエシュアが父の言葉を伝えている通り、今日も有効と言っているのです。
神の言葉をさえぎったら、イエス様の言葉さえ、頭の上を通り過ぎて、神の言葉で言われている通りを聞き取れないままに
なったままになります。>
5:19 それだから、これらの<トラーの中に書かれている全ての教えの>最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。
もし聖書に書かれている意味が分かれば、神学が語る、
”神の言葉のどの場所、一点一画でも終わりなどと、そんな発想や発言など決してしない、出来ないはずなのです。
人の教え=神学は恐れもなく、神の言葉を捨てよと教えています。気がつけば、背筋が寒くなります。
命綱を捨てて、防御もガードもなく、ビルの窓掃除や登山をするようなもの。危険。低温やけどのように気がつかない間に
損なわれてしまう。いや宗教の麗しい教え=人の教えに縛られてしまう。
このイエシュアの言葉に照らし合わせたら、人造神学が教える
異邦人には、トラー=神の教え、インストラクションは
今は無効です、捨てよと教えています。
その教えは、イエス様の言葉に照らし合わせると、偽り、
嘘、偽物、パウロが言ったいつの時代にもある人間の作った
騙しごとの哲学である事明白です。
聖書に書いてある通りに読み、受け取り、イエシュアの言うことが正しいと認める人には、はっきり事実確認が出来る、
偽物と本物が見分けられると言うこと。
人の教えに騙されてはならないと書かれています。
聖書=神の言葉だけに目を意識を留めて行かない限り
何が本当なのか分からないままと言う事です。
なぜなら、神の言葉を真っ向から否定して、人の神学、教え、
哲学を優先し、それを信じているから見えなくなる。
わたしの羊はわたしの声を聞き分けるとは、神の言われること=
トラー=聖書なのか、それとも人の教えを神の言葉を否定
退け、消して、聞いているのか?の問い、いやイエスさまからの直の警告なのです。
大体、神の言葉を捨てよ、終わり、呪い、律法などと言う
教え自体が、初めから聖書では無い、100%神の言葉=羊飼いの声とは違う、真逆の別の教えです。
神の言葉を命がけでガードせよと書いてあるのに、
簡単に捨てよと言うそれって考えるだけ、変と分かります。
神の言葉だけに戻り、神の言葉を捨てよと教える教えは
神から出ているのか?それとも人から出ているのか?
聖書にだけ戻り神の前に絶えず確認、問い続ければ、
明らかに答えは聖書にはっきりと記されている、
書かれています。
今の時代のごとく、自分で確固たる真実=情報を
神の言葉からだけ汲み出す訓練をし続ける必要があるのです。
続く