申命記
5:12 シャバットを守ってこれを聖とし、あなたの神、主があなたに命じられたようにせよ。
5:13 六日のあいだ働いて、あなたのすべてのわざをしなければならない。
5:14 七日目はあなたの神、主のシャバット<イスラエルだけのシャバットとは書いてない>であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたも、あなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、牛、ろば、もろもろの家畜も、あなたの門のうちにおる他国の人も同じである。こうしてあなたのしもべ、はしためを、あなたと同じように休ませなければならない。
5:15 あなたはかつてエジプトの地で奴隷であったが、あなたの神、主が強い手と、伸ばした腕とをもって、そこからあなたを導き出されたことを覚えなければならない。それゆえ、あなたの神、主はシャバットを守ることを命じられるのである。
出エジプト 31:12 主はまたモーセに言われた、
<神の口から直接に語られた永遠普遍の神の言葉>
31:13 「あなたはイスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたは必ずわたしのシャバットを守らなければならない。これはわたしとあなたがたとの間の、代々にわたるしるしであって、わたしがあなたがたを聖別する主であることを、知らせるためのものである。
31:14 それゆえ、あなたがたはシャバットを守らなければならない。これはあなたがたに聖なる日である。すべてこれを汚す者は必ず殺され、すべてこの日に仕事をする者は、民のうちから断たれるであろう。
シャバットは体を休憩すると言う意味ではありません。
シャバットの本当の意味は、停止、止まる、終焉です。
無駄な努力、仕事、無意味な思考回路を全部停止。
止まるのは、自分と家族の時間を保護するためでもあるのです。
そうすると同時に体も休まるから安息日と訳されているのです。
本当の目的は、神の完了の業に喜び、憩い、互いを祝福し
神の前で祝う記念日です。出エジプトしたことを皆で思い出す。
奴隷では無いことを思い出す。神の子らしく生きることを
皆で確認し合う。神の言葉に皆で思いを馳せる。
”民のうちから絶たれる。蚊帳の外に放り出される”
厳しい言葉に聞こえるでしょうね。
こわ〜い!!!でも考えれば分かるでしょう。
厳重警告されるときに、その警告がどれほど重たい、重要な
警告なのかと言う事が分かれれば、怖くもなんともありません。
あなたの命を守るために、厳重警告していますと言う事です。
これを無視すれば、あなたの命が破壊されますよ!
と言う事。どうしてかそれは生きてみたら分かります。何を欠けて生きていたのか絶対に気がつきます。人の教えや宗教の教えを生きれば、スカスカになるのです。違うところで神の言葉では無い命に直結しない無駄な事、生き方、何にもならない虚しい
レンガを積み上げてしまう。
シャバットを無視すれば、自分の修復、家族と仲間の修復、神との関係の修復が無くなり、破壊されて行くからです。
神に言われている事が頭上を通り過ぎてしまうからです。
そんなの何曜日でもいいじゃないと言う教えを聞きますが
その思考回路こそ本当に危険です。神の言葉を神の言葉として
聞く態度、思考回路が全く無いから。神に造られただけの只の
人間が、創造主である神の立場に立っているからです。そう言う行為、発想、発言が変だと気がつかないと危ない。ローマ皇帝がやった、ヤロブアム王がやった代々語り継がれる”罪”としての位置付けをされます。
神が言うことを認めたくない!そのものだからです。
自分の悟りが一番!人の編み出した教え=ローマの教えを神の言葉と勘違い誤解していることに気が付いてないからです。
本当に危険。そうでしょう。食べてもすぐに死なない。
神の言葉以外を食べても、すぐにアダムとエバは死ななかった事で分かります。でも神の言葉を退けて、蛇の言葉に聞き入ったら確実に破壊の道、崩壊の道に進む事免れなかった。
ええ〜?こんな単純な事で死ぬの???
食べる事でしょう?単純。そうです。毎日密着している出来事=
食べ物を通して、多くのことを神は教えているのです。
食べ方=反芻する動物。嘘と真実を見分けて嘘=吐き出す。
真実=取り入れる。
なんでもかんでも取り入れる動物=陸の掃除機=ゴミでもなんでも食べる動物。海の掃除機である動物=鱗=ガードがないから
毒を内側に浸透される。または、貝もウイルスも毒も取り入れ、内側に溜め込む。神の子らの性質と異なることを、食べ物を通しても教えているのです。そして、もちろん、人間の食べ物ではない、掃除機として作った汚れた動物だから、人間の食べ物では無い事を神がちゃんと伝えています。レビ記11章。これって
律法?創造主が伝える、危険な食べ物=口にはうまく、腹には苦い。
いつも日常する事、簡単で単純な事、無視しやすい。
それこそが危険。その神の単純に聞こえるインストラクションを無視する危険がちゃんと書かれているのです。
子供の様に素直に、今全部意味が分からなくても、神がそう言うなら正しいに決まっている、何か重要な事に違いない、だから
そうしようと言う態度が無いなら、それはもう自分教の世界を生きますと言う選択、宣言を神にしているのと同じ事なのです。
あなた=神の言う言葉なんて、70%古い呪いの律法の終わった教えですと人間の教えを信じて、人の教えを買って生きている。
よく考えれば分かると思います。シャバットを汚す事が
神にとって、そんな”死”に値する重たい罪として宣言している事、それほど、”シャバット”が重要な日だと言う事が見えれば
分かります。
神に取って大事な大事な日、その日は神の子ら同等に重要な日なのです。同じ家族=同じ一族は親が先祖が大事にする日を大事にガードするでしょう。
その日に神から呼び出されている。
別の日に行っても神はそこに居ない。神が呼び出した日では無いからです。当然の事。ボスが呼び出さない、アポの無い日に
会議室には行かないのと同じです。大事な要件があるから呼び出されている。
しかもシャバットを生きて行けば見えてきます。
シャバット、神の記念日はイエシュアそのもの。
イエシュアを知る足跡そのものだと言う事が見えてきます。
詩篇23章にダビデが書いた様に。この解説は、神の祭りと神の記念日の意味の全貌が分かればれば、ダビデが言っている
義の道に導かれる意味が見えてきます。福音そのものを語っているのが、神の記念日レビ記23章なのです。
義の道、サイクル=神の記念日=イエシュア=救い贖いの実態を
生きる道と書いてあるのです。
これは、長い解説になるので別の記事で書きたい内容です。
31:15 六日のあいだは仕事をしなさい。七日目は全き休みのシャバットで、主のために聖である。すべてシャバットに仕事をする者は必ず殺されるであろう。
イスラエル以外そんな土日も仕事あるでしょうと思いますが
神はご存知です。イスラエルとて諸外国でエグザイルを体験したその時にも同じ神のトラーを生きる様に言われたのです。
困難な環境の中でも出来る限り シャバットの意味を知って出来る限り神の意図を生きる。それは、自分、家族が破壊されないため、関係の命溢れる状態を保存するため、守るためです。
31:16 ゆえに、イスラエルの人々はシャバットを覚え、永遠の契約として、代々シャバットを守らなければならない。
代々に=オラーム=永遠=この神の造られた世界が滅びない限り=もちろん滅びないから、永遠に有効であるとヘブライ語聖書には書かれているのです。その事実を変えたのがローマの教えです。
31:17 これは永遠にわたしとイスラエルの人々との間のしるしである。それは主が六日のあいだに天地を造り、七日目に休み、かつ、いこわれた<ヴァイ ナファーシュ>からである』」。
主の日とは、主が定めた日以外のものでは無いのです。
宴会にパーテイに招かれて律法だと怒り出す人がいるのなら
きみまろさんに”気は確か?”て言われてしまうかも
誰にそう反応する様に仕込まれ刷り込まれたのか?
神がシャバットを憎む様に教えたのか?
誰でしょうね。エデンの園のあの動物以外に無いでしょう。
神は今日も招いている。お互いの命を保護し、お互いの存在を祝福し合う中で修復する関係の世界。
シャバットを意図通りに過ごした時に体感、経験する
喜び、満足がある。それが欠けているか欠乏を感じる。
誰でも誰かとの親しい関係を求めている。神が人は人との関係の世界、神の関係の中に存在する様に造られたからです。
神の本当のデザインの生き方を世界は探し求めている。
何より本当の自分探しに疲れている旅を終わらせたいと
探しも求めている。
地の塩、世の光。その人達は神の子らである事。
神の似姿に造られた本当の自分をまず知って生きる旅を
始める事が出来る。
Shabbat Shalom