トラーの中には、全て必要な教えが書かれています。
これが、聖書の全ての教えの土台、照らし合わせなのです。
トラー内容だけを、預言書、諸書、そして福音書から
黙示録迄の中に書かれていると言うのがオリジナル聖書の
事実です。これを、揺るがす、変形した教えを通して読むと
全てが真実から歪んで崩れていきます。
人間が生きる全てに必要な事が全て書かれている。
神の言葉、約束、契約、神の造られた全て、そして神の福音
を表す神の記念日も永遠普遍です。歴史の途中で変わらないし、
歴史の途中で愛、憐れみ、許し、義の実態は初めから終わり
まで、同じ。アレフでありタヴであると書いてある通り。
そして神は助けを歴史の時間に置いて仕分けしたり、分別
したりするような小出しをしない。いつも変わらず同じ、
救い、贖い、許し、復活の命の事実は永遠から存在している。
第6日目で”全ての業”が完了したと言う一言の中に全てが
表され、書かれている事を見落とさない。
聖書に書いてある通りに読んでみると、事実が見えてきます。
過越から3日目、”初穂”を捧げる日として、ちゃんと太古の
始めから”復活の命”の事実の記念日は祝われて来ています。
もちろん、イエシュアが到来した事を知らない人でも、
復活の命にされている事実を知っている。それが、2000年
前に地上に現れたあの”イエシュア”=救いであると認識
出来ないでいるだけで。彼らも、同じ様に救い主の到来を
待っている。初臨を知る人は、再び来られる事。知らない人は、
救い主が到来して、神が統治する世界が来る事を待ち望んで
いる。
春の収穫物の初穂と言う意味と、”初子”の命の意味とは繋がっ
ています。イエシュア=初穂、初子に連なる人たち。
過越から、”穂を数える”7週の時に入るのです。そして今週
は、種無しパンを食べる週。新しい命に復活している事実を
インプットする強化週間です。これが、新しくされた人の実態、
成長の様子でもあるのです。
復活の命を記念する日。そして、その日の名前は、もちろん
ヘブライ語です。”ビクリム”。私はその日はイースターと
言う名であると教えられてきたので、そう思って聞いて
きました。でも聖書のどこにも、イースターと言う名は無い
ですし、ヘブライの名前でもありません。
聖餐式なるものをして、”渡される夜”と読んでも、それが実は
過越の祭りの一連の出来事である、セーダーの晩餐=弟子たち
との再び来られるまで、地上で共に祝う事は出来ない、
あの時が最後の晩餐での、種無しパンと贖いの杯を通しての
儀式である事も、そう書いてあっても事実が見えない、
つなぎ合わせる事も出来ませんでした。しかも、聖餐式に
使うパンは種ありパン。過越の祭りの主の晩餐で行う
儀式の種無しパンである意味が消えてしまっています。
復活を祝う日として造られた祝い、イースターと言う名前は、
異教の神の名が由来です。その祭りの習わしも、シンボルも
異教の祭りの中に同じものがありますので調べてみれば
分かります。春分の到来時期。冬至の時期に当たる12月も同じ
異教の祭りの日と重なるように、ローマ政府により制定され
造られました。
春=多産の女神を祝う同じ祝いが他の宗教の中にあるのです。
同じ春の時期に。タムズ、アシェラ、アシュタロ、イシス。
様々な名前、様々な宗教の中にこの教えがあります。息子で
あり夫である人が野獣に引き裂かれ、死んで40日地下に降る、
その後に復活し蘇る。その40日の嘆き悲しみの期間、これが
四旬節レントとして、40日嘆き悲しむ教えとして、ローマ教
の教えの中に取り入れられています。聖書の中にも書いて
あります。エゼキエル8:14
ヘブライの世界、ヘブライの聖書の中には無い教えです。
だからその多産の教えのシンボルは、卵であり、うさぎなの
です。うさぎは神殿に持ち込めない、タメーでふさわしく無い
動物。これは別のトピックなので別の機会に。
聖書に書かれている神の記念日は、過越の祭り、その後に続く
種無しパンを食べる7日間の中、第3日目に、”新しい命”=
初穂=初子=復活の命を祝う日がちゃんと始めから神が設定
してデザインして、太古から祝っている祝い日です。もちろん
今神殿が無いので、初穂の収穫を捧げることが出来ませんが、
復活の命の事実、エッセンスを祝える。
初穂を捧げる。初穂=初子=イエシュアを筆頭に、復活の
命に連なって新しくされた命の実態を、作物を通して表して
いる、神の前に新しい人として、捧げられている絵画的言語、
祭りの実態。
後に来るシャヴオート<ギリシャ語では50日目と言う意味の
五旬節>も、春の神の同じ記念日の一連の祭りの1つ。
シャヴオートを祝うとは、過越を祝ってのシャヴオートの
祝いなのです。しかも、神の記念日は、全てシャバットで
スタートし、シャバットで閉じる。曜日に関わらずに。
それぞれの祭りが単独に存在していて、イースター、
ペンテコステ、クリスマスと言う祭りが、神の仰せになった
神の記念日なのだと思っていました。事実は、クリスマス
イースターは聖書が閉じられたずっとずっと後に作り出された
祭り。その祝いが世界に定着したのはもっと何世紀も何世紀も
後の話です。シャヴオートは、神の記念日、春の祭りの最後。
初穂=復活の命を祝う日は、春の神の記念日=過越の一連を
祝う中での記念日なのです。どれか一つを取り出して、単独的
に祝うと言うのは神のデザインされたスタイルではないのです。
1つの曲は全部奏でて完全な1曲。
交響曲は、全楽章奏でて一つの完全な交響曲であるのと全く
同じです。どこか端折ったら意味が繋がらない、欠けがある
不明になるからです。
シャヴオートは、過越から始まる春の祭りの最後を締めくくる
祭りであるのです。しかも、シャブオートの時は、今度は
種の入ったパンを捧げるのです。新しくされた人の命を
表すものです。イエシュア=初穂のエッセンスが入って
フルになみなみと成長した様子を表すもの。
その人たちが、今度は”婚姻契約”=トラーを受け取る準備を
出エジプト、奴隷脱出、偽の主人から解き放たれた後の、
7週の間にした。それがシャヴオート。
過越からシャヴオートまで7週間、しばらくあります。
古代は旅は、徒歩や、動物に乗って長旅をしてくる。祭りと
祭りの間に家に帰るのは遠いので、過越からシャヴオートの
7週をエルサレムで過ごす事は恒例だったのです。それほど、
都上りの神の祭りを国全体が大事にしていたのです。
だから、イエシュアも弟子たちに、”都=エルサレム”に留まり
主の言われた約束を待ちなさいと、言われた通りエルサレムに
滞在し続けたのです。弟子たちは、これから、全世界へ向けて
トラーを教える任務、聖書を書き記すミッションが待っていた。
トラーを世界へ教える事で、ローマに迫害される試練、ローマに
イエシュアと同じように処刑されてしまう事が待ち構えていた。
特別な力を与えられない限りそんなハードル、試練は超えられ
ないのです。彼ら使徒たちに与えられたミッションへの準備期間
でもあったのです。別の助け=イエシュアがおられた時と
同じ同質の助けが与えられるからと、弟子たちに約束された
のです。
続く