日本も年末年始で、華やか、賑やか、休みに入る楽しさ。
家族、親戚と楽しい団欒を過ごす時になりました。
日本の師走の雰囲気もいいですね。この時期に日本は大掃除したり、最近ではめっきり年賀状を書く人も少なくなったそうです。
電子メッセージ、メールがあるからですね。
海外にいても、手書きのカードや、ハガキをもらうのは
嬉しいものです。電子ではなく、誰かが書いた文字。
年賀状を毎年送ってくれる友人が、”新しい住所教えて”と
お知らせが来ました。写真付きカードをいつも下さるので、
家族の様子が分かり、嬉しいです。海外だと数も少ないので
飾らせてもらっています。そして見るたびに思い出し、祈る。
楽しい団欒で、家族、親族が仲がよければ楽しいけれど、
帰省しても、色々気を使い、楽しくないと言う場合は、
苦痛だと言う人も少なからずいますね。
全部が関係の世界での出来事です。人は関係の中に存在し、
生きるように造られているからです。
破壊的言葉、コミュニケーションは、人間関係を壊します。
何も考えずに、人を傷つける言葉を口から出す人は、
人を破壊します。言葉は実態。破壊力、パワフルです。
いじめは”言葉”から始まるでしょう。暴力より見えない傷を
作ります。
でも、神の意図通りの関係をガードする場合、互いに向き合う
事が出来る関係は、その状態から喜びが出てくるのでしょう。
すれ違い、誤解は、全部コミュニケーションの不具合から
生じますね。相手と自分の頭脳を共有していないから。
コードみたいに繋いで、情報をシェア、共有出来ないから。
自分の考え、思いを意図通りに相手が受け取れない、又は自分が
伝えられない、お互いが相手の意図を聞き取っていないと言う事から生じるのでしょう。
昨晩は、シャバットで楽しいひと時でした。
昨日は、新月と、ハヌカの6日目、そしてシャバットと3つの
事が重なる特別なシャバットでした。
シャバット。イエシュアが毎週1度祝っていたのは、
シャバットでした。父が仰せになった事、デザインした事を
子が地上で同じように生きて、人々に示す。
第七日目に止まる。そしてこの日は弟子たちとゆっくり過ごし、トラーをじっくり教え、語ったのです。
直接、イエシュアにトラーを解説された弟子たち。
その人達が、福音の真髄を伝達したのです。
でも、イエシュアが来られる前に居た人達、特に聖書を
記した人、モーセの五書に対する預言書を書いた、
預言者達も、同じ”イエシュア ”を知って生きていた。
モーセの五書と、預言書を読んで来たユダヤ人も、
同じイエシュアを、トラー、預言書の中で知り、イエシュアを
通して取り戻されている新しくされた人の実態を生きてきた
事実があるのです。突然2000年前に救い贖いが出たのでは無い。
最初から在るのです。その事実を”過越”最初の過越で地上での形として表したでしょう。それが、2000年前の同じ過越で
”子羊の血”鴨居に塗られたあの血は、イエシュアの実態を
表している事実を、イエシュアが直接”過越”の祭りで
処刑され、世界に再び表したでしょう。同じです。
永遠の中にある事実を、歴史のある日ある時=それは、すべて
神の定めの時、レビ記23章の記念日の時に起きている事実。
どの時代にも残りの民=カハール=エクレシアが存在していた。
この事実を考えると、全てが創造の始まりからの継続。
神のデザインの人は、進化も変化も変身もしないから、
人の生き方も創造の始めから同じなのです。
箴言19:22に、人の望むものは、いつくしみ深い事
とあります。人の変わらぬ愛と訳している聖書もありますが、
へセッド=婚姻契約=トラーの中に表されている”愛”の性質の事です。愛、慈しみ、親切など色々な言葉で訳されています。
それは、どうしてか?人は、神の言葉が表している”愛”
に生きるように造られている事実があるからでしょう。互いに
愛し合いましょう。親切にしましょう。それは、人は愛によって
造られて、DNAは神の愛の実態で綴られているから。それが人の性質ですよと言う意味で語られているのです。
頑張ってするのではない。それが人の本当の性質だから、
それを生きれると伝えているのです。
だから逆をしたら、違和感、罪悪感、後悔があるのでしょう。
罪人の性質が人の性質なら、罪の性質に沿って生きる事に
爽快感、快感、喜びがある。まずい、失敗した、後悔や、
恥、悔恨の気持ちなど浮かばないはずです。
魚が水で暮らすのがぴったり、丘に出たら苦しくて死ぬように、
あるべき状態では無い状態では、不具合が生じる、違和感が
ある、欠乏感を感じる、不満足、不幸せ。
それは、あるべき状態から切り離されて生きている”自覚症状”
だからです。
不親切にして、されて、無視して無視されて、無礼をして
されたら、傷つくのは、私たちは、親切、寛容、善意、柔和
自制とは逆の事だからです。これらの言葉で表している内容は全部トラーに詳細が書かれていて、パウロが解説しているものですが、全部契約の中に書いてある”愛”の姿、神を愛する、あなた
自身を愛するように隣人を愛するとは、それはトラーから来ているものなのです。トラーに書かれている人間の性質です。
短い言葉で、愛の代名詞をコリント1 13章でパウロが書いていますが、パウロが解説しているのは、トラーに書かれた、
愛の短いバージョンを解説しているのです。
2000年前に、初めて全部新しい教えを教えられたと、教えられて来たけれど、神の言葉の真実の蓋を開ければ、イエシュア が、弟子達が、パウロが解説しているのは、”トラー”の詳細です。
今日はシャバット。シンプルに、神が創造されたデザインを
生きる。それが何?て思う事の中に実は生きる秘訣、お互いの
関係、命の質をガードする秘訣がちゃんとあるのが、神の言われる言葉、デザインなのです。
命の木から食べなさい。神の言葉だけ、神が言われた通り
神の目から見る通りの方法から食べる。
シンプルなインストラクション。
無視出来る、軽く取り扱える、でもそれは”死”セパレーション
離別、隔たりを生み出してしまう。人と神との関係に。
止まって、振り返る。自分と目の前にいる人を愛すると言うなら、この日、立ち止まり相手と関係を深める時間を取る。
神がそうしなさいと言われたから。
そして、神の言葉を読んで考える。そこから1週間を又生きる。
鏡の前を離れてすぐ忘れる人の様にではなく、新しくされている 事実を神の言葉の詳細を生きる中で実行する。
世界がもし、神のトラーをガードして生きたら、まだそんな
状態は来ていないけれど、もしそうしたら、全然違う雰囲気
空気に、ガラッと変わるでしょうね。まだ来ていない。
でも将来イエシュアが戻られる時はそうなる。
そこまで待たなくてもよい。天のシャロームが地に現れるとは、
神の言葉の実態を生きる人の中にあると書いてあるように、
天の事実を先取りして生きる残りの民に加わる。
これから1週間、地の塩、世の光はどう生きるのか、
神の言葉の中で教えられて生きようと思うシャバットの日。
Shabbat Shalom
ハヌキヤ 油を入れて灯すところが素敵
友人宅でシャバットの準備中。シャバットの時に使う食器、
白くて薄くて素敵です。特別な日と言う意識が湧く。
スフガニヤ。町のスーパーやベーカリーでこの週ずっと売っているジャムがついたドーナツ。
シャバットのキャンドル
犬もシャバットで止まる 可愛い兄弟ワン子。




