書いてある神の言葉の真実に戻して聖書を読み直す エペソ2章 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

当時のユダヤの世界の1セクト、例えばパリサイ派の中にも

あった様々な人間が編み出した教え、ルール、法則。

トラーとはなんの関係も無いややこしい人間製造のルール。

宗教の世界はどこでもそんなのがある事に気がつけます。

男女一緒に座ってはならない。あれこれこれこれ、誰かの作ったルールを生きさせられます。それが、2:15戒めの律法と訳されている言葉=ドグマです。神の言葉=トラーの事ではない。

神の言葉に対して使われているギリシャ語は、他の意味にも適用できる多目的用語、”ノモス”が使われています。

だから混乱するのですが。

 

使徒15にもあったように、当時はユダヤ人は、汚れを平気で取り込む意識の異邦人を受け入れ難い。当然です。イスラエルの神を信じながら、異教徒の寺に詣でて、偶像を拝み、汚れた動物の生贄の血で汚染され、更に汚れた動物を平気で食べたり。

 

日本人で言えば、土足で座敷に上がる外人、

服を着たまま浴槽に入り、タオルに石鹸をつけて湯船で体を

洗うなど,想定外、常識はずれ、ドン引きする。それと同じで

イスラエルに取って、トラーにある汚れた行為をする異邦人の行動は耐えられないのです。

 

そんなライフスタイルありえないのです。

だから、最低限、トラーを丸ごと知らない人は、シャバットごとにトラーを少しずつ教えていけば、学び知っていけば、いずれ何が、神の家の子らの生き方か、その全貌が分かって来るだろうから、今は取り敢えず、必要最低限、これこれ堪え難い事、4項目だけはやめてくださいと4つの提案をしたのがエルサレム会議です。

 

これだけ生きてれば、異邦人は後は何しても大丈夫なんて

教えがありますが、本当に内容を誤解しているのです。

その4項目だけ守れば良い?

じゃ殺人も、姦淫も良いのでしょうか?と言う事になります。

 

しかも、異邦人の振る舞いのおかげで、ユダヤ人も壁を造らざるを得なかった。お互いに交わったり親しくなってはダメだと言うような事を言っていた、やっていた。隔ての壁があったのです。

使徒10:28

 

クムラン派の人達も人里離れて生きていたでしょう。

彼らも隔ての壁を作って生きていたのです。

 

近代で言えば、アメリカのアーミッシュの様に他の人とは交わらないコミュニテイです。

 

ギリシャ語のレキコンに、戒めの律法は、”モーセの律法”をさしていると解説しているものがありますが、間違いです。エラー。

辞書がいつも正しい訳では無いのです。

 

スタンダード ギリシャ レキシコン BDAG p254に、

典型的一般的クリスチャン解説のエペソ2:14ー15が書かれています。ドグマと言う言葉で、モーセの律法をさしていると。

 

ヘブライ語のヘブライ思索の知識に欠けた人達、バイアス、偏見がある人達が解説すれば、どの様にも元の意味を変形させる事が

出来ます。

 

スコッフィールドのリファレンスチェーンバイブルのように

又はある翻訳聖書の様に、デスペンセーション神学を証明しようと、聖書の中にある都合の悪い箇所を切り取り、聖書にない言葉、文章を挿入貼り付けしたりする様なことまで人間はしてしまうのです。神の警告まるで無視して。

だから、元がオリジナル=ヘブライ語聖書が保存されていることは人類にとって大きな恵みと神の言葉の真実の証拠であるのです。元の意味を変形して訳しても、人間が聖書の言葉に手を加えても、神の言葉のオリジナルがちゃんとあるからです。そこに戻れば証拠が確認出来る。

 

 

全く真実を逸脱している解説です。お家元を離れて、オリジナルを学ばなければ、聖書に何が書いてあるのかさえ分からなくなってしまう良い例です。

 

続く