プロテスタントは、神の言葉を信じると言います。
教皇=教祖、人の教えを土台としないと宣言していますが、
その信条の中に矛盾を発見します。信じている事と、実際の
神の言葉=聖書に対する取り扱いがマッチしていない、
ずれがあります。
神の言葉を信じる、土台とする、そして、同時に聖書の
最初の3分の2、神の契約は終わったと言う。これだけでも
矛盾が存在する事は明らかです。自分の頭でしっかり何を
信じているのか、確認する、聖書に基づき考え続ける。
読み続ける。
神の永遠普遍の言葉に対して、廃れた、呪い、別の契約だから
削除する。神の言葉の内容を今生きる必要がなくなったと
言う教え、根が同じだからです。
イエシュアが、何を教えて、何を生きてたのか?
トラー100%をイエシュアは教え、生きて、イエシュアを
信じるものは、トラーの実態を生きると、神の言葉は、
宣言しているのです。生きることはキリスト=その詳細は
トラーに書かれているのです。
その点が神の言葉を否定した、ローマ教の教えと全く同じ
ルーツの中に土台を置き続けている、信仰はどちらも
同じです。プロテスタントとカトリックのある部分は違う、
細かい点では、相違があるかもしれませんが。
偶像=マリアを礼拝しないとか、聖人崇拝しないとか、
リーダー達の結婚は禁じないとか、ある点では違いはあります
が、根本はほとんど同じ要素、同じ根を共有しています。
マルチンルターの宗教改革は、元の元、根本、ルーツに
辿るまで軌道修正しなかったからです。
ルーツ=神の言葉に100%戻ると言う完全起動修正を果たさな
なかった。ある部分、当時の曲がった教えに対しては、
訂正をした。でも、その先の本当の問題の根にまで到達しない
ままだった。しかも、ユダヤ人に対して熱い思いがあったの
が、最後マルチンルターは、打って変わって、ユダヤヘートに
ひるがえり、”ユダヤ人と嘘”と言う反ユダヤ人、ユダヤ人
迫害の火つけとなる、ヒットラーにユダヤ人迫害を援護射撃、
奨励、確信を与えた最悪な書まで書いた。現在ルター派の
人たちが、ルターのユダヤ人に対する悲惨な罪を認め、
謝罪したことを発表していますが。
ヘブライの世界、イエシュアが生きていた時代のヘブライの
聖書=トラーに書かれたライフスタイルと現代の生き方、
信仰の土台の内容が大分異なっています。
しかも、プロテスタントと言っても様々な宗派、世界には
40000以上のデノミネーションが存在します。
そして、カトリックと、プロテスタントは同じ儀式、
同じ記念日、同じ信条を共有しています。所々は違う記念日
を付け足していますから、異なる点はありますが、基本、
根本は同じです。1世紀のイエシュア信者たち=トラーの
ライフスタイルを生きていた人達とは異なるものです。
そして、神の記された、神の教え=インストラクション、
人間の生きるライフスタイルは、イエシュア昇天後は
終わったとした、4世紀にローマ皇帝が作り出した教えの方を
聖書の神の言葉より真実だとし、神の言葉を却下して、
神の言葉は終わったもので、呪いで律法なのでもう生きる
ことはない、トラーの中身を生きる事が、神のみ旨に反する
罪悪とまで教え、解説しているのです。それって神の言葉に
基づいて不真実な宣言です。
事実が分かれば驚愕の世界です。何を言っているのかと
分かるからです。2000年以降は、全てが恵みで全部、
禁止解除になったと教えますが、本当に危ない教えだと
思います。
2000年以降、神の創造した世界の生態系、人間も動物も
進化、変身したのでしょうか?
危険なのに、安全と教える教えだからです。
もし、神の言葉どの部分でも終わりと言う場合には、
この世界が同性婚実践で満ち溢れても、それは神の規制の
呪い=トラーが解かれて、今はなんでも自由なのだと言う
人達の考えに同調しなくてはならない事と同じです。
それぞれの目に叶った生き方でOKしましょう、人の価値観は
その人基準となると言っている事と同じのです。子供達にも
人を批判しないで、差別しないで、偏見持たないで、
トランスジェンダーokです、その行為、信条、ライフスタイル
受け入れましょうよと教える事を奨励する。自分の子供にも
絶対的神の言葉=基準を土台に、真実を生き方を教える事など
出来なくなってしまいます。基準が消えた=トラーが消えた
からです。
でも、神のトラーは、男とは、女とは、又婚姻に関する様々な
神のデザインの規定が、はっきりと始めからフィックス、
宣言されて、記されています。どんな間がらの婚姻関係は
結んではならないのかはっきり記されています。
そして、日々の暮らし、衣食住の規定と婚姻の規定は全く
同等の教えで、永遠普遍の神のデザイン、教えなのです。
神のトラーは人間が生きる全ての知恵、デザインが書かれて
いると言う事に、トラーの詳細を、ヘブライ語聖書の、
その通りの意味通り学べば必ず気がつけます。イエスさまを
信じたと言うことは、神の家の家訓、神のデザインした人間
の姿=イエシュア=その詳細が書かれたトラーを生きると言う
ことなのです。
義とされた事実は、100%無償です。それが割礼の印として
表されています。この意味は奥が深いです。
男の子が、自分の意思ではなく、親の意思により知らない間に、
誕生第8日目に授けられるものだからです。
自分の意思では無い、知らない間に授けられていると言う
事に意味があるのです。一方的なギフト=義とされている事は
神の業100%のみカウントされていると言う意味がある。
でも、義とされている自分が、神の家に連なる婚姻契約に
入るのは、その人の意思が伴わないとならないのです。
信じるのか信じないのか、神の仰せを生きるのか生きない
のか?日々それはその人自身の選択の連続だからです。
神のトラー、神の知恵は奥が深く、神の愛とは何かと
言う事、神の言葉に記されている内容、意味を知って
初めて深く深く、神の知恵がいかに人の命を保護するもの
なのか、気がついて行く事が出来るからです。
神の実態に出会う、素晴らしい世界に繋がっているのです。
神が一度口から出した言葉、代々に渡りガードせよ、
この様に生きなさいと書かれた詳細は永遠普遍なのです。
どんな時代でも、どの国民に対しても同等の真理なのです。
神から発した人類別の2つの契約、別の福音は無いと神が
言われた通りなのです。
なぜ?人間は同じ人間だからです。同じ神から出て、人類
は1つ家族と書かれています。だから一体=エハッドと言う
言葉で、表現されているのです。
調べればわかりますが、神がダメだよと言う内容の全ては
人にとって毒素なもの、害毒な生き方なのです。
人を損なうものなのです。物理的霊的など無い1体です。
神の宮には汚れたものを持ち込めない事の、神の意図、
人は神の宮であると宣言する意味が本当に理解出来れば、
分かる事だからです。自分を汚す行為を知らない間に
させられ続けているのです。神の宮の中、神の宮である
自分の中にも同等に、神が禁じるものを取り入れて汚す事は
神の子に相応しくない行為、荒廃、忌まわしい行為なのです。
続く