1つ神の1つ家族のための同じ記念日 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

イスラエルと書いてあって、だから異邦人には関係ない、

イスラエルだけへの教えと言う仮説を信じるなら、それは、

異邦人はイスラエルの神、イエシュアとは、全く何の関係もありませんと言う事を信じているのと同じ事です。

 

しかも、イエシュアは失われたイスラエルの羊の所だけに

遣わされたとまで言っているのですから。ああ〜異邦人には、

関係ない事なの?いいえ、ちゃんと聖書に書いてある意味を知れば、イエシュアが何を言っているのか分かります。

 

しかも、シナイ山、シャヴオート、婚姻契約を受けた時に居た人達、出エジプトして来た人達はイスラエルだけではありまん。異邦人もちゃんと神の言葉を聞いて、信じて、応答して、行動に

移し、イスラエルと共に脱出した、彼ら異邦人もイスラエルの12部族の中に数えられている事実を知れば見えるのです。

アバ父は、分け隔てない。もともとアブラハムも異邦人なのです。イスラエル=代表者。任命されたのです。世界の大家族の長として。弟妹をしっかり教え、守り、導くために。

神の言葉=契約を絶対に揺るがして生きてはいけない、長男としての重〜い責任を負わされているのです。

 

神の子とは、イスラエルとは、イスラエルの神の命=神の言葉を生きる人の実態なのです。人種に関わりない。性別、年齢、職業に関わりない。

 

神の婚姻契約に同意して、本当の神に繋がれて、大家族の中で生きる事に賛同した人達。

これに同意しないなら、宿営の外、蚊帳の外で、隔たりのある

関係、疎遠な関係、内側の深く、親しい婚姻関係の中にない

選択をする事です。

 

わたしはあなたを知らないとイエシュアが言われたのは、そう言う意味。神の提示した通りの契約の姿を生きる事を拒否して、

自分独自の教えを混ぜるなら、それは親しい関係にヒビを

入れる事なのです。主人の言う事無視で自分の目に叶うところ

を生きる宣言、行動しているから。

 

わたしの提示した婚姻関係の中で繋がれては居ない、あなたと

私の婚姻契約の中で結ばれている関係ではない。

知らない=婚姻関係の親しい深い関係にはない=”知らない”と

書いてあるのです。

この”知る”と言う言葉を、ヘブライ語に直すと分かるのです。

アダムはエバを知ったと言う言葉と同じ。婚姻関係の内側の

関係を語っている”知る”と言う言葉、意味なのです。

 

神の国には、異教徒、偽の主人の一切のもの、教え、習わし、自分教を持ち込めない。神の家にタメーな動物は持ち込めないのと繋がっている。自分の体の中にもタメーを取り込めない。

 

カハールと言うヘブライ語は、声と言う言葉に繋がっています。

神の言葉に応答して、神の婚姻契約の中に加わる事に同意した

人達と言う意味なのです。教会と言う翻訳造語では見えて来ないですが。しかも、創世記からマラキには”教会”と言う翻訳用語を敢えて使用していない。同じヘブライ語を別の言葉に意図的に

書き換えてしまったのです。

 

初めから神の大家族=カハールは存在していて、それが雪だるまみたいに膨れ上がり大きくなる。参加者の数が増し加わり続けているだけ。同じ一つの大家族。

2000年以降にいきなり”教会”が出てきたと教えられるから

混乱するのです。別の契約、別の家族が出てきた?聖書に書いてある通りの意味で初めから読めば、全部同じ1つの家族の事が

書いてあるのです。一致とは、1つに繋がれること。同じ共通の

グラウンド=神の言葉=婚姻契約の中で生きること。

2つでは無いのです。1つ=一致、2つ=分裂です。

 

その長男がイスラエル。代表者。弟、妹を正しい道=トラー=

婚姻契約のライフスタイル、イエシュアの命に繋げる地の塩、

世の光の役割をするわけですが、だいぶ今まで失敗しています。

 

でも将来は違う事が預言されています。皆が気がつく日が来るからです。神の言葉=婚姻契約を捨てて、変形させて生きていたことに気が付いて、心折れて、嘆き、戻ると書かれている。

 

カハール<教会と言う用語を元の意味に戻して>初めから

ある。イスラエルと異邦人のミックス集団。

同じ木に接ぎ木された人達、同じイスラエルの羊の囲いに加えられた異邦人。同じ1つの家族=一致とはそう言う意味です。

 

イスラエル〜同じ木に接ぎ木された異邦人=同じ家族と

書いてあるのです。同じ婚姻契約の中に、異邦人も加わる

権利、資格を与えたそれが”贖い”の意味です。

本物の主人に、偽物の主人に繋がれていた鎖を切り取られ、

代価を払って買い戻してもらった。

 

6日間働いて、第七日目に止まるのが神のデザイン。

これが神の言われている永遠普遍の唯一の真実。

クリアーに聖書に書かれています。神の言葉の事実が。

 

第七日目を破棄、処分、変形する様に4世紀に勅令を出して、

ローマ帝国全域におふれを告げた。これがローマの教え。

ニカイア会議でローマ皇帝が決めた事に、参加者全員が賛成

した。ローマカトリックの経典にも書いてある。

日曜日。神の言葉に基づかない、神から権威をもらって変えたのでは無い。カトリックが変えた、制定した日、元々の

ローマ皇帝の信仰を取り入れて、大衆にも馴染深い異教徒の

記念日だから、その日に変えた方が新しい宗教を受け入れやすく

するために変えたと書いてある。

 

その出来事は、長い歴史の中で忘れられ、現代シャバットは

神が終わらせたので終わった、神が破棄したと教えるのは、

実はローマ教の教えの伝統を引き継いでいるだけ、

彼らの教えを世界が買ったから。それがシャバットが

捨てられた本当の原因、理由。聖書ではない。聖書は逆を

言っている。自分で聖書に戻り確認したらはっきりと書いてある。

 

永遠にガードしなさい。それが神の子らの”印” 神と永遠の婚姻契約にある”印”としてのシャバットと聖書には書いてあるから。

誰の言葉を食べて生きる様に人は造られているのか?と

言う問いが常に残るのです。

 

 

自分でちゃんと聖書を読んで、自分の頭で考え、自分の目で

聖書に書かれた事実を確認し直す、確かめる作業を怠らないならば、真実は聖書に書かれている。その通りに聖書を読めば、

必ず神が事実を神の言葉を通して分からせて下さるのです。

そして、それはエデンに繋がる喜びの世界。自分を修復する

鍵が書いてある。関係を修復する鍵が書いてある。

 

蛇は人から喜びを奪いたい。関係を破壊したい。壊した〜い。

でもその手には乗らないと、ガードするチームプレーをガード

する人達の中には、光がある、喜びが溢れる。

 

同じ家族は、同じ記念日、同じ1つのテーブルを囲む。

1つの神、1つのインストラクション、1つの家族、1つの場所。

同じ天からの2日分のマナを与えられたイスラエルと異邦人。

喜びの源泉は、”1つに繋がること” バラバラ、別々は神のデザインでは無い。共通の場所=同じ家、同じ家族の同じ神の

記念日を祝う。

 

 

 

 

Shabbat Shalom