古代の人たちは直接神から語られ深く神の言葉を理解していた | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ある神学は、福音書以降で初めて、トラーの内容、預言書

の真実が、よりつまびらかに明らかにされたのだと

説いていますが、それは、聖書に関する認識が全く違う

のだと思います。そして聖書記者が何者か?ヘブライ語聖書の

中身を知らない解説だと思います。

 

アブラハム、イサク、ヤコブ、ダビデ、エレミヤや、イザヤ、

マラキ数々の預言者、聖書記者達は、現代の人たちよりも、

遥かに広く高く深く神の言葉の内容の詳細を正確に知って

いたのです。当然です。

分からないままずらずら神の言葉を書いているのではない

からです。

 

神の言葉を預かる者=預言者=お家元として、世界へ伝える

先駆けとして、選ばれた人たちは、神から直接神の意図通りを

受けて、知って書いているのです。

だから、預言者=教師、トラーを教える人たちでも

あったのです。

 

神の言葉の一文字一文字、一点一画に込められた永遠に

繋がる深い意味を知っていた。だから、どの文字も捨て

られない、変形しないで保存する意識を神から与えられて

いたのです。異邦人とは全く違う、神の言葉の意味、価値に

対する意識。

 

だから、ユダヤ人は人の書いた書でも、簡単に捨てないの

です。大事に保存する。

 

私たちが不可解に読み取れない聖書の内容100%、

聖書を記した人たち、又は聖書に登場する主要な人物達は、

神から語られ、理解して書いているのです。ぼやけた不透明

な点の理解など、聖書記者にはなかったのです。

 

私達が、しかもヘブライ語を知らない異邦人達が、お家元=

預言者先人達より聖書を知っているなんて訳が無いのです。

古代の聖書の記者達は、私たちよりもっと深くトラーを

知っている。神から直接語られているのです。

 

神と直接対話し、幻を見せられ、聖書を記され、その中身を

はっきり理解していたからです。

 

旧約聖書、新訳聖書と言う言葉を、意識の中から削除

するべきなのです。この様に神の言葉が途中で変化すると

言う神学をサポートする様な誤解、偽コンセプトを

植え付ける聖書に対するタイトルは初めてからあっては

ならないものだったからです。

神ご自身の性質に対する偽証、誤解を産んでしまって

いるからです。

絶対に変わらない神の性質と神が語るご自身の性質とは

全く反する言葉だからです。

 

なぜなら、古いと言う言葉を聞けば、何を想像しますか?

古い=不要=価値が無くなった=悪い=有効期限切れがある

=呪い=廃れた=終わったと言う連鎖的意識を、その言葉=

人間が作り出した神学で、人々の中にしっかり植えつけられ

続けてしまっているからです。進化論と同じ。偽なのに、

本当だと思い込まされて行く。

新しい=古いものより良い、アップデートされた、

最新式、今までに無い機能、改良された優れたもの、

そんな意識を放り込むのです。

 

聖書に書かれている、ヘブライ語で書かれている”新しい”と

言う言葉は、古い新しいと言う意味ではなく、”更新”され

続けると言う意味の言葉、ハダッシュです。日本語や英語の

意味とは全く違う、新しいと言う言葉なのです。

新月の新と同じです。

新月が出たら、別種の月が空に出現するのでしょうか?

 

同じ月が空に現れるのではないのでしょう?それと同じです。

月を通して、教えている。月は、神の時=契約が有効で

あることを表す、神の祭りに深く関係している目で観測できる

印としても、神が造られた理由があるのです。

同じ永遠普遍の契約が再更新され続ける。そして新月、満月

で思い出す。欠けが無い神の契約、永遠普遍性を思い出す

ために、天の万象がある。

 

成人病ではなく、生活習慣病と言う名称に変えて、違う意識

が人々の中に浸透した様に、神の言葉に対してのタイトルを、

神が宣言する通りの適切な言葉に置き換え直す必要があります。

 

古い=終わった=廃れたと言う教えが浸透するのは、

様々な異邦人達、特にローマ教の教父達、トラーを知らない、

お家元にトラーを学ばない、聖書を本当に知らない人により

編み出されて改ざん、手を加えられて神の言葉を、

破壊されてしまって出来た人間の教え=神学です。

 

2世紀の西洋教父、アレキサンドリア、トラーを知らない人が

編み出した解説、バルナバの書簡、このバルナバとは使徒では

なく、その地方に居た人たちへ書かれた書。

その様な書の中に、私達が現代聞き入っている神学=教え、

デイスペンセーション神学や、置換神学の土台になる

コンセプトが記され、発表されています。

これは、何が書いてあったのか、又別の時に書いてみます。

 

または、時の異端者マルキオン。当時の人には拒否されたの

に、進化論と同じく、彼の偽説だけは世界に受け取られ

浸透してしまったのです。彼の思想が、後に聖書のタイトル

として、ちゃんと保存されてしまったのです。

 

旧約、新訳聖書と言うページを見たら、それは神からの

ものではなく、マルキオンの思想から生まれた言葉と

意識を切り替えて、事実を確認する。

世界に浸透した、神の性質、言葉に対する偽証、偽仮説を

訂正し、起動修正し続ける=これが本当の”悔い改め”=

ヘブライ語の神の真実の中に戻ると言う作業だからです。

 

異端者マルキオンは、聖書はルカとパウロの数書簡だけで

事足りるのだ、他の箇所など読む必要がないと解きました。

神の言葉を熱心に知りなさい、学びなさいと言われたのは

神なのです。それを、神の言葉を知る重要性から意識を

はぐらかせる教えを語るのは世界中に溢れています。

 

だから、聖書なんて読むなんてことをしない人は、

大勢いるのです。聖書は学ぶものではないと言う教師も

大勢います。????の世界です。ましてや、深く内容を

知ろうとすることも無い。ついでに読む。ある箇所だけ、

ビタミン剤のように部分的に取り入れて行く。それだけ。

 

ものすごい作戦だと思います。エデンの園での事件を

常に思い出す必要があります。神が言われた言葉から

意識を外らせる、神の言葉が重要ではないとあの手

この手で教え続けるのです。却下すべき教えです。

神の言われることに注意を払うべきです。

 

神の言葉は鎧兜、足元を照らす光、神ご自身です。

目に見えない神=文字で書かれた神ご自身=イエシュアの

実態に直に触れる、入っていけるのは、神の言葉なのです。

神の言葉に導かれて生きる。神の言葉を食べて生きる。

命の鍵、秘訣は神の言葉の中にあるからです。

全ての命は、神の言葉で発生したからです。

 

 

続く