古代1世紀に戻り1世紀のイエシュア信者たちを知る | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

1世紀、聖書に登場するユダヤ人、イエシュア信者たち、

異邦人もユダヤ人も一体何をどう生きていたのでしょう?

 

トラーの中身を生きていた。誰一人として、トラーは終わり、

神の記念日は終わりと言う人がいない世界の出来事が

聖書に書かれているのです。

現代とは全く異なるものである事は確実です。

 

アヴィブの月=第一の月の14日日没、過越から始まる

春の一連の祭りは、全部ワンセットとして繋がっています。

人の体を足、手、心臓、腎臓など切り取って生きられないのと

全く同じ。削除、創作付け足しすれば、神の意図通りに機能しなくなる。

 

どこも削除したり、端折ったり、作り変えたりしては、

神のデザイン、福音の全貌の意味不明になるのです。

もちろん、春の祭りは、秋の祭りにも繋がっています。

春の祭りは、実際に地上で既に成就した福音の内容でもあります。秋の仮庵の祭りはこれから来る未来の預言的祭りです。

 

1つの曲は、途中の何小節だけ歌っても、奏でても、曲の全貌

意味が見えないのと同じく、神の”記念日”は全部合わせて1つ、ワンセットシャローム。それで福音の全貌を全て網羅しているからです。その中心が、シャバット=神の完了の業で生きる事

なのです。何も付け足し必要無し。

しかも作曲者では無いものが、人の作品に勝手に手を加えて

変形させてはダメなのです。

ジグゾーパズルのピースも一部分だけ繋げても、全図柄、絵柄が

見えてこない、それと同じで、神の記念日は、端折ったり

時を変えてしてもダメなのです。

 

神が指定した通りにが大原則なのです。それは時代がどの時代でも同じなのです。途中で変わるのだと、神ではない人間が主張するから、神の意図が真実が見えなくなってしまうのです。そしてそれは、満月と、収穫とにも繋がっています。契約が永遠で

あり、命が生み出される源である事を物語っています。

 

今年は、6月8日の夕方から、6月の10日の夕方までが

シャヴオートです。

ウキペデイアなどには、”ユダヤ人”の祭りとありますが、

本当は”わたしの記念日”と言われた通り、イスラエルの神の

記念日。この日は、クリスチャンの間では、ペンテコステとか

五旬節として記憶されていますが、この日は、過越の祭りからの

一連の祭りで繋がっているのです。過越の後の7週のオメルを数える週を終えた次の日が50日目。だから、シャヴートだけを取り出して、強調しても無意味になるのです。

全部一通りを神が言われた通りに祝い、生きたら意味がある。

 

神の記念日は、サイクル。時もサイクル。

一日もサイクル。1週間も一月も1年もサイクルです。

この中で、エデンを飛び出したけれど贖い出された人達は、

既に”神の中”に居る事が書かれています。体感的には、感覚的には、何も感じないけど、エデンの現実の中、永遠の中に

今生きているのです。ヨハネ17章のイエシュアの祈りの通り

”この世に在って、この世のものではない” ”父の中に居て、

父も私たちの中に居る事を知るように”とイエシュアの祈りに

ある通り。あれは現代の私たちへの同じ祈りでもあるのです。

 

知らないから知るようにと祈ったのでしょう。

不思議な事を祈っていますよね。ミステリーです。

人間の頭脳で理解できる事を遥か彼方に超える事をイエシュアは

知っていて語っているのです。私たちが神が複数で全く1つの神と言うコンセプトの全貌を理解、把握、人間の頭脳で解説出来ないのと同じです。そうだからそう。そう言われたからそう信じる。だんだんとその意味の真相や深さが分かってくる。永遠に

繋がっている真実の深さ。

 

過越=贖い出された事実は1回だけ。義とされた事も1回だけ。

なんどもなんども罪人に逆戻りではない。

義とされているのに、罪まみれ、ずれまみれに生きていると

言い変えたら分かるでしょう。この本物の主人に繋がっているのに、偽の主人の言われた事、価値観、学習した偽の自分を生き続ける。または偽の主人の教えを受け入れる姦淫の罪をし続ける。

 

途中で、神の完了の業は変化しない。でも贖い出されても、意識は偽の神々に繋がって生きてた時のままなのです。

だから、荒野だったのでしょう。

神の声だけを聞く訓練の場所。長〜いハネムーン生活。

神からだけ養われる日々を送る。天から直送のマナと神の言葉、

雲と火の柱で毎日の行動を示される、全て100%が神と直結、命を繋ぐには神の言う通りに生きないと死ぬ。

 

一人一人の旅路も同じです。救われたら、その瞬間から

全部が変化しない。体も同じ。な〜にも変わらない。

感覚的には。そして、イエシュアと共に死んだ自分の方をずっとずっと同じ事を何十年も生き続ける、繰り返す場合もある。

 

これは、この神の記念日が分かると、荒野での40年の意味が分かると、見えてきます。なぜ、神のモアデイム=定めの時=記念日があるのか。

 

神の時の中に、神の言われた通りを見て、知って、学習して行く

旅路がある。そこを通らない場合、神の声の中で神の声の下で、

神の声の通りを聞いて生きる事を学び続けない場合、

ただの徒労の旅になる。死んだままの生き方を続ける。

脳回路離脱しない、包皮かぶったままの肉の頭脳。

肉の目に覆われたまま、肉の人を生き続ける。

 

今シャヴオートに向けての7週間の中にいます。

これも、新しくされた人=初穂=復活のイエシュアに繋がる人々が、新しい人=神の子の実を実らせていく日々。

植物の性質を見ても分かる通り、タネを植えたら次の日に

いきなり実を実らせない。”時間が必要”なのです。

でもそれにも条件がある。ちゃんと生育する条件。

自分でそれをする選択をずっと続ける事。左にも右にもそれないでと神が言われた通りに。ガードが甘すぎたらダメと。

 

絵画的言語です。肥沃の地=神の言葉を受け取る事の出來る

頭脳。痩せた地=違う場所、意識で神の言葉を聞いてもそのタネは根を生やすことができないし、芽も出ない、枯れる。

箴言の至る所にも書かれている、神の言葉を”理解する頭脳”それがトーヴの地。命を生み出す条件は、トーヴの地=神の意識とぴったりな頭脳。そして、その生えてきた植物を、手入れする事。

 

5才当時の、あの農業坊や君が、自分の育てていた植物の手入れに少々手を抜いたら、葉がうどんこ病と言う白い斑点が出來る病気にかかってがっくりしていました。でもおじいちゃんがその

病気の葉を取り除けば大丈夫と教えくれて、元気を取り戻す。

 

そうです。ちゃんとエデンの園の中に全てのヒントがある。

命の木=神の言葉をガードして、神の言葉通り、そこからずれないで、手入れする。虫=異物、別の教えが寄り付いて来ようとしたら、すぐに排除する。シンプルな作業を怠るから命取り。

やがては破壊、枯れる。

 

そして、贖われた人達、準備出来た人達が、今度はシャヴオートを迎える日が来る。シャヴオートは、シナイ山で文字で書かれた永遠普遍の婚姻契約を受け取った事と同じ日、同じ内容です。

その再来が、使徒2章です。毎年シャヴオートは来るのです。

神の記念日はシャバットを中心に一年に渡り祝って生きるもの。

 

シャヴオートが神に取り現在有効な祭りであるなら、神の全ての記念日=祭り、シャバットを含め全てが有効で変わらないのです。それを、人間が変わる、これとあれだけだと主張するから、不具合があるし、混乱してしまうのです。そして、神の時は非常に正確です。狂わない。神は時にとてもこだわっている事、

聖書を読めばはっきりと気がつけます。

 

狂いがない。人間の暦は人の理解を混乱させますが、神は

うっかりなんかしない、間違わないからです。

天体がある。そしてエデンからシャバットを同じく、同じ日に

ガードして来た残りの民を神が保存しているから。

それは、神の言葉を、一字一句違えずに保存して来た人を

神が保存して来た事と全く同じです。神の権威、神の絶対的主権が世界を治めているから。

 

続く

 

全世界に印象付けるため光とサウンドショーの中、

天と地が証人の婚姻儀式が結ばれた。

天の領域、シナイ山の上。山=天、神の臨在が降りて来た場所で

70人の長老派、婚姻の祝宴に与かった。

それを歴史の途中で婚姻契約を捨てろ?と言うのは

神でなく、人間。神は永遠にトラーをガードせよと

言われている。どちらが真実?

自分の頭でじっくり考えながら、なんどもなんども

ずっと聖書を書いてある通りに読み続ければ、

はっきり見える。何が書いてあるのか?神は途中で

変わるのか?それとも永遠普遍。交わした婚姻契約を

破棄しないと言われたのは神。