ヘブライ語の元の言葉に直して事実を見る 書いてあることを曲げると事実が隠される | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

イエシュアの過越の晩餐=主の晩餐の後、木にかけられて、

復活した事件が、春の祭りの過越の一連の出来事です。

 

その前に、過越は、エジプト脱出、出エジプトの出来事と

同じです。子羊の血、鴨居に塗った血も同じ意味です。

そして、奴隷脱出し、神の言葉=ダヴァルだけを聞く

荒野=ミッドヴァに導き出され、花嫁として受け取られている

事実を初めて文字に記した婚姻契約を渡されたのが

シナイ山の出来事。これがシャヴオートです。これをずっと

太古から祝って今に至るのです。春の神の記念日は、すでに

地上で成就した祭りを繰り返し思い出すために祝う。

秋の祭りはこれから将来起こる王の完全統治の世界、

子羊の婚姻の宴、イエシュアの中に住まう仮庵の祭りです。

 

事実通りに、読んで行くと、神の造られた神の記念日は、

神がデザインした通り、言われた通りに祝うものだと見えて

きます。

 

イエシュア昇天以降も、1世紀の使徒たち、ユダヤ人、

異邦人イエシュア信者たちが祝っていたのは、シャバットで

あり、春の一連の祭り、過越、種無しパン、初穂の祝い、

穂を数える7週間そして、、シャヴオート。使徒2章の出来事も

エルサレムに留まり、シャヴオートでの出来事。

 

秋の祭りは、ショーファーを吹く日、大贖罪日、仮庵の祭り。

そして週一度のシャバット。

なぜシャバットなのか?祭りを祝うと言う事は、祭りは

シャバットで始まり、シャバットで閉じ、一年に渡る

週一度の第七日目のシャバットを祝っているから祭りを

祝うからです。

 

もともとの聖書に書いてあることを変えて読んではならない。

事実が隠されて、神の真実が見えなくなるからです。

 

シャバットを昇天以降も第七日目に祝っていた記録。

使徒

1:12 13:14、27、42、44、15:21

16:13  17:2 18:4

コロサイ2:16 ヘブル 4:9

 

過越の祭りに関しての記録

 

民数記9:14

もし他国の人が、あなたがたのうちに寄留していて、主に対

して過越の祭を行おうとするならば、過越の祭の定めにより、

そのおきてにしたがって、これを行わなければならない。

あなたがたは他国の人にも、自国の人にも、同一の定めを用

いなければならない』」。

 

エゼキエル45:21

正月の十四日に、<第一日の月、アヴィブの14日日没>

あなたがたは過越の祭を祝え七日の間、種を入れぬ

パンを食べよ。

 

マタイ26:18

イエスは言われた、「市内にはいり、かねて話してある人の

所に行って言いなさい、『先生が、わたしの時が近づいた、

あなたの家で弟子たちと一緒に過越を守ろうと、言って

おられます』」。

 

 

ルカ2:41
さて、イエスの両親は、過越の祭には毎年エルサレムへ上って
いた。
 
ルカ22:13
弟子たちは出て行ってみると、イエスが言われたとおりで
あったので、過越の食事の用意をした。
ルカ22:15

イエスは彼らに言われた、「わたしは苦しみを受ける前に、

あなたがたとこの過越の食事をしようと、切に望んでいた。

 

ヨハネ2:13さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、

イエスはエルサレムに上られた。

ヨハネ2:23

過越の祭の間、イエスがエルサレムに滞在しておられたとき、

多くの人々は、その行われたしるしを見て、

 

ヨハネ6:4

時に、ユダヤ人の祭である過越が間近になっていた。

ヨハネ11:55

さて、ユダヤ人過越の祭が近づいたので、多くの人々は

身をきよめるために、祭の前に、地方からエルサレムへ上った。

<この上の箇所に続けて書いてあるユダヤ人のと言うのも

挿入された言葉です。ヘブライ語では、祭りを表す”ハーグ”

言う言葉になります。>

 

ヨハネ12:1

過越の祭の六日まえに、イエスはベタニヤに行かれた。

そこは、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロのいた

所である。

ヨハネ13:1

過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに

行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たち

を愛して、彼らを最後まで愛し通された。

ヨハネ18:28

それから人々は、イエスをカヤパのところから官邸につれて

行った。時は夜明けであった。彼らは、けがれを受けないで

過越の食事ができるように、官邸にはいらなかった。

 

使徒12:3 

そして、それがユダヤ人たちの意にかなったのを見て、

さらにペテロをも捕えにかかった。それは除酵祭=過越から

始まる種無しパンを食べる祭りの週=の時のことであった。

 

使徒12:4 ヘロデはペテロを捕えて獄に投じ、四人一組の

兵卒四組に引き渡して、見張りをさせておいた。

過越の祭のあとで、彼を民衆の前に引き出すつもりで

あったのである。

12:5 こうして、ペテロは獄に入れられていた。

教会<翻訳造語>=エクレシア<ギリシャ語>=カハール

<ヘブライ語>呼び出された人々の群=では、彼のために

熱心な祈が神にささげられた。

 
1コリント5:7
新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除き
なさい。あなたがたは、事実パン種のない者な=マッツアなの
だから。わたしたちの過越の小羊であるキリストは、
すでにほふられたのだ。
5:8 ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と
邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で
真実なパン=マッツアをもって、祭=過越の祭り=それに
続く、種無しパンを食べる祭りの週=をしようではないか。
 
以下の箇所は、聖餐式として4世紀以降儀式が造られ、
その教えが取り出されていますが、実際イエシュアが言われた
事は、春の過越の祭りを祝う時、過越の晩餐=主の晩餐=
セーダーの儀式を祝う時にイエシュアがされたマッツアを食べ、
三杯目の贖いの杯を飲むときに、イエシュアが地上でされた事、
永遠からある救い、贖いを思い出してと遺言されたのです。
ランダムな意味の無い日ではない、神の記念日の過越の
特別な晩餐でこれを毎年祝う時に、皆で同じ儀式をして
思い出してと言われているのです。
 
1コリント 11:24 感謝してこれをさき、そして言われた、
「これはあなたがたのための、わたしのからだである。
わたしを記念するため、このように行いなさい」。
11:25 食事ののち、杯をも同じようにして言われた、
「この杯は、わたしの血による新しい再び最更新された
契約である。<過越を祝う儀式のセーダーの晩餐の中で>
飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」

11:26 だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を

飲むごとに、それによって、主がこられる時に至るまで、

主の死を告げ知らせるのである。

 
ヘブル11:28

信仰によって、滅ぼす者が、長子らに手を下すことのない

ように、彼は過越を行い血を塗った。